第41話 間話 化かし合い【3】


「火聖獣様? 崖の国へ行かれましたの?」

「はい。第四妃の地位に堪えられないのであれば、スティリア様は崖の国に帰ると思いましたので。陛下と王妃様は、スティリア様のことを『不要』と申していましたが——うちの国にも要らないんですよねぇ……なんの役に立たない人間は……」

「……っ……」


 見せつけるように、聖獣治療薬を頬にあてがうルシアス。

 その姿は、スティリアに[魅了洗脳]されている侍女たちすらうっとりとした溜息を吐く。

 スティリアも危うく見惚れてしまうところだった。

 だが、怒りがそれを上回る。

 なにもできない、役立たず、価値がない、不要——。


『お前のような醜い者が、彼女のような慈悲深く美しい女から生まれてくるとは、信じ難い』


 父から言われ、ずっとスティリアの生きる源となっている、その言葉への怒り。

 沸き立つそれを糧に、スティリアは優雅に微笑む。


「素晴らしいですわ、ルシアス様! 火聖獣様にお会いになられたなんて! わたくしもお会いしてみたいですわ!」

「火聖獣様はあなたが城の薬師が作った失敗作を、適当に自分への供物にした——と腹を立てておいででしたよ」

「……ひ…………っ、せっ、火聖獣様が?」

「火聖獣様は『本物の聖獣治療薬を持ってきて、余に献上するのであれば許す』と寛大なお言葉をあなたへ言伝るよう、私にお申しつけくださいました」


 そう言って、ルシアスが近づいてくる。

 彼が今し方頬に当てた、ピンクのリボンの巻かれた薬瓶。

 薄い紫紅色の薬。

 それを、差し出される。


(まずい。まずい。まずい)


 怒りで気が狂いそうだった。

 張りついている笑みを維持することだけにすべてを注ぎ、首を傾げて見せる。


「こ、これは?」

「気をつけてお持ち帰りくださいね。[マナの花]という、人間には猛毒の花が使われているのだそうです。聖獣様には良薬となるそうですが」

「ま、まあ……毒……。そ、そんな恐ろしいものを、なぜわたくしに?」

「火聖獣様の言伝、もう一度お伝えすべきですか?」

「っ……」


 本物の聖獣治療薬。

 これを崖の国へ持ち帰れ、ということ。

 その間に[魅了洗脳]を解かれる。おそらく“第三妃”は聖獣祭にも参加はさせてもらえまい。

 いや、参加させられることがあっても、聖森国国王や王妃、重臣たちのいるところへは、出させてもらえないだろう。


(素敵。素敵だわ、ルシアス様。でもとても腹立たしい。この場の誰もわたくしを助けようとしないのも、あなたの思い通りになるのもすべて腹立たしい! 崖の国へ聖獣治療薬を持ち帰れ? 火聖獣にこれを献上して、謝れというの? はぁ? 死んでも嫌よ!)


 どう切り抜けるべきか。

 預かって叩き割るか?

 しかし、万が一ということもある。

 保険として持っておくのはありだ。

 いや、まだ手はある。

 やはりこの聖獣治療薬をスティリアが作ったことにすればいい。

 部屋に戻ったあと、侍女をルシアスのところへ行かせて「あの薬はスティリアが作って殿下の部屋に置いておいたものだったのです」と告げ口させるのだ。

 スティリアはそれだけで「自分の功績をひけらかさない淑女」という評価に転じる。

 これこそ“薬師の聖女”というわけだ。

 国民の人気取りのためだけに名乗っていた肩書きだが、存外役に立つものだ。


「いいえ、それでは部屋に戻って帰国の準備をいたしますわ。しばしの暇をいただきますこと、どうぞお許しくださいませ」

「? 帰国……ですか?」

「え? ええ?」


 妙なところを聞き返された。

 おかしなことは言っていないはずだ。

 一応、ルシアスとはまだ『婚約』の期間中。

 崖の国へ戻るならば「帰国」というのが正しい。

 ふぅーん、と腕を組みながら顎を撫でるルシアスの笑み。

 嫌な感じが増していく。


「ところで、さっきおっしゃっていたスティリア様製の『聖獣治療薬』は見せていただけないのですか?」

「え?」


 ぎくりとした。

 部屋に入るなり最初に答えた件のことを言っている。

 スティリアは「もう聖獣祭様に頼まれていた、聖獣治療薬はできています」と、はっきり答えた。

 部屋に戻ってから侍女に告げ口させるつもりが、先に答えてしまったこともあり、利用されたのだ。


「そ、それは」


 侍女に目配せしても、彼女らは何度もスティリアの[魅了洗脳]を受けていて思考がひどく鈍くなっている。

 指示も出さない状態で「それはスティリア様がお作りになった薬です」などと、フォローは望めない。


「もうできているのですよね?」


 たとえ本当に聖獣治療薬を持ってきても、すでに『スティリア以外にも聖獣治療薬は作れる』と立証されている状況。

 スティリアの立場は変わらない。

 しかも「誰が作ったかわからない薬など恐ろしい。捨ててしまえばいい」とまで言ったのだ。

 今更自分が作りました、などと嘘を言うわけにはいかない。

 それに、この場でそれを言うこともルシアスは想定内のはず。

 やはりあの薬の出どころを連れてこられたら終わりだ。

 ここでそれを問うのもまた、聖獣治療薬の作り手を紹介するための罠かもしれない。

 作り手を紹介されれば、スティリアの“薬師の聖女”の立場はなくなる。

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