「会社の人たちが話しかけてくれるようになった」
最近、部署の人たちがいろいろと話しかけてくれるようになった。まずは髪型を角刈りにしている中年男性の速水さん。いつも黒いチョッキを着ている。旅とカメラが好きでよく旅行に行っては珍しい物を写真に納めている。例えばご当地のマンホールとか電車とか建造物である。速水さんはどちらかというと不器用な一匹狼である。会社の催し物には参加しないで仕事が終わったらさっさと帰ってしまう。そして悪口や陰口が嫌いだ。一回ぐちで少し人の悪口を言ったら「お前はどうなんだ」と言われてしまった。その速水さんとの出会い。速水さんが書類をたくさん抱えて僕の机の上に置く。
「仕事お願いできるかな」
「はい。ありがとうございます」
速水さんは少し顔をこわばらせた。そしてつぶやく。
「あなたねえ、ありがとうございますって」
「なんかすみません」
僕もほとんど初めてしゃべる社員の人で緊張して顔をこわばらせている。お互い黙っていると、速水さんが、
「まあ、とりあえず仕事お願いします。この地図の照合作業お願いします」
ほかの会社の照合作業ってどういう作業かは分からないがここの会社での地図照合というのは、地図の索引の番号と実際の地図の場所を突き合わせて合っているかどうかを確かめる作業である。1時間ほどで仕事が終わり速水さんのところに持っていく。速水さんが「はい」と言って受け取ってくれる。自分の席に帰ろうとすると速水さんにこんなことを言われた。
「なんでもかんでも謝ったりしたり、ありがとうって言うな。価値が落ちるよ」
その言葉に衝撃を受けた。仕事を受け取ったらありがとうって言えって昔言われてからずっとその言葉を実践してきたのだ。速水さんは続ける。
「ありがとう。は本当に感謝したときにいいなさい。すみません。は自分が本当に悪いと思ったときに言いなさい。分かったね」
「はい」
「じゃあ終わり」
それからしばらくしてまた速水さんがやってきた。
「この仕事お願い」
「はい、ありが・・・・・・じゃなくて、分かりました」
速水さんはぽかんとした顔をしていたが、にこにこしながら、
「じゃあお願いね」
これ以降も速水さんはいろんなことを教えてくれることになる。速水さんはとっつきにくい。でも本当に僕のことを思って叱ってくれるよき先生の一人だった。
他にも横井さんっていうおじいさんもいた。横井さんは温厚な人である。横井さんは80歳でずっと出版業界で生きてきた方である。今は契約社員で働いている。横井さんはときたまぼそっと僕に注意してくれる。
「朝ご飯は家で食べてきなさい」
「少し運動してやせなさい。糖尿病とか嫌でしょ」
トイレで小便をしたあとに手を洗ってズボンで手を拭いていると、
「ハンカチはきちんと持ってきなさい」
朝、仕事中、睡眠薬が切れていなくてうつらうつらしていると、
「夜は早く寝なさい。朝起きてやりたいことはやりなさい」
横井さんは父親みたいだった。いろいろと小言を言われた。ありがたいけど。
そして僕のOJTの園上さん。園上さんは山が好きな青年である。園上さんもカメラが好きでよく山に登って山の写真を撮っては自分のパソコンの待ち受けにしている。園上さんにもよくいろいろと注意された。これは僕の発言である。
「僕は精神障がい者だから出世できないから仕事はほどほどで良いんですよ」
すると園上さんが顔を真っ赤にさせて怒る。
「その根拠は?」
僕はその言葉を聞いてはるか昔を思い起こす。
そこには精神障がい者の人たちがたくさんいた。健常者はその子会社の社長しかいなかった。そこではいろんな仕事をした。生涯の友とも出会った。農業や野菜販売、セミナーの受付などである。時々、本社に行きそこで書類の整理などを行った。そこでは年若い社員に案内されて中に入る。昼休みその社員と話をする。
「うちの会社ではこうなんです」
「うちの会社では・・・・・・」
暗にあなたと一緒にされたくないと言われているようだった。殺意が湧いた。
「ぶっ殺してやる!」
頭の中ではそいつを何回も殴りつけていた。実際にはしないが。
「こいつ!」
「絶対こいつを見返してやる!」
5年そこで働いたがずっと同じような仕事ばかりだった。ここでキャリアを積んでいくイメージが持てなかった。会社を辞める最後の方にはこんなことを言われてきた。
「ここは訓練だから。あなたは普通の会社に行ったら通用しないんだから」
その言葉を聞いてこりゃ駄目だと思い、会社を退職した。
それからこの言葉が僕の呪いの言葉となった。
「ここは訓練だから。あなたは普通の会社に行ったら通用しないんだから」
その言葉とともに今までのことを園上さんに伝える。
「僕は出世コース、社会のレールから外れました。だからこれからは一生を賭けて芸術をしたいです」
園上さんは言う。
「一言だけ良いですか。全ての道は無限です。何が正しいか分かりません。でも障がい者になって卑屈になって生きるのも人生だし、楽しく生きるのも人生です。あなたはどっちがいいですか?」
「僕は会社人間になりたくない。僕は芸術家になりたい!」
園上さんはまっすぐに僕の目を見ている。園上さんは熱血漢な人であった。まっすぐな人だった。そしてこのまま二人きりの討論会に入っていくのである。
毎日が刺激的な日々であった。社員の人たちも少しずつ話しかけてくれるようになった。ある日、速水さんにぼそっとつぶやかれた。
「お前ってほんとうに不器用な生き方してるよな」
「自分でも本当にそう思います」
「自分でもそう思うか」
速水さんが、ははっとさみしそうに笑った。
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