僕は煩悩だらけの人間だ

ふと人と話していると、

(こいつぶっ殺したい)

(ボールペンで心臓を突き刺したい)

とか思ってしまうことがある。そんな恐ろしい考えを持つ自分に恐怖し絶望した。

(自分は犯罪者になってしまうんじゃないか?)

 もう精神科の病棟の一室に隔離して欲しいとさえ思った。


 はしを持つのが怖い。なにか恐ろしいことをしてしまいそうで

 ボールペンを持つのが怖い。ボールペンで心臓を突き刺したいと思ってしまう僕のこの感情が怖くて。

 人と話すのが怖い。こんな醜い感情を持った僕に話しかけてくれる人を傷つけてしまいそうで。

 消え去りたい。ずっと布団の中でうずくまっていたい。ずっと自伝的小説を書いていたい。僕のこの感情は何なんだ。憎いのなら分かる。よくしてくれる人に対してもふっとこいつぶっ殺したいとかボールペンで突き刺したいとか思ってしまうのは間違っていると思う。自分のこの感情が憎い。この醜く汚く破壊的な感情は?


 僕は狂っているのか?

 僕はやっぱり化け物なのか?

 僕はやっぱり中学校の先生に言われたとおり、醜くおぞましい汚物で社会不適合者なのか?


 僕は狂っている。辛いよ。こんな狂っている感情を持っている自分がおぞましい。会社でOJTの園上さんに昼飯のときに相談する。この日は生姜焼きだった。

「園上さん?」

 園上さんは味噌汁を飲んでいる。一息ついてから

「何です?」

「園上さんはこいつぶっ殺したいとか思ったときあります?」

 園上さんはしばらく固まっていたが、

「疲れていらいらすることはありますね。こいつぶっ殺したいとかは思ったことないです」 やっぱりこの感情は、殺意は異常なんだ。僕は異常者なんだと思うと急に心が重たくなってくる。身体が重たい。


 僕は異常者なんだ

 僕は異常者なんだ

 僕は異常者なんだ


 頭の中でこの言葉がリンゴンリンゴンと響く鐘の音のように反復されどんどんその思考が大きくなってくる。昼休みが終わる頃には身体が冷え切っていた。


 すぐさまいつもの個人病院の心療内科に電話する。次の日に予約をする。OJTの園上さんに話しかける。

「すみません。今日は体調が悪いので早退します」

「なにかあったのですか?」

「メンタルで少し病んじゃって薬を調整してもらいます」

「分かりました。お大事に」

「あと明日病院に行くので午前休を使いたいのですが?」

 園上さんはじっと僕を見る。僕は疲れ切って寒さと対人恐怖症で震えている。園上さんが口を開いた。

「さぼりじゃないですね?」

「はい」

「分かりました。お大事に」

 それからかばんを手にそそくさと帰る。


 考えがネガティブ思考になっている。この人からもあの人からも嫌われている。会社の人みんなから嫌われている。住んでいる町の人全員から嫌われている。日本中が敵だ。


 怖い。怖い。消えてなくなりたい。こんな重く辛い生き方しか出来ないのならいっそ・・・・・・死んでしまった方がよくないか?


 急いで帰り、布団に潜る。手足を縮こまらせて。


 寒い。寒い。寒い。凍える。寒くて震えて凍死してしまいそうだ。あまりに寒いので冷蔵庫からコーンポタージュの粉を取ってコップに入れる。そしてお湯を注いでかき混ぜる。ゆっくりと飲む。温かい。眠くなってきた。毛布にくるまって眠った。眠りながら涙がぼろぼろとこぼれ落ちていた。


 次の日例の心療内科の病院に診察に行く。ドアを開けると先生がお疲れ様と言って迎えてくれる。

「先生、僕は精神病棟に入院した方がいいんでしょうか?」

「どうしたの? また急に?」

「人と話していてふっとこいつぶっ殺したいって思ってしまうんです。僕は異常者ですか?」

 先生は黙って聞いている。

「ボールペンがあったらぶっ刺したいとか思ってしまいます。自分が怖いです」

 先生はカルテに何か書いている。そしておもむろに口を開けてしゃべり始めた。

「人間だから感情があるのは当たり前です。その考え方は異常じゃないです」

「はあ」

「その考えをすることによって怒りとか疲れの息抜きをしているんです。蒼ノ山さん、君、やかん知っているでしょ? やかんにも空気を抜くところがありますよね。人間もやかんと一緒です。たまには息抜きしないと爆発しちゃうんです。だから別に大丈夫ですよ」

 先生は話し続ける。

「それにね。思うだけなら大丈夫なんです。それを行動しちゃったら犯罪者です。思うことと、それを実際に行動に移すことは天と地ほどの善と悪があります。それにね、蒼ノ山さん君疲れているんだよ。疲れると感情がどろどろと濁り切ってしまうよ」

「思うだけなら大丈夫なんですか?」

「人間だから」

「自分も疲れているんですね」

「そうそう。だから自分を責めないであげてね。そういう自分のことも認めてあげられると君はさらに成長できるよ」

 そうか僕は疲れているんだ。なんか安心した。

「ありがとうございました。気が楽になりました」

「またいつでも相談に乗るからね」

「はい」

 そしてそのまま会社に向かう。自分の席に座っていると、OJTの園上さんは僕が横に立つと

「どうでした? 病院は?」

「疲れているだけですって」

 園上さんは机の下に置いてあるペットボトルに入っているお茶を口に含む。

「まあ人間だからいろいろあるわな」

「はい」

「じゃあ仕事できる?」

「はい」

「じゃいつもの仕事に戻って」

 またいつもの日常に戻った。いつかこの器の小さすぎる自分も自分の一部だって認めてあげられたら生きるのが楽になるかもな、ってふっと思った。


 僕は悟りを開くなんておこがましい。

 僕は煩悩だらけの人間だ

 怒り、憎しみ、憎悪、喜び、悲しみだらけの垢にまみれた人間だ


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