第5話 月夜に願う

「おぉ。月だ……」

 和久は小さな天窓から空を見た。細かった月も、今宵は結構太った。彼が投獄されて、五日が経っていた。

 戦が始まった。事の発端は、父・政成の暗殺だ。かねてより不仲であった敵国の仕業であった。

 一瞬にして主君を失い、士気を欠かれた我が国に勝ち目はない。敵国はすべてを見通して、戦を仕掛けたのだ。卑劣極まりないが、戦とはそういうもの。美しい戦など、ありえない。戦とは、奪い、殺し、侵す、汚く悲惨なもの。

 敵将は、

「政成公の嫡男・篤矩殿を差し出せば、民には一切手を出さない。そして、それ以上の犠牲は出さぬ」と言ってきた。

 和久は、『篤矩』となることを決めた。

「俺の存在価値は、結局こんなモンなんだよ……」

 軽く呟いた自嘲は、夜風に白く染められる。春が近いとはいえ、まだまだ夜は冷える。彼は冷えきった指先に息を吹きかけ、空を仰いだ。


「お月様。お願いです……」

 耀は真っ直ぐに夜空を見上げた。その浩々とした光は見えないけれど、匂いでわかる。今宵も月は輝いている。もう一度呟いた。

「お月様、お願いです。和久を返してください」

 彼女の足は、冷えきった土になぶられている。吹きつける夜風は凍てつくほどなのに、耀は打掛をも脱ぎ捨てた。ぶるっと身を震わせ、もう一度空を仰ぐ。

「お月様。わたしは光を知りません。でも、わたしにとって『光』は和久だけなのです。……彼がいなくては息ができません。何も見えません」

 澄んだ瞳から光の粒がこぼれ出す。

「お願いです、お月様。わたしから光を取り上げないで下さい……和久を、返して」


「なぁ、月よ。俺の戯言を聞いてくれるか?……女々しいって笑うんじゃねぇぞ」

 和久は月を見上げ、足を組み替えた。

「俺はなぁ、あいつさえ笑ってれば、他はどうだっていいんだ。……ひどい男だろう?」

 心は笑おうとしたが、筋肉は伴わなかった。

 明日、自分は殺される。

 何度思った事だろう。しかし、あれから五日が経っても何も起こらない。

 しかし、もう既に死んでいるのと同じ事かもしれない。もう、彼女に会えないのだから。また、世界は闇に閉ざされてしまった。

「耀に初めて会った時、光が見えたんだ。俺の世界に光がさし込んだ。……耀みたいに、あったかくてやさしい光だったよ」

 不意に、唇が震えている事に気付いた。奥歯も震えて噛み合わない。

 その震えは、寒さ故か。それとも、死への恐怖からか。和久は顔を崩して笑った。

「俺はさ、どうしようもないくらい無力な人間だったんだよ。耀の親父がいなきゃ、今ごろ生きてなかったと思うよ。いつも誰かに守られてるんだ」

 一人前の男になりたかった。藩主の血のお蔭で、自分はどこへも行けなかった。進むことも、闘うことも。ただ、逃げていた。

「天はさ、俺を見放しちゃあ、くれなかったな。最後の最後に、この俺の存在理由を教えてくれたよ」

 前髪をかき上げようとした手で、顔を覆った。泣いてしまいそうな自分を叱咤し、キッと月を睨めつけた。

「俺にとって、耀がすべてなんだ。それを守るためなら……俺は死ねる」

 やがて夜が終わり、朝が来る。彼の命を吹き消してしまう、朝が来る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る