第77話
その後も、夫人は何度かこの三人を呼び、見積書を見ながら、いつものようにもっと安く出来ないかと、検討を重ねていた。それを夫人の様子を見ながら、私はもう、何がどうなろうと、自分には関わりはないという、冷めた心で、出来る限り関わらないようにした。和式だったトイレが様式になった時、手洗いの余りの貧弱さに、どうして?と思ったりもしたけれど、あれだけ値切れば、どこもここも、必要最低限の資材になるのは、当然かも知れないと、ため息が出た。
屋根、畳み、襖、網戸、塗装、左官、水道、あらゆる職人さんに、入れ替わり立ち替わり、田代家の修理に駆けつけて貰い、助けて貰ったけれど、どの人も、どの人も、玄関を出て、格子戸を出ると、必ず腹立たしい顔をして、振り返りながら、凄い目をして帰って行った。
リホーム一つ、自分では出来ない。何人も何人もの人の働きがあって、はじめて出来るものだ。よろしくお願いしますという気持ちがなければ、人の恨みを買う事になる。お金というものは、使い方が大事なのだと、私は夫人から学んだような気がする。夫人にとっては、せっかく稼いだ金を、決して無駄には使うまいという、心がけあっての事かも知れないが、仕事というのはお互い様だ。両方良しの心がけでなければ、互いの幸せにはなるまい。
ケチを通り越した、吝食という言葉がふさわしい人として、夫人は私に衝撃を与えたけれど、お金では買えない人徳というものについて、教えても貰った。反面教師という言葉があるが、まさしく、どうすれば徳を失うか、まざまざと教えて貰ったと今も思っている。お金は無いより、有った方がいいに決まってる。そこに、徳という、見えない慈悲が備われば、自然によき人材が集まり、いざまさかという時に救われて行く。
タイミングのいい人がいる。乗り遅れて、万事休すと残念な思いをした、飛行機や電車、バス、船が、まさかの遭難となり、九死に一生を得て、乗り遅れて良かったと胸を撫で下ろす人。受験に失敗し、やむを得ず入った高校や大学で、運命の人に出会ったり、生涯に渡る恩師や親友を得たり。
徳というものは、父から子、子から孫というように、代々継承されて、父の代では叶わなかった夢が、子の代、孫の代に現実のものとなる。継承した徳という恩恵を、使い果たして終わりにせず、受けた恩に報いるべく、さらに徳を積んで行く。
二代、三代と続く、徳の継承こそが、人として目指す、末代までの果報となる。
私にもきっと、与えられた徳はあったと思うけれど、余りにも耐えがたい哀しみが長く続いた人生を生きて来て、その痛みを言えなかった事で、人を恨む、憎むという感情を味わう事にもなった。話せる人がいるという事は幸せだ。私にはほとんど聞いてくれる人は居なかった。言っても、分かってくれる人は居なかった。あの時のあの弁護士のように。人に話しても信じてもらえない辛いことは、紙に書いて胸を納めて来た。紙に書く事で、自分の正直な本当の気持ちが明らかとなる。紙は神に通じる。憎しみも、恨みも、痛みも哀しみも、怒りも、妬みひがみ、無力感も、全部、ありのままに記して、この苦しみから救って下さいと祈って、すべてを見えない慈悲に委ねて来た。
毎朝、今昇る朝日に、どんな時も希望を充電されて来た。辛い時も苦しい時も、「助けて下さい。」と声をあげる事で、必ず救われて行く。誰にも言えない痛みを打ち明ける人は、カウンセラーとか神社とか、人を救う事を生業とする、プロフェショナルに限る。私は父と同じに、沢山の欠点もあるし、離婚もし、何の後ろ楯もなく、気が付けば高齢者と言われる歳となり、実りという果実もない。でも、私は自分が、命の限りに生きて来た事を知っている。
自分の間違いは深く深く反省し、同じ失敗は二度としないと自分に誓い、生きてさえ行けば、浮かぶ瀬も有ろうと思っている。自分の命程大切なものはない。この命のある限り、この命の輝きを信じようと思っている。
「お風呂に入っていますか?」と聞いて下さった近所の方々は優しかった。
老主人の余りの振る舞いに、抗議してから、私は近所の人に訴えた事があった。
「夜中に叩き起こされるから、狭くても、どこでもいいから、寝る部屋が有れば、住み込みでなく、通いで働きたい」と、一度だけ、訴えた事があった。
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