第42話 間話 化かし合い【4】
(まさか、あの城の女薬師が生きてルシアス様のもとに? ありえない……けど……もし、そうだとしたら……)
聖獣治療薬を作れる者。
スティリアはたったひとりだけ知っている。
自分が十五年、利用し続けた城の女薬師。
名前は確かジミーアとかいったか。
もしその女薬師をここに連れてこられれば——だめだ、どこの逃げ道もふさがれている。
「部屋に置いてありますので、持ってまいりますね」
とにかく一度この場を離れよう。
幸いにして、聖獣治療薬のひとつはわざわざ手渡された。
これと同じ色の色水を、今からこさえればいい。
ただ、ルシアスが[鑑定]を持っていたのは正直想定外だった。
獣人は魔術が苦手で、使えないものとばかり思っていたのだ。
「ねぇ、スティリア様——ところで改めてお聞きしますが……本当にあなたに帰る場所があると思ってます?」
「え?」
お辞儀をして、部屋から出ようとした。
その時、ルシアスがクスクスと笑う。
これはとどめ——最終警告。
「[魔獣寄せの魔術紙]……もうバレてますよ」
「————」
「改めて申し上げておきますね。……それ、聖獣治療薬は人間には猛毒です。あなたに王族の誇りが残っておいでなら、ぜひ見てみたいものだ」
「…………」
手に持っている、聖獣治療薬。
人間には猛毒。
帰る場所は、ない。
([魔獣寄せの魔術紙]のことまで知ってるなんて……本当に素敵だわ、ルシアス様)
周りの侍女は[魅了洗脳]で目も意識も虚ろ。
ルシアスの部下エンスもまた、佇んだままスティリアを助けようとはしない。
腹が立つ。
こんなにも追い詰められるなんて。
「あなたの名誉のために人の少ない私の部屋をお勧めしているんですが……処刑台の方がお好みでしたら、そちらを選んでいただいても構いませんよ。もうすぐ聖獣祭ですからね、イベントは多い方が民も喜びます」
「…………」
なるほど、とスティリアは微笑んだ。
手渡された聖獣治療薬は、猛毒。
ルシアスの言う通り火聖獣に届けに行っても構わない。
しかし、崖の国の者はスティリアの[魅了洗脳]がすでに解けているだろう。
帰ればあちらで捕らわれ、処刑される。
崖の国の側で[魔獣寄せの魔術紙]を用いて魔獣融合という天災を人為的に引き起こした件が、崖の国にも伝わっていると言っているのだ。
ルシアスの言う通り、崖の国の両親は嬉々としてスティリアを捕らえ、聖獣祭で処刑するだろう。
なんとか戻ることができても同じこと。
スティリアが聖森国を留守にすれば、せっせとかけて回っていた城内の[魅了洗脳]は解けてしまう。
なにを選ぼうが、待っているのは——。
「素敵。とても素敵ですわ、ルシアス様。わたくしここまで追い詰められましたの初めて……やっぱりわたくしの目は間違っていなかった。あなたは最高だわ」
「お褒めに預かり光栄ですね」
「そんなあなたがわたくしに平伏して、血の涙を流して罵倒してくるところを——見たかった。とても残念ですわ。まあ、まだ諦めていないんですけど」
「でしょうねぇ」
なにもかもが筒抜け。
彼にはスティリアのなにもかもが見透かされていた。
その上、スティリアの[魅了洗脳]が効かない。
(ああ、素敵……本当に……好きだわ、ルシアス様……! 愛してるわ! わたくしの思い通りにならない男! 美しく聡明で、わたくしをここまで追い詰めた唯一無二の人! 好き好き好き好き!)
恍惚と彼を見る。
そして、彼が微笑むと死んでもいいと思えた。
そう、死んでもいい。
今なら死んでも構わない。
彼になら、殺されてもいい。
だってスティリアは彼を死ぬほど苦しめたかったのだから。
追い詰められていることに堪らなく興奮した。
彼に、ルシアスに、少なくともこれほど手の込んだやり方で追い詰められたことがあるのはきっと自分だけだ。
自分のことを追い詰めて、目の前で死を確認するまで安心できないと言われているのだ。
(はぁ〜〜〜〜ん! わたくし頑張った甲斐がありましたわ〜〜〜〜!)
聖獣治療薬の蓋を開け、最期にもう一度ルシアスを見た。
満面の微笑み。
万人が見惚れるであろう、絶世の美女スティリアの心からの微笑みだ。
「またお会いいたしましょう」
ごくん。ごくん。ごくん。……一気飲みだ。
バターーン!
崩れ落ちて倒れたスティリア。
その瞬間、彼女の侍女たちがハッと顔を上げる。
虚ろだった瞳に光が戻り、表情にも感情が宿った。
「わ、私、こかでなにを?」
「っていうかここはどこ!?」
「え? え? なにが? ここなに!?」
と、大混乱。
記憶に弊害が出るほど深く[魅了]を重ねが消されていたとは。
エンスがスゥ、と顔を上げ、ぽつりと一言。
「『またお会いいしましょう』——ですか」
「…………」
その一言を、ルシアスがすさまじい顔で睨みつけてくる。
まったくもって、最後まで勘のいいというか。
「死んだわけではないのでしょう?」
「もちろんだ。だがもう二度と魔術は使えない。これでただの人間になったわけだ。すぐに捕らえて部屋に放り込んでおけ。崖の国に送り返す」
「はっ」
崖の国に送り返せば、極刑は免れない。
カーロ——もとい崖の国の王子エルフォルドの件やミーアの件を含め、火聖獣様が話していた弟妹暗殺の件、今回の魔獣融合の件まで、叩けば叩くほど色々出てくるだろう。
だがそんなことは知ったことではない。
殺されるのならそれがいいとさえ思っている。
最後の——『またお会いいたしましょう』、などと恐ろしい言葉を聞いたでは鳥肌が立って仕方ない。
まるで自分が飲んだ薬が、聖獣治療薬ではないとわかっていたかのようだ。
ミーアの作った、『魔術無効薬』。
これでスティリアは二度と魔術が使えない体となった。
スティリアが丁寧に下積みしてきた[魅了洗脳]も、効果を失う。
スティリアに[魅了洗脳]をかけられたすべての人が、これで自由になったのだ。
エンスが用意していた衛兵たちに運び出されるスティリアを見向きもせず、ルシアスは窓辺に近づいた。
空が青い。
火聖獣の『祝福』を思い出して目を細める。
——世界は美しい。
「ルシアス様、“英雄の子”や“薬師の聖女”をどのようにこの国に招くのですか?」
「知れたこと。“火聖獣の申し子”を招けばついてくるだろう。崖の国はもうあの子しか世継ぎが残っていないしね」
「バレたらミーア様に怒られそうですね」
「え? 黙っててよ?」
「はい、もちろん」
エンスが頭を下げる。
それを窓ガラス越しに見て、目を瞑った。
ようやく、ひとつ大きな荷が降りたのだ。
まあ、元を正せば背負い込む必要もない荷物ではあった。
だが、妹エルメスを背負うと決めた時に、彼女に伴う荷もまた、すべて背負うと決めている。
今回の件をきっかけに、カーロは崖の国の正式な王太子となるだろう。
だが、彼は狭間の森で半獣人たちに育てられた。
これを逆手に利用する。
聖森国は半獣人たちの村をひとつに統合し、狭間の森で半獣人の町を作るのだ。
元々ルシアスがすでに法的に『半獣人は獣人の亜種であり、ヒト種である』と定めている。
つまり、狭間の森でとそこにできた半獣人の町は聖森国の一部となるのだ。
崖の国はカーロのこと、スティリアのこともあり口出しなどできないだろう。
これで狭間の森と半獣人の町、そこに住む風聖獣、土地の資源を確保したことになる。
苦労は多かったが、報酬としては十分。
そしてカーロを「次期崖の国の王とするための教育」を理由に聖森国の学園に招く。
崖の国はなにも言えない。
スティリアの件もあるし、なによりカーロの信頼が厚い自信がある。
崖の国の学園と聖森国の学園、どちらを選ぶかと言われればきっと聖森国を選んでくれるに違いない。
聖森国の学園を選ばないのなら、そう仕向けるまで。
たとえば、タルトとミーアを聖森国の学園に無償で入学させる。
ミーアの事情と、エルメスと友達になる約束を盾にすれば簡単なものだろう。
——と、いう思惑がミーアたちにバレると怒られるので、もちろんエンスには口止めだ。
カーロの思想がそこでどのように成長するかは未知数だが、聖獣大戦により生まれた人間種と獣人種の溝を、埋めてくれるものであればいいと思う。
そのためならば、今はまだ、ルシアス・フェリーデがあらゆる泥と闇を被ろう。
英雄の子であり、奇跡の子、タルト。
薬師の聖女ミーア。
そして、次期崖の国の王エルフォルド。
彼らの行く末が、幸多からんことを。
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