三、「重要技術のため、部外者の使用は禁じられています」
シエラの仕事は、午前九時から始まる。
タイムカードを押すや、昨日から持ち越した案件とその日決まっているスケジュールを確認し、各部署からの問い合わせの処理に追われるのが、毎朝の日課だ。
ちなみに退勤は残業がなければ午後六時。休日は基本的に十日に一度と決めている。ついでに言うとシエラ退勤後の外来案件は、警備部の夜間シフトが引き継いでいる。緊急時を除けば夜に正規の来客は皆無だし、来る者といえばマニュアル対応できる攻略者か、賊の類に限られるので、それで充分なのだった。
九時半になると、十~ニ十分かけてボスの古竜王とその日のスケージュールに関してミーティングをし、その後十時になってからダンジョンの受付が開かれる。
今日もまたボスとのミーティングを終えたシエラが受付カウンターに戻ると、ヴォルケインが所在なさげに立っていた。
「ヴォルケイン様、おはようございます! 今開けますね」
「ああ、おはよう」
「何かございました? こちらから宿にご連絡差し上げると申してましたのに」
「……どうも、落ち着かなくてな」
タブレットを立ち上げながらシエラの目が光る。
「宿に不備がございましたか……?」
「い、いや、宿はとても快適だった」
これは本心だ。というか人界の並みの宿に比べても、よくできた宿だった。おかげで魔の森の踏破で蓄積していた疲労は一晩で消し飛んだ。
「それは何よりです。しかし、ご不満や改善の必要な点がございましたら、ご遠慮なく申し付けてください」
「あ、ああ」
そこでシエラははっと気づく。
「おっと、ご依頼の件ですね。お待たせしてしまって申し訳ございませんでした。今しがたのボスとのミーティングで確認しましたところ……」
シエラはそこで一度溜めてもったいぶり、
「単独指名ボス討伐、OKだそうです! やりましたね!」
一転、声を張って大げさなジェスチャで受諾を伝えた。
「久方の人間相手ということで、ボスものほうもそれはもう乗り気で――」
「……」
色よい返事が得られたというのに、ヴォルケインは浮かない顔のままだった。
「どうされました? ……あ、そういえば一緒に討伐に参加される予定の方々とはぐれられているんですよね。こちらも確認を急いでいますが、ご心配でしょう。ボスと一人で戦うのは、ちょっとしんどいでしょうし……」
「それもあるのだが……正直迷っている」
そこでヴォルケインは言い淀んだ。
「?」
らしくなくモジモジとしていたが、やがて言いにくそうに小声で言った。
「なにか、思っていたのと違うというか……」
その気まずそうな口ぶりに何を思ったか、今度はシエラが肩を落とした。
「やっぱり、こういうんじゃ雰囲気出ませんかね……。『ダンジョンぽくない』ってたまにクレーム来るんですよね……」
しょんぼりするシエラに、ヴォルケインは少し慌てた。
「いやいや、そうではない……こともないが、違うのだ」
少しの間ためらったが、騎士は昨夜から抱き始めた迷いを話すことにした。
「悪しきは断じる――その信念のみで私は魔の森を越えてここまで来きた。魔領は人類の敵地、魔物は人を襲う蛮族、古竜王はその首魁だからだ。……だが来てみればどうだ。魔物たちは人のように笑い、食べ、働いている。人間のシエラ殿と。そんな者たちが、果たして乗り込んでまで倒すべき敵なのか?……と思うと、無闇に剣を向ける気にはなれんのだ」
ヴォルケインの思いをどう受け止めたのか、ややあってシエラはにっこりと笑った。
「ヴォルケイン様はお優しいのですね……ですが、舐めないでいただきたいです」
「!」
彼女の笑顔に不敵なものが混じるのを見て、ヴォルケインはぎょっとした。
「事実、魔物が人に害をなさないわけではありません。気が良くても、真面目でも、血と闘争を好むのが魔物の本道です。ですから、昨日笑顔を向け合った相手と、今日命を取り合うのだって上等です。なんたってここは、ダンジョンなんですから」
「うぬぬ……」
若い娘にそう勇ましいことを言われては、何を言い返しても怖じ気たようになる。ヴォルケインは言葉を継げなくなった。だがその顔にまだ迷いがあると見たダンジョン受付嬢は、譲歩案を出した。
「まあまあ、すぐに結論を出さずに、お仲間のことが分かってから考えてもよろしいのではないのでしょうか?」
「う、うむ……」
当然ともいえるシエラの言葉で、否応なく事態はペンディングとなり、ヴォルケインも話を終わらせるほかなかった。
ここまでの会話の間も、シエラは少しも手を止めることなく仕事を進めていた。
「……」
開いた帳面程度の黒い磨き上げられた石板――タブレットから、表示が次々浮かび上がっては切り替わっていく。ヴォルケインはその様子を改めて不思議そうに見つめた。
「話は変わるが……昨日も気になっていたのだが」
「はい?」
「それは……魔法か?」
「あ、これですか?」
彼女が操作しているタブレットは、ヴォルケインの知識にないものだった。その役割も原理も、想像がつかない。となれば、魔法と考えるほかなかったのだ。
「魔力を利用しているので、魔法と言えなくもないですが……ただの道具です。同様の装置や記録庫と繋いでネットワークを構築して、通信のやりとりや記録の閲覧ができるんです」
「ね、ねっとわーく?」
昨夜ぶりに新たな謎の言葉が出てきて、ヴォルケインは面食らう。
「元はリブトランで開発されていた、電信技術のアイデアを、魔力で応用したものです。リブトランで実用化できていたのは音声までだったんですけど、ここでは映像などの複雑な情報のやりとりさえも可能になりました。魔力ってすごいですね!」
ほとんど何を言っているのかヴォルケインにはわからなかったが、ある名前だけは聞き取った。
「リブトラン? するとそれはシエラ殿が……」
「いえいえ。私はアイデアを提供しただけで、それをたちまち具現化したのはダンジョンの魔導師と技師の方々です。昨日古龍王様たちが行っていたリモート会議も、これによって実現したことなんですよ」
「はあ……」
(さらっと言っているが……秘書や受付なんかより、はるかに魔領に大変革を起こしているのでは……?)
ネットワークによる即時の情報のやり取りが、ダンジョンの効率化の根幹を担っているだろうことはヴォルケインもさすがに理解して、呆然となった。これがダンジョン内や古竜間のみならず、魔領全域に広がれば、魔領の在り方そのものが根底から変わるだろう。
(それどころか……)
「あ、ちなみにこれは魔力濃度の濃い魔領とその近隣でしか機能しません。人界で利用可能な電信技術はリブトランごと消滅してしまったので、最低でもあと五十年、いや百年は実現不可能です」
ヴォルケインの思惑を見透かしたようにシエラが付け足した。
「――と言っていたら、エトラ村から通知が来ました。あそこは魔領に近いので、軽いデータならやりとりできるんです」
「エトラ……経由地となっている村か。ん? ちょっと待て。その村はシエラ殿を……」
昨夜聞いた話によれば、二年前、彼女を生贄にしてダンジョンに捨てたのが、エトラ村だ。
「今では人界最後の経由地としてご協力いただいています」
ヴォルケインの肩眉が上がる。
「一方的に魔物を恐れ、新しい物もよそ者も受け入れぬ、閉鎖的な村だったのだろう? それに恨みこそすれ協力を請うなど……」
「それはそれですよ」
シエラはこともなげに言った。だが、また不敵な笑みを浮かべ、
「ま、最初は魔物の方々を率いてちょっと威しましたけど。案外素直に聞いて頂けましたよ」
と言うのだった。
「それに村のメリットが明確になると、それまで村に不満を抱えていた若い方が中心となって進んで協力していただくようになりまして、今では対等な友好関係を結んでおります。ふふっ」
思ったよりもしたたかな彼女の態度に、ヴォルケインもタジタジになるほかなかった。
「う、うむ、あいわかった……。そ、それで村からは?」
「お喜びください。討伐隊らしき方々が、村の近くで逗留しているようです」
「なんと!」
「こちらの方に見覚えがありますか?」
そう言うと、シエラにだけ見えていた表示の一つが大きくなり、ヴォルケインに向けられた。そこには一人の騎士らしき人物の顔が表示されていた。
「おおっ、シーバ副隊長! 無事であったか!」
「どうやら正規のルートを辿ってこられたみたいですね。他にも多くの方がいらっしゃるようです。詳しくは直接ご連絡したほうがよろしいでしょう。村へはここから馬を使えば半時間ですが、手紙ならすぐ遅れますよ」
それを聞いてヴォルケインの目が輝いた。
「おっ、するとそれを使って――」
タブレットを期待の目で見つめる。だがシエラは静かに首を振って、きっぱりと言った。
「いえ、こちらは重要技術のため、部外者の使用は禁じられています」
「……そ、そうか」
先進技術と魔力の融合した未知のシステムにちょっと興味が湧いていたヴォルケインは、少し、いやかなりがっかりした。
「ですので――」
シエラは屈んでカウンターの中を探る。
「――アナログで」
起き上がったシエラの手には、紙とペンがあった。
「あ、穴……?」
――そうして、ヴォルケインがしたためた手紙は、大鷲によって運ばれていった。
「お返事早く来るといいですね。その間は……そうだ!」
「なんだ?」
「すぐお返事が来るとしても、多少はお時間はかかりますし、一度戦闘抜きで「会談」という形でボスと対面されたらいかがですか?」
「……は?」
「討伐をするにしろしないにしろ、ボスに直接会って損はないでしょう? それで部屋の財宝の山を見たり、万が一弱点とか見つけたりしたら、やる気になるかもしれませんよ!」
「え……ええ!?」
古竜城から南へは、今やは整備された道がある。境界を越えて人界へ入ってすぐ、その道を挟み込むようにエトラ村はあった。道沿いには食堂や土産物屋、宿屋が並び、辺境の地としては異例の賑わいである。ダンジョンにまで訪れる人間は減ったが、魔領を目前とする便のいい観光地として、村はそれなりに繁盛していたのだった。
そして今、いつもにもまして人の数が多い。
その理由は、村に隣接する草原にバスクテリアの兵たちが陣を敷いているためだった。
その陣の中央にひときわ大きなテントがある。そこが古竜討伐隊の本陣だった。
テントの中央には長いテーブルが置かれ、騎兵、重歩兵、砲兵他、各部隊の長が囲っている。騎士二十名の規模だった最初の時とは、格段に大所帯になっていた。
テーブルの最奥に、新たな討伐隊隊長となったシーバが、彼らのやり取りを満足げに見守っている。シーバはヴォルケインの下で前討伐隊の副隊長を務めていた男だ。
ここに至るまでは、幾つかの紆余曲折があった。
そもそも、古竜王の討伐は、度重なる失政から皇国民の目を逸らすために打ち出された奇手であった。
バスクテリアには現在、外敵らしい外敵はいない。大陸の東の端にあって、主要な大国とは離れているうえ、西側には魔領、東側には海があって天然の要害のとなっている。北の小国群とも、南の諸部族とも友好な関係を築いて久しい。
そこで魔領であった。バスクテリアはその立地から、魔領からの脅威と戦い続けてきた歴史がある。それも数百年前までのことで、長く魔領からの侵攻は途絶えているが、残された記録や伝承によって、人々の心の中には彼の地への恐怖が刷り込まれていた。
古竜王グレンを目標としたのは、それがバスクテリアから最も近い「魔領の象徴」であることと、彼のダンジョンに眠るという莫大な財宝が皇国民の興味を引くと目論んでのことだった。
……だが。精鋭二十名による初期討伐は、古い記録を頼りにバスクテリアに隣接する魔の森からの侵入を試みたものの、早々に遭難した。撤退を余儀なくされたうえ、最大戦力である隊長・ヴォルケインを失ってしまったのだ。実情は、頭抜けたタフさを頼りに周りを省みずに突き進む隊長と、過酷な森にすぐに音を上げた隊員との差が開き、早々に互いを見失ってしまっていたというのが本当のところだが、それはお互いに気付いていない。
ともかく大失態である。討伐計画も国政も、絶望の淵に立たされた。
だがひょんなことから、南の街道からダンジョンに通じる道があるという俄かには信じがたい噂を聞きつける。しかも半信半疑で先遣隊を出して確認して見れば、それは紛うことなき真実だった。
これによって事態は急転した。
道があるというのならば、少数精鋭に頼る必要はない。騎馬が使えるし、重装備の歩兵も導入できる。なにより、最近同盟国より導入した移動式の大砲を運び込める。
結果、実に千を超える兵力で古竜城へ討ち入ることになったのだった。
(文明と数の力をもってすれば、野蛮な魔物など物の数ではない)
シーバは一人ほくそ笑んだ。
(これぞ僥倖! こうなってみれば、腕が立つばかりの脳筋隊長が消えたことも幸い。新隊長の席が転がり込んで来たばかりか、大部隊を率いることになるとは。出世の道がようやく開けた!)
シーバ自身もそれなりに優れた騎士ではあったが、同期に異常に優秀な者がいたために霞み、手柄の多くももっていかれ、昇進のチャンスをことごとく奪われていた人生だった。だがそれも目の上のたん瘤が消えて、急転した。
(ありがとうヴォルケイン! お前の命は無駄にはしない!)
「あのー」
テントの入口から声が聞こえた。
「シーバ副隊長という方はおられますかね」
見れば入口から、老人が顔をのぞかせていた。
「私は隊長だ!」
現隊長はつい声を荒げるが、老人は気にする様子もなく中に入って来る。
「ん? 村長かね。村の協力は感謝するが、今は軍議中だ。立ち入りはご遠慮願いたい」
シーバはしっしと手を振って出ていくように促した。
「いやあ、貴方宛てに手紙が届いてまして」
「手紙? 誰から?」
「えーと、ヴォルケイン討伐隊隊長――という方から」
手紙を少し目から離しながら送り主の名を読み上げた。
「は?」
思わぬ名に、テント内は俄かにざわついた。
シーバはひったくるように手紙を受け取った。
(この筆跡、印章……確かにヴォルケインのもの)
「これはどこから……?」
「古竜城からですな」
「こりゅう……ってダンジョン!?」
わけのわからぬまま、シーバは手紙を読み始めた。
(あの森を一人で生きて抜けただと? いや、あの脳筋ならありえるか。……しかしなんだこの内容は? ダンジョンに逗留中? 潜入中という意味か? それにしたって)
「隊長が?」
「生きてた?」
「今どこに?」
テーブルを囲む他の騎士たちが口々に囁くのが聞こえる。シーバは一瞬恐ろしいほど渋い顔になったが、幾つもの検討を重ねた末、やがて笑みを浮かべた。
「これは好機だ」
顔を上げて、騎士たちに言う。
「この状況を利用させてもらおう」
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