第3話 三つ葉
「はじめまして! 僕が柳沢先輩にお声かけした
「チェロの
チェロを片手に深々とお辞儀をしたのは手入れのされた長い髪をハーフアップにした美しい少女で、もう一人の青年は人懐こそうな表情でにこにこしている。
「はじめまして、印南美龍です」
美龍が尊につられて微笑むと、彼は飛びつくように喜んだ。
「今回は引き受けてくれてありがとうございます! メントリ一番全楽章なんてなかなか弾いてくれる人いなくって……」
「え、全楽章? あと私まだやるとは」
美龍の言葉を聞いてか聞かずか、李里奈が口を挟む。
「私のわがまま。トリオを組むならこの曲ができるメンバーじゃないと嫌なので。でも、柳沢先輩から印南さんなら大丈夫だって聞いてるからこれで一安心です」
そういった李里奈の微笑みは花のように可憐で、明らかにメンバーの一人として数えられている美龍は苦笑いを浮かべる。
「まだ今日は顔合わせですが、次からは早速合わせをしたいです! 一気に全部は譜読みも大変だと思うのでまずは一楽章から。二人ともそれで大丈夫?」
尊の手際のいい仕切りに李里奈は頷き、流れで口を挟む余裕のない美龍もそれに従う。
最初の合わせの日程を決め、その日彼らは解散したのだった。
「どうしよう……」
自宅のピアノの椅子に座った美龍は深いため息をつく、メンバーが見つかったと嬉しそうな二人の前では結局話を聞きに来ただけとは言えず、次に練習する日程まで決めて帰ってきてしまったのだ。
「メントリか……」
メンデルスゾーンのピアノ三重奏第一番。
全四楽章からなるそれは二つあるメンデルスゾーンのうちでも有名なもので、叙情的で美しいチェロとヴァイオリンの旋律とピアノの技巧的な音形がえも言われぬ感傷を呼び起こす名曲だ。
実を言うと美龍はこの曲の一楽章はかつて弾いたことがあった。それは美龍が高校二年の夏で、そのとき習っていた先生のつてで、室内楽の講習会に参加していたのだ。
合宿形式のそれは非日常の中で音楽に没頭できる貴重な経験で、美龍はカンカンと照りつける太陽の下その日のレッスンの反省点を考えながら練習室へと向かい、ついた頃にはヘロヘロになっていたことを覚えている。
そのときやっていたのがこの曲で、美龍にとっては思い入れのある曲だ。初めて触れたピアノ三重奏の曲で技術だけではなく音楽性も求められるもので、美龍は必死に練習した。
「美龍ちゃん、曲を通す前はまずチューニングするから、ラの音をもらえる?」
そう優しく教えてくれたのはヴァイオリンを担当していた講師だった。一口に <ド> や <レ> などの音と言ってもその中にも高い低いと言う音程が存在する。
ヴァイオリンとチェロ、そしてピアノで構成されるピアノ三重奏では調律をあらかじめされているピアノだけが音程を変えることができない。
だからピアニストが真ん中のラの音を弾いて、他の二人がその音を基準にチューニングをしてから演奏を始めるのだ。
それがなければ音程がぐちゃぐちゃでちぐはぐな演奏になってしまう。
そう言うアンサンブルでの基本的な知識も、美龍はこの講習会で得ることができたのだった。
とはいえ、ピアノは卒業以来弾いていない。そんな自分が今更、いいのだろうか。
試しに、試しに最初だけ……。
「あっ……」
その夜、三人の連絡グループには美龍からの一通のメッセージが入っていた。
『改めてよろしくお願いします』
そうして、彼らの三重奏は軽やかな旋律を紡ぎ出したのだった──。
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