第0話 願いと希望を託して。

 雨が降っていた。土砂降りだった。その時、雨をかき分けるように独りの女性が走り抜けていく。腕に何かをくるんだ布を抱えながら。

  

 「この近くにいるはずだ!しろ!」

後ろのほうから明確な敵意を持った声が聞こえてくる。

....逃げなければ。ただただ生物としての本能に従うようにして再び彼女は雨の中に消えて行った。


  ...どれくらい走ったのだろう。気が付けば森の中に入っているようだった。

「こんなところで、止まってたらっ....えっ?」

 ガクッとその場で倒れこむ。そこで気づいたが、既に体力は限界を超えていた。

「そんな...これじゃあ.....っ!」

すると何人ものヒトが木々をかき分ける音が聞こえた。雨が止んだ森の中では、やたらと大きくその音は響いてきた。


「ふぅ....ずいぶんと逃げんジャンかよぉ?走るのが好きなのかい?」

 足を引きずりながらも前に進もうとする彼女を蔑むような声が後ろから聞こえてきた。

「あなたたち.....っお願い..よ。私たちとなら、ここは見逃してくれないかしら。」

 振り返って声の主の男を睨みつけるとともに、その手に握られた武器をみて、自分の人生がここで終わるのを悟った。....だとしても、この子だけは何としても、何としても...。

「.....何故?もしそいつを見逃した。なんてことがあったら俺たちの首がトんじまうんだぜ?お前は俺のカーチャンのめんどーみてくれんの?」

「....それは」

答えられなかった。彼らの境遇は知っていた。

「でも、それでも...この子は変えてくれる。私たちの明日を、未来を!」

「.....そうかい、でもよォ...明日の前に今日があるんだ。今日を生き延びなきゃ明日がないんだよ....許してくれよ。こうしなきゃ俺たちは生きていけないんだ。俺たちはには勝てないんだよ。」

 男は手に持った武器...包丁のようなものを握りしめ、そして....。


 手に持った布もろともさすようにまっすぐに突き刺してきた。


私は守るように覆いかぶさった。


「あぁぁ!ぐうううっ!」


背中を刺された。ビリビリする。心臓がドクドク動いて苦しい。こんなところでぇ...


「なにしてんだぁぁぁぁ!」


直後。何か獣が吠えたような咆哮とともにまばゆい光に照らされた。


「グぁッ?!」

目の前の男がひるんだのが分かった。

「キャッ!」

それと同時に誰かにかつがれて運ばれていくのが分かった。

 その人はとても速かった。私と赤子の重さなど気にしないかのように走り抜けた。

走っている最中何かをぶつぶつ呟いているのが聞こえた。ありえない。だとか、なんなんだ。とか、

 ....助けてくれたのだろうか。礼をしようと口を開くがしゃべろうとすると背中の痛みに咳き込んでしまう。

それを察したその人は。

「喋らなくていいから!黙ってろ!」

と怒鳴った。

あぁ、助けが来た。そう思うと意識が落ちてしまった。


 次に目覚めたのは川のそばだった。頭がふわふわしたような感覚だった。熱があるのだろう。私は赤子と一緒に木陰に寝かされていて...体を起こそうとすると背中に痛みが走る。反射的に背中に手を回すと、雑に止血のようなものがされていた。


「目が覚めたか。...調子は?」

声のするほうに頭を動かすと見慣れない派手な服を着た男が立っていた。

「....ここは?」

「分からん。つーか樹海を抜けたのになんで電波が届かんのだ、いったいここは何処なんだ。」  

 男は苛立ちながら手に持った板をいじり続けていた。


「ねぇ...一つお願いがあるの。」

「....なんだ?」

「この子を......お願いできないかしら。」

 私はもう、あまり長くは居られない。この人が誰かは分からないけど。もう、これしか....

 だが、男は不思議なことを言い始めた。

「まってくれ、それならまず助けを呼ばなきゃならんだろ。というかここは何処の県だ?山梨か?」

 なにを言っているのだろう。くぅ...最後にこんな危ない人に託さなきゃいけないなんて....。

「まって、助けなんて、いらないわ。だから、この子を....」

男は、何かを言おうと少し悩んだ後。こんな条件を出してきた。

「なら、その代わりに教えてもらいたいことがある。この世界についてと、あんたがさっき言ってた...その.....未来だとかなんとかについてだ。」

「....どういうこと?」

 男は、記憶喪失になってしまったので、この世界についての一切合財をまるっと忘れてしまったので教えてほしいとのことだった。....ここまで平然としゃべっていたのに、何を言っているのだろう?

 私は当然怪しんだが、に追われている私たちを助けてくれたのだから...賭けるしかない。

 私はこの世界のこと、そして私たちの未来....のことを一つ一つ、取りこぼさないように話していった。

 もうあたりは暗くなっていた。大地に寝っころがっていた私には、満天の星空が眩しく視えた。

「最後に....二つ聞いてもいいですか。」

今まで黙って聞いていた男はそう、口を開いた。

「あなたの願いの、はなんですか。」

今まで粗野で乱暴な言葉づかいだった男が、突然丁寧な言葉づかいになったことに思わず笑ってしまいそうになった。.....でも。ここまで聞いてくれたんだし、言ってもいいかな....私たちの、最後は.....

「最後は....みんなでこんな星空を眺められるようになることです。分け隔てなく。」

 私は体が冷えてきて、とても、とても眠くなってきた。

「それで....二つ目は?」

 足早に次を促す。

男は静かに聞いてきた。

「この子の名前は、なんですか?」


 あぁ...言ってなかったっけ。だいじなこと、なの、に。

私は横ですうすう寝ているわが子の顔を見て言った。

「ノア。この子はノアっていうんです。みんなの希望に、光になれる。」

あぁ...もう、意識がぁ。もっと、この子と、いっぱい.....。


「......苗字は、何ていうんです?」

男がその質問をしたときすでに女性の息はなかった。


「はァ....いったいここがどこかも分からんのに、これじゃあ断れんでしょーが。」

頭をポリポリと掻きながら。空を眺めた。都会ではもうお目にかかれないほどの星達がみえる。


 それはまるで、この赤子の希望と苦難を暗示しているように感じて、男には心底うっとおしかった。

























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