主体性を持て!

 染来先生は精神科医である。50歳代であるがその年齢よりも若く見える。考え方が若々しいのである。先生は精神病の僕に対しても一人の人間として接してくれる。それは名医の証ではないかと思っている。診察する際は流行病であるコロナが流行りだしてからは白衣を着るようになったがコロナが流行る前は白衣を着ずカジュアルな格好で患者と接していた。先生の口癖は頑張んなくてもいいよだった。最初は頑張んなきゃ意味が無い。先生は何を言っているのかと思ったが、しばらく病院に通っていると意味が分かった。精一杯頑張って生命の瀬戸際まで追い詰められて精神病を患った人に対して頑張ってというとその精神病の人に対してさらに追い詰めてしまうからである。最悪の場合、自死などの生命の危機まであることもあるらしい。だから先生は頑張んなくてもいいよというしかないのかなと今では思っている。僕も自覚はないのだが、自死とかしてしまうかもしれないという張り詰めた空気というものを持っているのかも知れない。


 今回の話はそんな精神の持病の主治医である染来先生との話である。染来先生はよく最近僕にこんなことを言ってくる。


「君、君、人は全ての人に好かれることはどっちにしたってできないんだよ。自分の事を好きな人はそりゃいるし、また自分のことを嫌いな人は自分の行動でいいことやっても悪いことやっても結局嫌うし。すべての人に人格者に見られることは幻想なんだよ。だからいい人に見られようと努力しようとすることをしなくてもいいんだよ。それはまたできないことなんだよ。自分の大切な人にだけいい人に見られていればいいんだよ。人に合わせて意見を変えるな。自分に軸を持て。それが君に伝えたいこと」


 僕は必死にメモを取る。先生は続ける。

「これは生き方、仕事の仕方すべてに通じることだと思っているよ」


 すべての人にいい人に見られなくてもいい。自分の大切な人にだけいい人に見られていれば。すべての人に好かれるって事は幻想だ。


 ある日の病院での診察日での出来事である。いつもの通り診察が始まる。

「体調はどうですか?」

「まあまあです。いつもの通り人が怖いです」

 先生は黒い万年筆で診察表にメモを取るのをやめ、身体をこっちに向けてくる。

「大変でしたね。頑張りましたね。そんなに頑張んなくてもいいんだよ」

 そこでしゃべるのに疲れてしまって少し気持ちが持ち上がってしまう。そこでいらぬ余計な一言を述べてしまう。

「先生この間、柳生新陰流兵法家伝書を読んだのですが、そこに沢庵禅師を師匠としていたとありました」

 先生はじっとこっちを見つめている。

「剣術の奥義は禅にあるらしいです。もしかしたら全ての道が極めた先には禅に繋がっているのかなと思いました。仕事も極めたら禅に繋がっているのかなって思っています」

 先生は少し声を荒げて言う。

「そうです。私もそう思います。禅は全ての道に通じている」

 自分は自分の意見を言ったことで嫌われたかなと思ってしまいどんどんパニックになってしまう。先生は急に診察表をばたんと閉じ、

「じゃあ今日はここまで。また来週」


 僕は障がい者枠でしか働いたことがないので社会はまだほとんど知らなかった。そりゃ、もっと仕事をやりたいのに事務補助の仕事しかさせてくれなくて悔しい思いをしたこともあった。事務補助とは宛名シール貼り、封入作業、データ入力などである。毎年春になると新卒が入ってきて6ヶ月後には難しい仕事を任せてもらって目をキラキラとさせている。そういうとき、いつも僕はまだまだ下積みなんだ。今に見ていろ! て、思って仕事をしている。そうして家に帰ると松下幸之助や稲盛和夫の本を読んで勉強している。悔しい思いだけはたくさんした。嫉妬に狂いそうになる。なんで障がいを患っただけで社会からつまはじきにされてしまうのか。それでも社会をそんなに知らないことには変わりない。だから先生の前で仕事論を語ってしまって先生にこいつ知ったかぶりしてとか思われていないのかなあとか嫌われていないかなあとか心配になる。


 次の診察日、先生の元に診察に行く。先生はいつもの通り、お体の具合いかがですかと聞いてくる。

「大丈夫です」

 先生はカルテにいろいろと書き込んでいる。

「それより先生、この間は知ったかぶりをして仕事論を語ってしまって申し訳ありませんでした」

 先生はカルテを書く手を止める。

「あのねえ、君、いつも言っているけど人の目を気にするのはやめなさい。自分の芯をきちんと持ちなさい。主体性を持ちなさい。人に言われたから意見をねじまげるのはいけないことだと思うよ」

「はい」


 自分の芯をきちんと持ちなさい。主体性を持ちなさいか。


 確かに自分の意見を言うのは怖い。嫌われたらどうしようとか考えてしまう。そんなことを考えながら毎日過ごしていると、ある日友達に家に遊びに来ないかと誘われた。家に遊びに行く。


 夜友達のお母さんと少し話す。そして少し口論になる。謝る。その時にいわれた言葉はやはり、


「そんな簡単に謝るな。いい人に見られたいと思っても離れている人はやっぱりいるよ。きちんと自分の意見を言って、フィーリングの合う人と一緒にいればいいんじゃないの。無理して嫌いな人とはつきあうことはないよ。私ともきちんと意見をぶつけ合えられた。それでいいんじゃないの?」


 そっか。きちんと意見をぶつけ合ってその上でフィーリングの合う人と一緒にいればいいんだ。合わない人とは適当でいいんだ。


 次の診察日、染来先生との面談日。先生に言う。

「先生?」

「何だい?」

「先生に対して、わがままになってもいいですか? 言いたいことをしっかりと言ってもいいですか?」

 先生はあっはっはと笑うと、


「どーんとこい!」

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