四、「もうスケジュールに組み込み済みですので」
城門と見紛えるほどの巨大な扉を見上げて、ヴォルケインの顔は引きつった。シエラに案内されて、大広間から続く廊下の一つに入り、さほど行かぬうちに辿り着いたのが、このスケール感を失う部屋の前だった。
「こ、ここにいるのか? ……彼が」
「はい」
「それにしては近くはないか? 階段さえ使っていないぞ。ダンジョンの主というのは、奥の奥に控えているものなのではないか?」
「こちらは来客用の応接室です。外から来たお客様をいちいち最深部までお連れするのはご足労ですから」
どこか機嫌のよさそうなシエラは説明した。
「もちろん普段は、地下最深部の宝物庫や最上階の大ホールなどで働いていたり、迎え撃ったりしています。もちろんプライベートルームはまた別にあります」
本人の移動はどうしているのかと不思議に思ったが、それこそプライベートに立ち入るような気がして口にはしなかった。
ぎいと扉が開いた。本体の大扉ではなく、そこに付属する普通サイズの通用扉が。
シエラの誘導でヴォルケインは恐る恐る中へと入る。
応接室と言うには、ばかに広い空間だった。周囲にはダンジョンの財宝の一部と思われる、見たこともない調度品や細工物、謎の像、宝飾品といったものが飾られている。フロアの中央部には、ちょこんとテーブルと椅子が置いてあった。ヴォルケインのために用意されたものだろう。そして、その向こうに。
巨竜がいた。
大聖堂がすっぽりと収まりそうな天井につかんばかりの金色の竜の姿に、ヴォルケインは圧倒されざるを得なかった。
(なんという圧力! 見ただけでわかる……想像よりもはるかに強大な存在だ! こんなものと戦おうというのか、私は……)
気圧されつつも、ヴォルケインは腹を決め、前に進み出でて、古竜王の前に立った。
そして、竜と騎士との会談が始まった。
およそ一時間後。再び開いた応接室の扉から、やや疲弊したヴォルケインが出てきた。それを迎えるシエラ。
「いかがでした?」
「姿だけでなく、あの覇気、威圧感……さすが魔領の王たる者だな。想像以上だった」
ヴォルケインは、素直な感想を述べた。
「怖じ気づきました?」
すこし意地悪そうな顔で、シエラが伺う。
「むっ」
カチンときたヴォルケインだったが、すぐに真剣な顔で思案する。
「正直なところ……数十名の手練れを揃えただけでは勝てぬな。だが、火器を加えた大部隊の兵ならば……」
「お、やる気出ましたか?」
嬉しそうなシエラの反応にヴォルケインは苦笑するほかなかった。
二人は受付のあるロビーまで戻りながら話を続けた。
「――しかしボスもご機嫌でしたね。あんなにダンジョンや魔領の話をしてしまって」
シエラは会談中は席を外して受付業務をしていたが、タブレットから様子は伺っていた。
「そうだな……聞いていた私のほうが、その話はしていいものなのかと思った程だ」
古竜王は久しぶりの人間の客人に気をよくして、話を向けるまでもなく魔領の現在の情勢やダンジョンの内情などを明かしたのだった。
「もちろん弊ダンジョンが揺らぐことは微塵もないですが、きっとあの情報だけでお国から重宝されますよ」
争いという交流さえ絶えた現在、人界に魔領の情報は少ない。過去の記録を除けば、魔領に踏み入った冒険者がもたらす部分的な噂程度だ。魔物の、しかも支配者クラスの者から得た情報など、どんなものであれ、各国が喉から手が出るほど望む、貴重極まりないものだった。
「それを言うなら、シエラ殿」
ヴォルケインはシエラの顔を見る。
「おぬしこそ、おそらく今の人間の内で最も魔領を知る者では? 併せてその管理能力をもってすれば、大国の重要ポストも手に入れることが可能であろう」
しかし、当のシエラは大きく首を振った。
「いえ、それはあり得ません」
「だが――」
「人界は百年先を行くアイデアを受け入れませんでした。どんな能力があっても、若い娘を取り立てるような国は、今はどこにもありせん」
世界のどこよりも先を行っていたシエラの故郷リブトランは、その先進性ゆえに他国から排除された。
ヴォルケインは返す言葉がなかった。
「それに私は……あ」
シエラは視界に入った受付カウンターに、大鷲が留まっているのに気づいた。
「さっそくご返事が届いてますね」
駆け寄って手紙を受け取ったシエラは、そのままヴォルケインに手渡した。
「う、うむ……」
封を開いて読み始めたヴォルケインの目が俄かに険しくなる。
(暗号文……。なになに? 『現討伐隊は、千の兵をもってダンジョンへの夜襲を行う。ついては貴殿が現地にて知り得た情報をつまびらかに報告せよ。討伐隊隊長 シーバ・リーバ』……)
詳しくは書かれていなかったが、ヴォルケインは千という数からおおよその編成を予想した。その戦力と奇襲をもってすれば、たしかに古竜王に立ち向かえるかもしれないとも思った。
(先程の会談で得た情報はまさにうってつけ。夜襲の成功を大いに高めることになろう。だが……)
「どうされました?」
「あ、いや……」
ヴォルケインは逡巡する。
笑顔の魔物や、ご機嫌なグレンが脳裏にちらつく。
「……」
しかし戦うのならば勝たなくてはならない。千の兵の命運がかかっているのだ。勝つならば、最善手を選ぶ意外ない。
ヴォルケインは迷いを振り切るように目を閉じ、やがて覚悟を決めて見開いた。
「――シエラ殿。今一度紙とペンを。また返事を送りたい」
エトラ村は、迷信と因習に囚われていた二年前と比べれば、驚くほど開けて人の行き来が増えた。とはいえ、辺境の田舎であることには変わりはない。日が落ちれば酒場を除けばほとんどが店仕舞いとなり、早い夕食時が過ぎると外に人の気配はなくなる。
だが、この夜は別だった。
村のすぐ北側で、千を超える人間が列をなしている。無論、バスクテリアの古竜王討伐隊の軍勢である。
騎馬隊を先頭に、中ほどに硬い鎧に全身を包んだ重歩兵、最後に馬に引かれた数十門の大砲が続く。
「明かりは最小限にせよ。敵に気取られぬように、静かに、しかし迅速に進め」
討伐隊は夜に乗じて兵を進め、ダンジョンに急襲をかける腹積もりだった。
古竜城の警備の規模は昼夜通して変わらないが、交代の時間は比較的手薄となる。それが到着予定の夜半。その頃にはダンジョンの活動も低下し、何より古竜王は休息に入っているという。全てダンジョンに潜入していた前隊長ヴォルケインから得た情報によるものだった。
「頃合いか……」
現隊長のシーバは、各班の準備が整った旨の報告を受けると、高揚する気持ちを表に出さぬよう気をつけながら号令を発した。
「バスクテリア皇国古竜王討伐隊、出発!」
「今日も働いたなー」
シエラは、どっかと席に着くと、メニューを見ずに数皿の注文をした。
「おや? 今日は飲まないのかい?」
注文に酒が入っていないことに、メガエラが意外そうな顔をするが、シエラはただ「今日はちょっと」とだけ言って、向かいの騎士を促す。
「ヴォルケインさん? 注文は?」
「ああっ、そうだな……」
ぼんやりとしていたヴォルケインは慌ててメニューを取るが、心ここにあらずいった様子で目が泳いだまま注文を決められない。
「もしかしてお口に合いませんでしたか……?」
味を監修しているシエラが申し訳なさげな顔になる。
「あ、いや、そんなことはない! じゃ、じゃあシエラ殿と同じものをもらおうかな。そ、それよりもだ、昼間も話したが――」
注文を取ったメガエラが遠ざかったの見計らって、まだ疑わしそうな顔のシエラに小声で話しかける。
「もし我らによって古竜王が討伐されたら……我が国で働かぬか? 討伐計画を契機に魔領の研究対策機関が新設される見込みになっておるのだ。もしくは政務官なども適材かもしれぬ。いずれも私が推薦しよう」
シエラはその申し出が余程意外だったのか、少しの間きょとんとしたあと、小さく微笑んで、やはり首を振った。
「ボスは絶対に負けません……というのは置いといても、私はここ以外で働く気はありません」
「なぜだ? どうしてここにこだわる?」
「ここっていうか……私、やりたいことなんて何にもないんです」
「? それはどう――」
思わぬ返答にヴォルケインは口を挟みかけたが、続いた彼女の言葉に飲み込んだ。
「欲しいものも、やりたかったことも、私の夢の全部は、故郷と家族にあったから」
人界で恐らくもっとも可能性に満ちていた場所であったリブトランは、偏狭な大国によって地上から消えた。彼女が大切にする全てのものと共に。
「ここに来てからも、それは変わりませんでした。お世話になっているぶんだけお手伝いして、何も望まず、ただ生きているだけ――でも」
何かを思い出すようにシエラは目を細めた。
「ある夜、私のところにグレン様が自ら来られたんです。その頃は、私はダンジョンの奥に入ることはなく、最初の時以外はお見かけすることさえめったになかったので、本当にびっくりしまた。そして、もっとびっくりすることをグレン様はなさいました。なんということか――私をその背に乗せて、空を飛んでくださったんです! そのうえ……」
「ちょ、ちょっと待て。いやまさか、古竜王が? 空ということは、つまり……」
余りのことにヴォルケインは少し慌てた。魔領の王がその背に人間を乗せるというのも信じがたいことだが、それ以上にダンジョンの外へ出たということの方が衝撃的だった。
「そうなんです。古竜王がダンジョンの域外へ出ることはめったにありません。強大すぎる力故、姿を外に晒すだけでも脅威とみなされて、争いの火種になりかねないですから」
しかしそうなってはいない。ほんのひと時であっても、古竜王が飛べば、人界ですら気付く者が出て大騒ぎになったはずだ。
シエラはヴォルケインの胸に湧く疑問に答えるように続けた。
「その時、グレン様はご自身にとても強力な弱体化魔法をかけて、肉体も力も一介の飛龍程度に抑えていたんです。それがどんなにリスクのあることか……」
そこらの飛龍並みならば、槍一本でも命を失いかねないということだ。
「そうして連れて行っていただいたのが、もう二度と戻ることは叶わないと思っていた、故郷の跡でした」
「なんと……」
ただの飛龍とて、人にとっては害をなす魔獣に変わりはない。人界に出るだけでも危険極まりない行為だ。そのうえブリトランはここから人界の幾つもの国を越えた遥か南にあった。
「そこは痕跡さえ見つけられない焼野原でした。だからできることといえば、かつて私の家があった場所にお墓代わりの小さな標を建てることぐらいでしたが……その時、これを見つけられたんです」
そう言ってシエラは、自身のシャツの、ネクタイで絞めた襟の内側から、簡素なペンダントを引き出した。細い鎖の先には、石を薄く削って作ったと思われる歪な薄片がついている。
「私が高等学院に入学した時に、両親からプレゼントしてもらったものです。宝石でもない、金銀でもない、一見地味なものですけど、地上に堕ちた星から作られた興味深いものです。何よりこういうのを選ぶのが両親ぽくて、大好きなものでした。でも、突然の戦火から持ち出す暇がなくって……」
大国の連合軍の攻撃は、布告なく行われた。荷を持ちだす余裕どころか、ほとんどの人間は逃げる時間すらなかったという。
「何もかも失くしてしまったはずなのに、これだけはグレン様のおかげで、こうしてまた私の手の中にあるんです」
シエラは指先で薄片の表面を撫でた。
「だから……と言うのもちょっと違いますね。一番の理由は――あの時、グレン様は大変な危険を負っていたというのに、とても楽しそうに空をお飛びになっていたのを見たからです。その時に思いました。いつか、グレン様がこんなひっそりとリスクを負いながらではなく、堂々と自由に飛べるようにしてあげたいって。そのためなら」
今まで見せたことのない、強い意志を秘めた真剣な顔になった。
「ダンジョンも変えるし、魔領も変える。世界すら丸ごと変えたっていい」
そして一変して表情を崩し、あははと誤魔化すように笑った。
「――なんて、ただの秘書が何言ってるんですかね。今のは忘れてください」
そうは言っているが、それが冗談や軽口ではないことはヴォルケインにもわかった。実現するには確かに世界を変えるほかない、途方もない望みだ。だがそれが全ての夢をなくした彼女に再び芽生えた、唯一つの叶えたい夢だった。
「シエラ殿――」
「はい?」
「今夜、討伐隊はダンジョンに夜襲をかける。千を超える兵力でだ」
ヴォルケインは意を決して告げた。
「今からでは他勢力との境界に駐留してるというグレン領軍本隊は間に合うまい。ダンジョン内の魔物では到底太刀打ちできないだろう」
「それは……」
「だからシエラ殿はできるだけ他の魔物を連れて――」
「存じてます」
「え?」
シエラは傍らのカバンの中からタブレットを取り出して起動した。昨日の退勤時はダンジョンに置いていったことを、ヴォルケインは覚えていない。
「開始予定時刻は、日付変わって午前一時。警備の交代の隙間にして、グレン様の平均的就寝時」
「え?」
「兵の内訳は、およそ騎兵三百、重歩兵五百、砲兵二百、大砲五十門」
「ええ?」
「もうスケジュールに組み込み済みですので、大丈夫です。さあ、食べたら残業だー!」
そう言って、勢いよく両手を振り上げた。
「へ……はあ?」
ヴォルケインは、昨夜ぶりに混乱した。わかるのは、シエラの口にした情報は全く正しいものだということだけだった。だから余計に混乱が加速する。
その様子を見て取ったシエラは、眼鏡をクイと上げ、受付モードになって説明した。
「ヴォルケイン様は、思わぬところから来られたので詳しいご説明をしておりませんでしたが、本来人界からの来訪者様は、経由地となるエトラ村か、その先の正門でアポを取る仕組みになっております」
「あぽ……?」
意味のわかっていないヴォルケインに、頷きながらにっこり笑いかけるシエラ。
「そんなヴォルケイン様のように、人界の方の多くは要領を得ていないことが多いので、サービスでこちらから村へ出向いて、受付に代えているんです。今回も村に行って盗み聞き……いや、リサーチをしまして、ご依頼内容の詳細を確認してきました」
「村に行っていた? いつの間に?」
「ヴォルケイン様が二通めの手紙を書いた後に」
「あ……」
ダンジョンの情報をしたためた手紙が運ばれるのを確認した後、グレンとの会談で消耗したヴォルケインは宿に戻っていて、シエラとはこの食事に誘われるまで会っていなかった。
「そのようにして、討伐隊様が立てていた作戦を、全てアポイントメントとして受付け、処理しました。スケジュールが合わなかった場合はお知らせするのですが、問題なかったのでそのまま黙ってお受けしました」
「は、はあ……」
ヴォルケインはただただあ然として、シエラの「問題なかった」という言葉の意味することころにまでは、意識が及ばなかった。
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