第74話

正月前、新聞に新米の広告が出た。九州の臍と言われる山都町の新米だった。山都町にはかつて、今上陛下がまだ皇太子でいらした頃、ご視察にお出ましになった通潤橋があり、清酒”通潤„酒造がある。

水が豊かで、熊本で最もきれいな、美しい水と言われている。その山奥の、清らかな水で育った米だ。美味しくないはずはない。

夫人は電話で、食べてみたいと言って、米の配達を頼んだ。送って貰うと送料がかかるからだ。山都町から金峰山のこの屋敷までの配達なら、二時間はかかると私は思った。遠いなあと思いながら夫人のその電話を聞いた。

後日、やっと屋敷を探し当てて、配達して下さった米は、わずかに五キロ入りを一袋。美味しいかどうか、少しだけ食べて見てからと言う夫人の考えだった。しかも夫人は、チラシの値段と違うといい始め、遠路はるばる来てくれたその人に、ご苦労様の一言もなく、当然のように値切ったのだ。

「イヤアー!それはー・・・。」とその人は困っていたが、仕方なく、夫人に負けて、夫人のいい値の代金を貰って帰って行った。私は胸の痛む思いがした。どうしてそんなにまで金が惜しいのだろう。歳をとって、現役を退いたと言っても、今も会社では、皆の頭の上がらない立場として、社員の手の届かない報酬を二人とも貰っている。

それなのにどうして、五十円、百円と言った金額にも容赦なく厳しいのか。私には分からない。お金持ちとはそういうものなのか。私には理解出来ない金への執着心が夫人にはあった。

壊れた門扉を取り壊し、新しい門扉にした時もそうだった。当初、担当のメーカーの社員は四十万と言っていた。

夫人は一週間後、その社員を呼び出した。そして、老主人を隣に座らせ、門扉にかかる費用が高過ぎると、交渉し始めた。一人でやって来た、メーカーのその男性は、平身低頭しながら、夫人の話を聞いていた。

夫人は、何十年も前から、そのメーカーとは取り引きがある事。そのメーカーとは今後も良い関係で取り引きをしたいと思っている事。等等を、達者な話術で話し始めた。

そのメーカーのその社員は叱られていた。

「はい。はい。!」と頷きながら、ただただ恐縮して聞いていた。

そしてさらに一週間後、その社員は再びやって来て、「これでいかがでしょうか。」と言って見積書を見せた。その見積書には三十万と書いてあった。私は驚愕した。四十万が三十万になったのだ!

夫人は当然だというような顔をして、「いいでしょう。」と言った。

その社員が帰る時、その顔に侮蔑の色が浮かんでいるのを見て、「そりゃあそうだ。誰だってそう思う」。私はそう思って、その社員を見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る