第13話

しかし、心の中の底の底で、子供たちが自立したらこの男から逃げようという気持ちは消えることはなかった。それでも何とか何とか、この男が父親らしい気持ちになってくれないかと、1日、1日を私は祈りながら生きてきた。そして、47年という歳月を経て、もう70を前にして、ようやっと夫の元を飛び出したのだ。行く宛もないホームレスのこれからの困難を考えるより何よりも、私は嬉しかった。まるで刑務所を晴れて出所した人のように、晴れ晴れとしていた。私の前途に祝福あれ!誰一人、頼る人とてなかった私にとって、頼れるのはただ一人、自分だけだった。私には私がいる。それだけで充分だった。先行きには何の保障もなかったけれど、私のこの命があればなんとかなる。大丈夫だという、自分の命への限りない信頼が私を支えていた。夫の元を飛び出した私が知ったことは、専業主婦という立場にある女性の余りにも悲しい現実だった。男女を問わず、40年もどこかに務めれば、貯金もできるし、退職金だって貰える。退職したあとは厚生年金もある。ところが、専業主婦は、どれだけ働いても、給料がでるわけでもなく、退職できるわけでもなく、夫が退職したり、夫の両親が高齢者になると、それまでしなくてもよかった仕事が増える。子供たちが自立するまでは若くて元気もあるけれど、子供たちが出ていったあとは、疲れ果てた体を鞭打って夫や、夫の両親に奉仕することが当然とされる。仕事をして給料を貰って来る嫁の方が尊敬される。夫婦が共稼ぎとなれば当然家の中は荒れ果てる。妻は仕事に出る前に、朝食の仕度をし、洗濯をし、弁当を作り、ゴミを捨て、出勤する事になる。帰宅したら帰宅したで、しなければならないことは山のようにある。そんな毎日が続けば身も心も疲れ果てることはわかりきっている。男性のなかには、家事が得意で、料理が好きという人もいるけれど、大方は、男は家の中ではお客様、主婦は旅館の女将さんになっている。男たちは妻を使い捨ての雑巾のように、働いて働いて働かせて当然だと思っている。一人の人間という人格ではなく、ただ働きの奉公人のように思っている。妻には妻の人格があり、妻の人生がある。身も心もボロボロになるまでこき使えと法律でもいっていない。専業主婦は、何十年、どんなに懸命に家を守り、家族を支えても、いざ家を出たら、全く何の保障もなくホームレスになる。丸裸で出るしかない。わずかばかりの生活費を夫に請求するために、裁判までしなければならない。

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