第8話 三つ葉の三重奏

 登場して迎えられた拍手の後、無言で席につく三人。

 美龍がラの音を鳴らすと他の二人がチューニングをし始める。

 スポットライトの光はピアノの白鍵に黒鍵の美しい影を落とす。

 その影を見ると今客席の前に立っているという実感が湧くのだ。

 李里奈を見ると目があった。彼女は尊にも目配せをすると目を瞑る。そして、息を吸い最初の一音を、始めた──。




 チェロの叙情的な旋律から曲は動いていく。李里奈が一番拘った場所だ。

 そして次々とその旋律が受け継がれていく。受け継ぐ二人は李里奈のこだわりに合わせて音をつないでいく。

 中間部、激情的な部分をピアノが情熱的に弾き切り、二人もその後押しをする。

 最初の旋律が戻ってくるが、それは最初のものとは違って情熱的な部分を残したものだ。

 そして音楽は軽やかで優雅な部分へと移り変わっていく。ここは尊と李里奈、そして美龍の掛け合いがものをいうところだ。

 尊がどうしてもこの解釈で弾きたいと強く主張したところでもあったので、それに見事にこたえた李里奈の後を美龍が追いかける。

 再び最初の旋律が、しかし今度は前とは違って少し悲しげな表情だ。ここは美龍が一番好きな場所で、ピアノと二人との掛け合いが終わった後、ヴァイオリンが美しくも悲しい音を伸ばし続け、そこに最初の旋律をチェロが重ねていく。それをピアノが支えるのだ。

 また軽やかな旋律が続いたかと思うと、音楽は次第に熱を帯びていく。

 ピアノが一人で上から技巧的な和音を披露すると、今度はヴァイオリンが主旋律を弾いていくのだ。

 そしてフィナーレへ。美龍の技巧的な音の流れに合わせて二人が真剣についてくる。尊の弓毛がちぎれ、三人の首筋に汗が滴ってもその熱は止まらない。

 すべての音がキラキラして聞こえた。一音一音が楽しかった。

 一楽章最後の一音。

 息が上がる音。熱した空気を冷ますように呼吸を整えると美龍はページをめくった。

 そうしてまた、美しい旋律を奏でだすのだ──。


 暖かい拍手。観客席の人はまばらでも、そこに伝わった情熱は感じられる。

 私たち三人はみんな、音楽が好きなのだ。

 今ならそう胸を張って言える。

 それはこれからもずっと、変わっていくことがない事実だろう。

 後ろのほうの席に、黒づくめの人影が見えた。拍手をしている先輩まで自分たちとお揃いの服になってしまった気がして、三人は目を合わせてくすりと笑う。

 そして、終演の幕が閉じたのだった。





 ******






 数年後──。


「李里奈まだ水飲んでるの? もう開演ブザーなっちゃうよ!」

「あと一口! 水分不足で死んじゃう!」

 彼女はペットボトルの水を飲み干すと勢いよく立ち上がる。

「あはは、でも李里奈のそれがないと本番って感じがしなくなってきたよね」

「ちょっと、私をルーティンの一部にしないでよ!」

 そして、三人はお揃いのリボンを見合わせて微笑んだ。

「行こうか!」


「今日は、本日はお忙しい中、足を運んでくださってありがとうございます」

「僕たち三つ葉トリオのコンサートも今回で十回を迎えました。これも皆様の応援のおかげです」

「そんな十回という節目を記念して、私達の思い出の曲から始めたいと思います。皆さんも良くご存知のこの曲。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲一番。どうぞお聞きください」

 チューニングが終わり、そして──。

 また、彼らの三重奏が始まるのだった。

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三つ葉の音色 風詠溜歌(かざよみるぅか) @ryuka_k_rii

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