障がいを抱えて自分って何者ってなった

 友達の家に行った。竹丸の家である。この間僕が倒れかけたときに助けてくれた友達である。5時に会社を退社し、一旦家に帰り私服に着替える。目の前を何かが横切った。小バエかな。夏になるとパックでウーロン茶を作り冷蔵庫に入れておく。その出がらしのパックを三角コーナーに3日ほどほったらかしておくと、小バエが飛ぶようになる確率が高い。一回試してみるといいかもしれない。話のネタとか創作のネタになるかもしれない。ただし自己責任で。そして台所の流し台では置いてある大きめの白い桶の中にはたくさんの食べてそのまんまほってある食器が漬けられていた。

 このまんまじゃいけないと思い食器を洗う。そして私服に着替えて家を出る。ドアのところに掛けてあるホワイトボードでいろいろと確認して。エアコンは切ったか。パソコンはシャットダウンしたかなどである。そのまま友達の家に行く。途中手土産のこんにゃくゼリーを買う。

 友達は家で在宅ワークをしている。DTPオペレーターなのだ。今回行くのもその仕事を勉強させてもらうという理由もある。家に着くとチャイムを鳴らして部屋に入れてもらう。友達はすぐに仕事に戻った。いつになく真剣な表情である。いつも使っているメモ帳を取り出し友達の仕事でのポイントをメモする。


 8時半になり友達の仕事が終わり、一緒に焼きそばを作り分けて食べる。

「どうだ。勉強になった?」

「なった。なった。オブジェクトを動かすときにはマウスは使わないとかすごく勉強になる」

「僕も5年しかDTPの経験がないからまだまだだけどね」

 それから友は気になることを言った。

「お前も天職が見つかるといいな」

 天職か・・・・・・。

 実は言うと、頭の中には自分の書いている小説の事しかなく、働くのは二の次だった。というより、精神障がいにかかって生きること、死ぬことについてたくさん考えさせられた。出世競争頑張ってお金を稼いで人間関係に疲れ切ってもしかしたらリストラにあってといろいろと考えたら、お金よりも大切なものが自分にはあった。


 芸術である。お金は使えばなくなるが、芸術は作れば作るだけ生きた証をこの世界に残せるし自己の障がいの理解や自分の特性なども理解出来る。芸術をやらない理由はない。人はともかく自分は死にかけて社会のレールから外れたから芸術に生きるのだ。お金は家賃と光熱費それに病院代、食費が払えればそれでいい。そんなに恋愛とかセックスとかにも興味ないし。それよりも青春、芸術である。


 次の日、上野にある美術館に絵画を見に行った。


 美術館に行く途中で20代くらいの歌い手の女性がギターを片手に歌を歌っていた。長い髪をかきあげてギターを鳴らす。歌い手は一生懸命に歌う。しかしほとんど誰も足を止めていない。僕は歌い手が気になって売店で買ったサンドウィッチを食べながら観察していた。しばらくすると、その歌い手は下を向き始めた。声もかぼそくなり震えている。そしてとうとう歌うのをやめた。ギターも止まった。どうなるんだろうって思った。女性は胸のあたりに手を置いて深呼吸をすると、また前を向いて歌い始めた。


またギターをかき鳴らし歌い始めたのだった。

僕はそのけなげな様子に泣きそうになりふっと離れて歩き始めた。

そうだ、あんな20代の女性が頑張っているんだ。僕も歩かなきゃ。


将来の道の灯りは暗く

自分が何者になるのか、何者かもわからない

そもそも何者かになれるのかも分からない

何者にもなれないかも知れない。

でも歩んでいくしかないんだと思った

苦しくとものたうちまわろうとも

自分だけの道を歩むしかないのだから

歩いて 歩いて 進むしかないのだ


自分は何者

僕は僕なんだって最近強く思う。

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