第3話
「言葉通りだろ、どうしてわかんねーんだよ」
俺はどうしても真意を確かめたかった。
空になったコップをつかむ手に、無意識に力が入った。
俺にはなにも教えてくれなかった進路を、入試の直前に打ち明けてきたのはどうしてなのか。
つむぎの学力があればもっといい公立の進学校へ行けるのに、どうしてそっちに進まなかったのか、俺が行けるくらいの公立校などつむぎにとっては屁でもなかったはずだ。
「べつに、良いじゃん。そんなの私の勝手だし」戸惑いの色がつむぎの表情を包んだ。
「勝手じゃねーよ。お前、中間テスト抜群の成績だったらしいじゃんか。今の高校じゃどう考えてもレベル低すぎんだろ。なんで奈田高を受けなかったんだよ」
「岡戸高にいたって、勉強はできるし」
「いまの高校にいたら、いつかつむぎは腐る」
「腐るって、私が生モノみたいな言い方しないでよ」つむぎは頬を膨らませ少し笑ってみせたが、俺の真剣な表情に気付いたのか、笑うのを止めた。
「頼むから、編入してくれ」
「どうしてそんなこと言われなきゃなんないわけ? 私に何のメリットがあるの」
「もっと人生が豊かになる」
「それマジで受ける」と今度は本気でつむぎは笑った。「今の私ってそんなに不幸そうに見えるんだね。あー確かに、友達もいないし中学校のメンツにも連絡取ってないな。ずっと一人で毎日過ごしてるようなもんだから、寂しいよねぇ」
「ちがう、俺が言いたいのはそんなことじゃない」
「そうだよ、翔平にとってはそんなことで片付いちゃうんだよ、私の悩みなんてさ。クラスに馴染めなくて勉強だけに集中してればそれで十分だった。でも翔平、あんたは違う。クラスのみんなとも仲良くて翔平の周りだけがいつも明るくて、眩しくて、それがたまらなく悔しい」
そのまま泣き出してしまうんじゃないかと心配になるほど、つむぎは切羽詰まった様子だった。
彼女がそこまで思い詰めていたことを、俺は何も知らなかった。ただただレベルを下げてまで今の高校へやってきたことへの不信感で、俺はモヤモヤしていたからだ。
「イジメ、られてんのか」
「ううん」つむぎは静かに首を振る。
「じゃあなんで」
「幼馴染ってさ、ときに残酷だよね。近すぎるから見たくもない一面が見えたりすると、感情が抑えきれなくなる。林間学校の時からずっと意識してた。あの日からずっと、翔平だけを見てきた。だから、もっとそばに居たい、ずっと一緒に居たいから同じ高校を選んだんだよ」
「そんなことで」とまた口が滑りそうになったのを、なんとか耐えた。
どの道に進もうが自分たちはずっと一緒だ。
そばに居なくても心は通じ合っていると俺は思っていたが、つむぎは違っていたらしい。
こんなにもハッキリと、つむぎが俺への好意を示したのは初めてだった。
うすうす感じていた、遠巻きにつむぎの視線が俺へ注がれていたこと。
それは勘違いではない、高校へ進学して間もないころ、別々のクラスに分かれて俺がクラスメイトと輪を作り話をしていたとき、廊下の向こうでこちらを見ていた事も知ってる。
もちろん、俺以外の誰かを見ていた可能性はあるが、名前も知らない人と話すような奴じゃないことも、もちろん知っていた。俺が知るかぎりにおいては、つむぎと親しくしてる奴は、うちの高校にはいない。
そう断言した直後、俺の中で何かが弾けた。気付けば俺は、つむぎの肩を引き寄せ、唇を重ね合わせていた。
驚きで見開かれた瞳は、まるで捨てられた子犬のように震えていた。
「なにすんのよ!」つむぎは俺の身体を跳ねのけ口を拭った。
「なんだよ、そんなに嫌だったのかよ」不快感が駆け巡る。
ついさっきまで自分に対しての好意を口にしていたつむぎが、まるで嫌いな相手に無理やりキスされたような、まるでその通りのようなリアクションを取ったことで、俺は怒りを感じた。
「どういうつもりで、私に、キス、したの?」戸惑い混乱のはざまに迷い込んでしまったのか、辛そうにしてつむぎは言葉を発した。
「つむぎは俺のことが好きなんだろ、見てれば分るよ」俺は顎をしゃくり強がって見せた。
「好きだよ、ずっと好きだよ。好きだったらなんなの、いきなりキスしてもいいわけ? 私は翔平の気持ちすら聞いてないのに、いきなりキスしても怒らないような女だって、思ってたわけ?」小刻みに震える身体と共鳴したのか、つむぎの声も震えていた。明らかに怒り、そして悲しみの涙をこぼしていた。「もう帰る」
つむぎは床に置いていたカバンを乱暴に掴み、一階へ駆け足で下って行った。
カギが外れる音が小さく鳴り、ドアが開いた、そして数秒して、静かにドアは閉まった。
その間、俺は身動きすらできなかった。
つむぎを目で追うことも、呼び止めることも、できなかった。
つむぎの正直な気持ちを聞いてしまった。
そして自分の正直な気持ちにも気づいてしまった。
俺は誰よりもつむぎのことが好きだった。
入試前日に同じ高校を受けると聞かされて、内心嬉しかったりもした。
なんとなく離れがたい雰囲気をつむぎは見せていたからだ。
中学では思春期特有の、『誰と誰が付き合ってる』という話題に上がらないために、女子とはそれなりに距離を保っていた。
変に噂を立てられ、それがつむぎの耳に入ることが嫌だったからだ。
もちろん、結局幼馴染とできてるんだ、と同級生にからかわれることも嫌だった。
それにも対処するために、なんとなくつむぎとも距離を置くようになっていた。
この微妙な距離感が、目に見えない溝を掘っていたことにいまさらになって気づいた。
「幼馴染だから許されるなんて、俺はなにバカなこと考えてたんだろ」
幼馴染だからこそ、ハッキリと告白をしないとダメだった。
例えば林間学校でのフォクーダンスの時に、素直に気持ちを伝えていれば良かったんだ……
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