障がいを抱えていてもやってみなさい

ある日、OJTの園上さんと話していると、急に涙があふれ出てきた。涙が止まらない。どんどんあふれ出てくる。園上さんが目を丸くして驚いた顔をして声を掛けてくる。

「どうしたんですか? またどこか悪いのですか」

 うえーん、としか声が出ない。

「言うことも仕事ですよ」

 泣きながら声を絞り出す。

「わからないです。わからないです」

「ちゃんと言わなきゃ分からないですよ」

「園上さんは精神障がい者に怖いとかそういう感情はないんですか?」

「人間ですからいろいろ心も病むこともあります。僕もいろんな人を見てきましたから。怖いとかの前にそういうことあるよねって思ってしまいます」

「憧れの校正の仕事を任せてもらえるなんてまさか思いませんでした」

 そこでまた涙があふれでてきた。園上さんは僕の目をじっと見つめそして言う。

「今までいろんなことがあったと思います。そして今も。だからそのやるせないとか辛いとか怒りとか憎しみとか喜びとか全て感じている感情を今やっている仕事につぎ込んでください。分かりましたね」

「はい」


 地図校正をしていて間違っているところを見つけた。本当に間違っているか何回も確認する。確かに間違っていた。右手に置いてあった赤ペンを手に取る。手ががたがたと震える。呼吸が乱れる。体内が新鮮な空気を欲していた。はあはあと息をする。心臓がどくんどくんと鼓動するのが身体で感じる。心臓の音がうるさすぎて周りに聞こえていないか心配である。

怖い。怖い。


 原稿に赤字を入れるのが怖い。幼少期から本を読み続けていてさらには10代のころから自分で自作の小説を書くようになっていた。だからこそ原稿に対して憧れが強すぎるのだと思う。

 それに今まで勤めていた会社でそこの社員の人に

「お前、障がい者だから難しい仕事なんてできないだろ」

「私を追いかけるなんて出来るはずないじゃないですか。あなたが今の私に追いつく頃には私はもう死んでいますね」

「障がい者が知ったかぶりするなよ」

 そんなことを言われ続けている内に自己肯定感がどんどん下がりいつしか、

「僕は障がい者になってしまいました。存在していてごめんなさい」

「あなたの視界の一部に映ってしまいごめんなさい」

「道の端っこを歩いて生きていきます」

「障がい者は、仕事できません。雑務をして細々と生きていきます」

 そんなことを思うようになってしまった。だからこそ蒼風文社のこの部署のみんなが一人前に見られているかはわからないが普通に接してくれて本当にありがたいのだ。またどんどんといろんな仕事を任せてくれる上司やOJTの園上さんや部署のみんなに感謝の想いしかなかった。


 赤ペンを手に持つ。


 今まで自分のことを応援してくれた中学時代の塾の先生、高校時代の先生、精神科の病院の先生、自分が夢を追うことを認めてくれた両親のことが頭に浮かぶ。


「やってみなさい」


 声が頭の中に響く。身体と心がカアッと熱くなる。

 震えた手で赤字を入れた。


  胸がざわめく。もう一箇所赤字を入れる。胸が高鳴る。心臓がばくっばくっと鼓動する。(僕校正やってるんだ)。


 次の日から校正を頑張る。今まで清掃とか農業とかばかりだったので正直目も疲れるし頭も疲れる。というよりもどこかで障がい者になってしまったことであきらめていたのかもしれない。


 一文字一文字赤字を入れることで毎日価値観が書き換わっていくのを感じる。

 業務が終わる頃にはくたくたであった。


 そして2ヶ月後日本地図の校正が終わる。最後の一枚を提出する。ただ漫画とかみたいにやったぜとかにはならなかった。まるで暖かい春の日の海に穏やかに打ち寄せるサザ波のようだった。しばらく、ぽけー、としていたら園上さんに資料を机の上に置かれた

「次これお願い」

「はい」

「あとこれは言っておく。心して聞いておくように!」

「もう障がい者だからって壁を作っちゃだめだよ」

「はい」

「障害を抱えているからできませんではなくて、障害を抱えている。だからこそ頑張りたいんです、のほうが僕は人間として好きだな」

 園上さんは鼻の頭をかいている。メモ帳を取り出して今いった言葉をメモする。園上さんが、

「わかったなら早く次の仕事してください」


 帰ってからノートを開く。そこに感情を込めて今日合った出来事を描く。校正の職人の魂を手に入れてやる。創作意欲が湧いて小説のプロットをノートに書きとめていく。


 そういえば会社で最近気になる話を聞く。作る本が売れていないのだそうだ。出版業界自体が不景気になっていっているらしい。社員のみんながぴりぴりし始めていて少しずつ社内の空気がおかしくなっていっているのを感じていた。

 不安になって園上さんに聞く。

「本が売れていないのですか?」

 園上さんは顔をこわばらせる。

「君が心配する必要は無い。君はしなければいけないことをやりなさい」

 園上さんはいつもの通りにパソコンとにらめっこしている。


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