第71話
翌日、運転手に、夫人から問われた事を話すと、「俺も、同じ事を旦那さんに言われた。」と言った。彼は、老主人の事を旦那さんと言っていた。私と運転手は、気の滅入る思いだったけれど、毎日毎日、走り回って働かなければならないほど多忙で、滅入っているヒマはなく、私は疲れ果てていた。
そんな日の深夜、私は老主人に再び叩き起こされた。玄関の鍵が開いていたというのだ。私は、老主人が深夜、毎日、全ての鍵を触って見て歩く事を知っていた。自分で鍵を緩めたり締めたりしたのではないか。私はそう思ったけれど、起きて玄関に向かった。
警備保証の警備員が来ていて、「玄関の鍵が開けられました。」と言った。
開いていたのではなく、開けられたと言った。誰が開けたのだ。
私は眠くてフラフラしていて、関わりたくなかった。私は、「申し訳ありませんでした。」と頭を下げて、その場を納めたけれど、突然叩き起こされた事で、戻る途中でよろよろと足下がぐらついて、倒れそうになった。
翌日、私は、二人の言動に黙っている事が出来なかった。何もかもすべてを、使用人のせいにする彼らに黙っている事は出来なかった。その日も、早朝から、職人さん達が来ていて、建設会社の社員も来ていた。玄関には、その人達がいて、たまたま、その日は、玄関のリホームが予定されていた。私は構わなかった。「今から、御主人様に抗議します。聞こえるかも知れませんが、言いたい事を言います。」。私は彼らにそう言って、ダイニングに入った。ダイニングには夫人がいた。
私は何の遠慮もなく夫人に言った。「私は朝は五時には起きて、夜は九時過ぎまで働いています。夜中に叩き起こされると、頭がフラフラするんですよ。車の運転もしなければいけないし、頭が正常に働かないんですよ。御主人様は遅くまで寝ておられて、夜中に歩き回っていらっしゃいます。昼寝もなさっている。玄関の鍵だって、ご自分が開けて、警報がなったから、私を起こしに来たんじゃないんですか。わざと開けたんじゃないんですか!」。私は怒っていた。自分が自分を守らなければ、誰も私を守ってくれるものは居ない。私はそう思っていた。私が私を守ると。その心が私をしっかり支えていた。
夫人は、「ンマッ!わざと開けたなんて!」と怒ったけれど、私は自分を主張した。「いつも私を疑っていらっしゃるのはわかったいます。私はこの家を必死になって守っているんです。それを、庭の大理石のテーブルを倒したのではないかとか、ガラスは本当に割れたのかとか、どうしてそんな事が言えるんですか!私は一生懸命働いています。」と。
夫人は私の言い分を聞いていたが、「悦ちゃん、もういいじゃないの!」と言って、老主人の部屋に入って行った。
主人のいる人は、主人という大きな力を得て、何も怖いものはない。私は何があってもいつも一人ぼっち。ただ、自分だけしかいない。
大きな声で抗議する私の声を、玄関にいた職人さん達は驚いて聞いていただろう。仕方がない。私が毎日、どんな気持ちでこの家で働いているか、知ってて貰った方がいいのだ。私は何一つ、責められるような事はしていないという強い心が私を支えていた。
老夫婦は、私のこの抗議に全く何も文句を言わなかった。私が怒った事が衝撃だったのか。なぜ、黙っているのか。これまでに辞めて行った人達は、きっと、辞めたい本当の訳を言わず、黙って辞めて行ったのだろう。老夫婦の言葉には、誰一人、反論する者もなく、何を言っても、何をしても、「申し訳ありませんでした。」と頭を下げられる事に慣れてしまっているのだろう。
窮鼠猫を噛むという。私はその時、きっとそんな状況だったのだと思う。黙っている事は自分への冒涜になると私は思った、
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