芸術人
大学を卒業した辺りのころ、ある友達に姜尚中先生の『続・悩む力』を勧められた。その友達も精神病を患っている。その友達が『続・悩む力』に救われたというのだ。そこで僕もその本を読む。ある一文に目が釘付けになった。
漱石やウェーバーやジェイムス、フランクルたちの共通性に触れて、あらためて思うのは、文学、社会学、心理学、精神医学といった領域の違いにもかかわらず、四人とも、「人間とは何か」という根本的なテーマを見失うことはなかったということです。自我や自意識、さらに悩みや苦悩が問題になるのも、そのような普遍的なテーマとかかわっています。面白いことに、ジェイムスによると、人はギリギリ何かの瀬戸際に立たされたとき、「宗教人」なるか、「芸術人」になるか、どちらかに分かれるそうです。
ある人々は徹底的に自己否定して、地獄のような苦悩のなかに落ち込む。このタイプは宗教型だそうです。反対に、ある人びとは絶対的に自己肯定して、それを作品表現として昇華する。こちらは芸術家タイプです。
僕もぎりぎりの生きる瀬戸際まで追い詰められて統合失調症になった。そして社会からつまはじきにされていらない存在だよと言われた。そこで自分って何者なんだろうって思った。それが自然だと思う。普段から汚いもの、不潔なもの、忌むべきものとして見られて社会からいないものとして扱われるのだから。自分の存在が揺らぐのだから。僕も自分とは何者かを見つめ直すために本を読み、自伝的小説を書き始めた。それまでも童話などを書いて勉強していたがそのころから内面を見つめ直すようになった。
夏目漱石先生の『野分』という本は人生の指南書になった。
芸術にも興味を持ち始めて池袋にあるジュンク堂にもたくさん行った。そこでは岡本太郎先生の本にも出会った。そのころなんで生きるのだろうとかそんなことも考えるようになっていた。だから岡本太郎先生の『強く生きる言葉』というタイトルに引かれて本をめくってみたのだった。
そこには、
「ぼくは口が裂けてもアキラメロなどとはいわない」
「人生とは、他人を負かすなんてケチくさい卑小なものじゃない」
「人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか」
いつしか時間を忘れて本を読みふけっていた。涙を流し指で文字を追いながら歯をくいしばっていた。
それからは岡本太郎先生の本を買いあさった。
何年か経った後、上野の美術館で岡本太郎展が行われることになった。友達と一緒に見に行く。
当日、岡本太郎展の入り口には長蛇の列が出来ていた。並ぶ。胸がわくわくした。岡本太郎先生の描いた作品を見られるんだ。あのあこがれの岡本太郎先生に。
受付でパンフレットをもらう。そこには岡本太郎先生が目を思い切り開いてこっちを見ていた。もう駄目だ。涙がどんどんあふれ出てきた。
絵画はどれも刺激的だった。蝶ネクタイに傷だらけの腕の絵画が印象に残っている。本人が苦しんだかどうかは分からないが、僕はその絵を見て岡本太郎先生も苦しかったんだなあって思った。岡本太郎の本にも岡本太郎はテレビによく出ていたがコメンテーターや評論家などから思い切り馬鹿にされていたのだという。そのエピソードも頭に浮かんだからであろうか胸が苦しかった。
「岡本太郎先生も苦しかったんだろうな」
ぼそっとつぶやく。友達は無言で目を見開いて絵を見ている。絵はなんというかエネルギーが吹き出していた。一つの絵を見るだけでも情報過多になってしまい疲れ切ってしまう。ひとつひとつの絵の印象は覚えていない。覚えているのは岡本太郎の絵にはエネルギーというか生命というのかが吹き出していることだった。美術館を出てから友達と話し合う。
「すごかったな。なにがってことじゃないが」
「やっぱり岡本太郎先生ってすごいな」
二人して売店のベンチに座ってほてった頭を風で冷やしていた。
「俺たちも頑張ろうぜ」
「そうだね。すごい人を見てすごいじゃ駄目だね」
「そうだぞ。帰ったらイラスト頑張ろう」
「僕も小説頑張る」
ああ、あんなエネルギーとか生命が吹き出る小説を書きたい。僕はぎりぎりの瀬戸際に立たされて統合失調症を患ったんだ。芸術家になるためのチケットは手に入れた。夏目漱石先生が大好きだ。岡本太郎が大好きだ。でも、僕は僕なりの答えを描いて生命の噴き出る芸術作品を作りたい。
僕は芸術家だ。
僕は人間だ。
僕は僕だ。
僕は生涯をかけて僕にしか描けない芸術作品を作る。
生命の噴き出る芸術作品を作りたいのだ。
好きな宮本武蔵の残した言葉に
千日の稽古を持って鍛とし、
万日の稽古を持って練とす。
とある。
その宮本武蔵によると練の域に達するには30年かかるのだという。
一万日÷365日=27年4ヶ月である。
そう考えたら人生は短いのだなとつくづく思った。
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