(どっちがより悲劇的なんだろう?)
彼女の失踪が事件として伝えられたのは、それから数日後のことだった。
学校の先生からの、「何か知っている者はいないか?」という質問に答える生徒はいなかった。ぼくを含めて、誰も。彼女はいつも一人ぼっちだったのだ。彼女の行動や行き先に注意を払う人間はいなかった。
――とはいえ、本当のところ、ぼくは彼女が今どこにいるかを知っていた。
そして、お父さんの言う深い穴、ぼくの中にもあるその深い穴の底に、何があるのかも。光も、声も、どんなに長い手も届かないその場所に、何があるのかも。
深い穴の底には、大切なものがあった。その大切なものがどんなものなのか、今のぼくにはわかっていた。それがどんな形をして、どんな色をして、どんな大きさで、どんな重さなのか――ぼくはそれを、ちゃんと知っていた。
そして彼女は今、とても静かなところにいた。彼女はあの死んだ猫と同じくらい静かだった。そこからは時々、小さな歌が聞こえてきた。音とか言葉というより、むしろにおいとか、手触りとか、光の感じみたいな。
ぼくは時々、夢の中で井戸のそばに座ってその歌を聞く。
お父さんのノートには、それ以来彼女のことについては書かれていない。たぶん、それが書かれることはもうないだろう。お父さんがそれについてどう考えているのかはわからなかった。あるいは、ぼくのことを疑っているのかもしれない。お父さんは今日も時計をあわせ、朝ごはんを食べる。
しばらくのあいだは、お父さんのノートに新しいことが書かれることはないだろう。それは、そう頻繁に起こることじゃないし、出会うものでもない。今では、ぼくにもそのことがわかっている。
いずれにしろ、すべてのことは今までと変わりがなかった。物事は算数的に処理され、ロボットみたいに動作して、みんなはそのバカさ加減を受け入れている――
少なくとも、表面的にはそうだ。深い穴の底にあるものを除いては、すべてが今までと同じように機能している。
でも――
問題が一つあった。
それは、お父さんはいつかぼくのことを殺すだろうか、ということだ。
はたしてその時、ノートにはぼくのことが書かれるんだろうか。名前、特徴、病歴、行動スケジュール、殺害計画、いくつかの考察……。それとも、そんな必要もなく、ぼくのことを殺してしまうだろうか。たぶん、最初にそうしたのと同じように。
あるいは、お父さんはぼくを殺したりしないんだろうか。
――だとしたら、それはどっちがより悲劇的なんだろう?
宇宙そのものがすっかり変わってしまうわけではないにしろ、これはなかなかの謎だった。深い穴の秘密と、同じくらいに。
そこには、どんなに強い光も、どんなに大きな声も、どんなに長い手も、届くことはない。
ぼくのお父さんは人殺しだ 安路 海途 @alones
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