3(10月15日)

「ハッピ……」


「はァアっぴーばーすでェーとぅーゆー」


「は……」


「はァアっぴーばーすでェーとぅーゆー」


「……」


「はアァッぴーばーすでーでぃあ~お~れ~」


「…………」


「はァアっぴーばーすでェーとぅーゆぅううっ」


 サトウがクセも強めに自らのバースデーソング歌い上げるのを、タクミは向かいの席から静かに見守っていた。渋い顔をしている。


「なに、ちょっと、歌ってくんないの!? そういうお年頃!?」


「いや、サトウの歌が下手過ぎて……ちょっと合わせられませんでした」


 タクミが気まずい様子で答える。

 パーティー用の三角帽をかぶり、肩を弾ませながら熱唱する中年男に、引いていたわけではないらしい。


「そうか? 音楽には自信あるんだが……うおっ!?」


 タクミがやっつけ気味に、手にしていたクラッカーを鳴らした。


「はい、はい、おめでとうございます!」


「おう。ありがとな」


「お誕生日、知らなかったのでプレゼントなんて用意してないんですけど」


 サトウと揃いの三角帽を頭に載せられたタクミが、申し訳なさそうに切り出した。


「え? そんなのいいよ」


 いつものようにサトウの家を訪ねたところ、テーブルの上にホールケーキが置いてあった。


 真ん中のチョコプレートには、サトウの名前。

 それでタクミは、初めてサトウの誕生日を知ったのである。


 あの約束から、半年後のことだった。


「下着とか、どうですか」


「パンツ? なんで?」


 小学生がオッサンに贈るプレゼントにしては実用的過ぎる。

 サトウの中では、折り紙か似顔絵が定番かと思われたが、最近の小学生はなかなか進んでいるようだ。


「胸に付ける三角のやつでもいいですよ」


「おい、なんの話だ」


「え? ですから、僕のお母さんの……」


「やめろッ」


 それ以上は絶対に言うな。


 あまりに強い語気で禁じられたため、タクミは続きを諦めた。

 サトウによって不格好に切り分けられた、苺のケーキに手を伸ばす。


「ほら、タクミ。どんどん食え」


「はい。サトウはもう食べないんですか?」


 サトウは六分割したケーキを一ピース食べたきり。


 ふたりしかいないので、小さめのホールを選んだとはいえ、砂糖たっぷりの生クリームが胃に重く圧し掛かる。


「俺はもうトシだからな……って、言わせんなよ」


「あはは。そういえば、サトウっていくつなんですか?」


「今日で四十だよ」


 苺に噛み付こうとしていたタクミの口が、ぽかんと開いたまま、固まった。

 小動物を彷彿とさせる黒い目が、真ん丸に見開かれる。


 まばたき。


「おいおい、そんな驚くか? タクミの母ちゃんより少し上かな」


「ぼくのお母さんは二十七歳です」


「えっ、あ、そう」


「ぼくが思っていたより、若かったです……」


 そう言ったタクミは、少し残念そうだった。


 サトウはわけがわからない。

 深く考えるほどのことでもないような気がした。


 どうせ、この無精ひげのおかげで、老けて見られていたのだろう。


「俺さ、誕生日を祝うの、もう三年ぶりだよ」


「え?」


「嫁さんと子供がいなくなってさ、ずっと忘れてたんだ。なんかいいよな、こういうの」


「そうですね。お父さんと息子って、こんな感じでしょうか?」


「かもな。俺はタクミのこと、自分の子供みたいとか思ったことないけど」


「ぼくもないですね。ぼく、お父さんには会ったことないですけど、たぶんイケメンだと思います」


 ひでえ、とサトウは笑った。

 大きな手を、タクミの柔らかな髪に伸ばす。


「これからも、こうして元気でいてくれよ」


 成長するにつれ、タクミはこの家に寄りつかなくなるだろう。

 新しい友達ができて、サトウの存在などきっと忘れてしまう。

 忘れられるだけならまだましだ。

 ある日突然『オッサンキモい』と言われる可能性もある。


 それでもいい。

 元気に生きてさえいてくれれば。


 死にたいと願っていたその気持ちごと、忘れてしまえばいい。

 半年前にした、ノートの約束だって、いずれどうでもよくなる。


「ふふふ。なんですかそれ」


 苺の先端をかじりとって、タクミは笑う。


「ぼくはいつだって元気ですよ」

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