第4話
お互いに素直じゃなかった。
認めてしまえばこんなこじれた事態を引き起こさずに済んだのに。
私はほとほと自分が嫌になる。
素直に自分から翔平へ告白してしまえば、いまごろ小洒落たカフェでデートでもしていたかもしれない。
翔平が私に勧めてきたように、お互い別々の高校に通いながら恋愛を成就させていたかもしれない。
あんな突然の、ムードもプロセスもあったもんじゃないキスを、しなくて済んだかもしれない。
七月の暑い空気が私にまとわりつく。
否応なしに、粘り気のある嫌な空気だ。
私は、ふと唇に触れた。
自分の指先よりも柔らかな感触だったそれを思い出し、また泣きそうになる。
翔平の胸に泣きすがれたらなんて甘い考えが浮かぶから、私はまたへこむ。
「本当に、最低だ」それは翔平ではなく、自分に向けた、刃のような言葉だった。
その日以来、翔平から私に話し掛けてくることが、一切なくなった。
付き合ってもないのに自然消滅、幼馴染解消と言った方がしっくりくるような感覚だった。
学校の廊下ですれ違えど目も合さずに通り過ぎていくだけ。
期末試験は雑念を払しょくできたせいか、学年で一番を取った。
もともとはレベルを下げて入学した学校だったからそれほど難しいことでもなかった。
馴染めなかったクラスも優等生の称号を得たおかげで友達もいくらかできた。
夏休みも友達と遊びに出掛け、髪を初めて染めた。ピアスも空けた。
一皮むけるとはこのことだろう。
何か抑制されていたものから解放されて、私は生まれ変わったような気分を味わえた。
たまたま近くのショッピングモールで翔平を見かけたことがあった。
恐らく私に気が付いたに違いない。
唖然とした顔で通り過ぎる私を目で追いかけていた。
その視線に、「気付かないフリ」をして、私は夏を終えた。
いくら髪を染めピアスを空けたとしても、勉強だけはしっかりやると決めていた。
外見は変えられても、中身までは変えられない。
真面目な部分が大樹の幹のようにしっかりと根付いていた。
始業日の教室内の話題と言えば、卒業の話で持ちきりだった。校長から、卒業おめでとう、と有難く証書を貰う式典のことじゃない。
初エッチがうんぬんかんぬんだ。
クラスメイトにもちらほら卒業をした人がいた。
それが羨ましいとかまったく思わなかった。
そもそもの恋人がほしいという気持ちさえ芽生えていなかったからだ。
「渋谷でナンパされた」「部活の先輩と」など、彼氏かどうかも分からない相手が卒業の相手だったと、恥ずかしげもなく披露していた。
恋人が初めての相手じゃないと、恥ずかしいことなの? と図らずも自問してしまった。
翔平の家で起きた一件以来、私のファーストキスはほろ苦い経験として胸に刺さっていた。
この傷を癒すには、いったいどんな人が恋人であればいいんだろう。
不意に翔平の顔が思い浮かぶ。
傷つけられた相手の顔が真っ先に浮かぶなんて、私も相当重症だわ。
それから季節は秋に移りかわっていった。
ただただ平凡な日常が過ぎていき、校内では体育祭がその話題の中心へと切り替わっていた。
「わたし走るの苦手だよ。チョーやだ」「障害物とか、なんでそんな恥さらさなきゃならないんだろ」
クラスの女子が口々に不満を漏らす。
この高校はスポーツ強豪校でもなければ進学校でもない。
みんな各々でそれなりの高校生生活を楽しんでる。
体育祭というイベントすら幼稚園のお遊戯同然に、やらされている感が強いらしい。
風の噂によれば、翔平は体育祭実行委員の委員になったらしい。
どういった風の吹きまわしなのか。
あるいは前期の成績が振るわなかったために、その補てんとして委員を買って出たのかもしれない。
「つむぎはなんの競技に出る」クラスメイトが私にたずねてきた。
「私も運動苦手だから、簡単にすぐ終わるやつにしようかな」私は翔平と違って運動は得意じゃない。見ている分には構わないが、やるには気が引ける。
「あーわかるそれ、でもそういうやつに限って競争率高いんだよね」とクラスメイトは分析をした。
お世辞にも頭がいいとは言えないその友人の口から、競争率という言葉が出てきたので私は思わず笑ってしまった。
「そういえばさ、一組の翔平君、実行委員やるらしいじゃん。なんかスポーツマンって感じしない? つむぎ同中だったんでしょ」
「へーそうなんだ」
「え、知らなかったの? 翔平君とつむぎって幼馴染らしいじゃん。高校まで一緒てなんか運命的じゃない」
「止めて、幼馴染だからって単純に仲がいいとか決めつけないで」
「なんでムキになるの? 翔平君って優しいしカッコいいし嫌いになる人なんて絶対いないって」と友人は笑った。
現に嫌いになった人が目の前にいるにも関わらず、彼女は翔平についてその持っている知識を私に披露した。
その全てが、私の持っている翔平の情報に遠く及ばないものばかりで、私はうんざりする。
「でもさ、彼女いないっていうからさ、わたしコクってみようかな」
「辞めときなって、残酷な結果になるから」申し訳ないが、翔平はきっとこの子には一切振り向いたりしない。
私には分っていた。
中学二年の頃を思い出す。
今の翔平は、あきらかに女子と距離を置いていて、なにかに対して遠慮していることを、私は知っていた。
体育祭当日、天気は無情にも晴れ、秋晴れの快晴がどこまでも続いていくような清々しさが私を包んだ。
私は一番無難な50m走を選びさっさとその役目を終え、体育祭が終わるのを大人しく自分の席に座り待っていた。
プログラムには滞りなく、次は一年生男子の種目、借り物競争へと進んだ。
それは遠目から見ても分かった。赤いハチマキをした見慣れたシルエット。
入念な屈伸と腕を伸ばす仕草。
周りの女子が発する色めきの歓声。
あいつが借り物競争に現れた。
快晴の空に、『パーン』と乾いた音が鳴り響く。
競技中の音楽はなぜかオクラホマミクサーが流れ、その音楽の緩さからか、観客も気楽に競技を眺めていた。
各レーンの男子がスタートの先にある机目がけて駆け出した。
机には借り物が記された紙が置かれ、それを掴むと選手たちは四方へと散らばっていった。
私の視線は、周りの女子同様に、一人の男子に注がれていた、机に置かれた紙をジッと見つめ、何事か考えている様子だった。
意を決したのか、ポケットへ紙を突っこみ、ゆっくりと歩を進めだす。彼の紙にはいったい何が書かれていたのだろう。
その歩みが、迷うことなくこちらに向かっていると気付いたのは、いつからだったんだろう。
もうひどく昔からのような気がしてならない。
オクラホマミクサーという場違いな音楽が、それをさらに強く際立たせる。
あのとき、掴み損ねた願いが叶うような気がしてならない。
いつの間にか、彼は私たちのクラスの前までやってきていた。
周りの女子同様、私も心臓が飛び跳ねるほど高ぶっていた。周りのクラスメイト以上に、だ。
「つむぎ、一緒に来い」翔平が私の名を呼ぶ。
あの日、翔平の家で呼ばれて以来だった。
そのあと一度も呼ばれていなかった私の名前を、翔平は口にした。
フラフラと、呼ばれるままに、周りの女子の冷ややかな視線を受けながら、私は翔平のところへ向かった。
彼は何も言わず、私の手をつかみゴールへ歩き出した。
とても一番を狙うような歩みではなく、あせらずゆっくりと地道に足場をふみ固めて歩むような、堂々としたものだった。
彼の借り物とは、いったいなんだ。
そんな考えも浮かんでは来るが、この場で聞けるような雰囲気でもなかった。
彼の横顔に決意がみなぎっている。
林間学校のフォークダンスのときのような、ぎこちない笑顔はもうない。
すでに他の選手はゴールし終わって残すのは翔平と私のみだった。
翔平はポケットに手を入れ、借り物が書かれた紙を取り出す。
その紙には何と書かれているの?
「さあ、いま最後の選手がゴールしました! 果たして紙には何と書かれていたんでしょうか!」放送部の実況担当が声をあげる。
こういったとき決まって最後の人をいじって煽るのが体育祭の常だ。
ゴール担当に係が翔平から紙を受け取り、爆笑する。
その紙を手に放送席へと駆け出す。
「えー、いま係りの者から紙を受けとりました。あーっと! なんと借り物は、『恋人』です!」実況に全校生徒から歓声が沸いた。
その歓声を浴び、翔平は握りこぶしを空に突き上げた。
心の中で私は、オクラホマミクサーの音楽とともに胸躍らせていた。
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