第2話

 「だったら大人しくしてた方が良かっただろ」と翔平はそっぽを向いた。


 その言葉に、私の言葉は詰まらされた。満員電車のように押しても引いても身動きの取れない、行き詰った感覚。

 翔平からの折角の誘いを棒に振ることは、私にはできなかった。野球でいう所のピンチヒッター、チャンスに訪れる代打の神様のような気分だった。

 あのときの本音を言うなら、私はまだ本調子じゃなかった。翔平の言ったとおりにキャンプファイヤーのときも横になっているつもりだった。そこへ急にあいつが来たものだから、部屋にいた他の女子も色めき立った。


 これは自慢ではない。

 翔平は頭こそ出来は良くなかったがその他の、十代の共通認識としてある、人に好かれる要素を兼ね備えた男だった。

 顔よし、声よし、ルックスよし、スポーツ万能、それでいて相手がどんな人でも接し方は変えなかった。


 当然のように、翔平の周りには人の輪ができ、いつも明るい声が絶えなかった。

 そんな翔平に恋する女子は少なからずいた。


 あのときの部屋の中にも。


 私が翔平と仲が良かったことは、突然の来訪の非難を取り消すには力が及ばなかった。

 むしろそれは逆効果で、私目あてで翔平が来たことに怒りを買ったとさえ思った。

 それをあいつは。


「あ、悪ぃ。いちおう万が一のために避難経路の確認したくて。片っぱしから部屋の確認してたんだわ。何かあればここに逃げ込むのが一番良さそうだな」と言ってのけた。


 私はすかさず、「じゃあ今ここで、ここに逃げ込むことが一番危険だってこと、教えてあげようか」と返した。

 庇うつもりも慣れ合うつもりでもない私の声のトーンに、周囲は静まり返った。


 周りの女子は私と翔平は付き合っていると思い込んでいたようだが、それは違った。

 私はそのことに対して焦りを感じていた。

 こんなに近い存在でありながら、歳を重ねるごとに、翔平だけに光が当たっていることに、私は不安に感じる日々だった。

 ステージに立つアイドルのような、スポットライトを浴び歓声を受け、その一挙手一投足まで見逃すまいと、周りの女の子が見つめていたのを、私は何人も見てきた。

 普段のような制服姿や体操着姿とは違う、この日のために購入したであろうパジャマに着替えた他の女子は、翔平の眼にどんな風に映ったのか、私は知る由もない。


「ここはひとまず退散、だな。つむぎ、お前いつまでも寝てねーでキャンプファイヤーのときいっしょに踊れよ」と言い残して去っていった。

 一緒にとは、いったい誰をさして言ったことだったのか。みんな? それとも……



「結局、踊ってる最中だってフラフラしてたしな。あれは間違いなくフラダンスだったな」翔平はすっかり当時のことを思い出していた。


「最初は覚えていないようなふりしといてさ、ちゃんと覚えてるじゃん。私の足がおぼつかなかったことも」


「よたって俺に倒れ込んだこともな。あのときめっちゃ恥ずかしそうにしてたよな、つむぎ」


「自分だって、『あ、悪ぃ』とか勝手に謝ってきてたじゃん。下心あったから謝ったんでしょ」


「あれは俺のスッテプがだな、ちょっと早くてつまづいたんじゃないかと思ってだな」翔平は必死に否定を繰り返す。

 いつのまにか自分に非があるように仕向けてくるから、最低なのだ。


 長年のそういったやり取りに埋もれてきた、頭の中で思い描いた数々の告白の言葉は、拾い集めたらキリのないほど散らばっていた。

 振りかぶって投げられたボールを、私は見事に見逃して、ボールはいつの間にかキャッチャーミットに収まっている。

 バットを振ることなく、チャンスを棒に振る。いや、棒すら振っていないのだから、知らんぷりも同然だ。


「てゆうかそろそろ本題に入んない?」私は日の暮れ始めた空を眺める。


 翔平が西を向き、私は東を向いてお互いに向き合っていた。

 彼の顔に沈みゆく太陽の日が当たる、少しまぶしそうな顔を、今だけは私が独り占めしている。



 翔平は高校に入っても相変わらず人気者だった。

 入学早々にクラスにとけ込み友人を増やしていった。


 私といえば、翔平とは別々のクラスに振り分けられたせいか、引っ込み思案もこうじてなかなか友達を作ることができず、いつの間にか七月に突入していた高校一年の夏。

 夏休みまであと一か月とない期末試験を控えた一週間前に、翔平が私を試験勉強の助っ人として招集した。


「翔平の家、久しぶりかも」懐かしい風景につい口も緩む。「中二が最後だったかな、この部屋に来たの」


「よく覚えてんのな。あ、適当に座ってて。お茶持って来るわ」翔平はカバンをベッドに放り投げ、足早に一階へと降りていった。

 部屋に取り残された私はローテーブルが置かれたカーペットの上に立って室内を見渡した。


 そう、よく覚えていた。


 高校へ進学し、お互いに微妙な距離感を保ちつつ過ごしていた中で遠巻きに耳にしていたことが、翔平は同級生を家に招いていた、という話だった。

 どっちがというよりも、周りが異性を気にしだして、互いになんとなく一緒にいる時間が減り始めてきた中二の後半。

 誤解を招くことが怖く、翔平の家に足を踏み入れることを止めた。


「まーだ座ってねーのかよ」翔平はコップ二つを右手に、麦茶のペットボトル左脇に抱えて帰ってきた。


「なんか、落ち着かなくって」


「クソか?」


「年頃の女の子に向かって、良くもそんな下品なこと言えるよね」


「ジョーダンだよ。良いから座れよ」


「失礼します」私は膝を折りたたみ、スカートのすそを挟んで座った。


 翔平は水滴のついた麦茶のボトルを、ドンとテーブルの上に置いた。

 コップの一つを私の前に置くと、ボトルのキャプを外し麦茶を注いだ。

 ありがと、と伝えると緊張のためか口がカラカラに乾いていたので、私は直ぐに口を付けた。


「なんだよ、緊張してんのか」翔平は自分のコップにも麦茶を注いだ。


「緊張するようなことがこれから起こるわけ?」


「じゃあ本題に入るとすっか」翔平はワイシャツのボタンを一つ外し麦茶を煽った。

 気合を入れるためなのか、一気にコップ一杯分の麦茶を飲み干しコップを静かにテーブルに戻す。


 これはヤバい、この展開は私の人生でいちばん大変なことが起きる、そう確信した。


「お前なんで今の高校受けた」



「え?」


 私は戸惑った。

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