第8話 突然貰った休息日。
王女教育のハードなスケジュールに挫けそうになりつつも、終わりの無いものは無いのだと、それだけを支えに必死に齧りついて毎日をこなしていた或る日。
先日、公爵夫人が「心に余裕のある事は美に繋がります。淑女には休息も大切です。午前、午後どちらか何もしない時間を用意してあげましょう」と、進言してくれたおかげで、久しぶりに午後何もしないでのんびりする時間が設けられた。
記憶が無くても読み書きは出来るのか、本は全く無理なくスラスラと読めた。
(書く場合は自分は日本語を書いているのが、相手にはちゃんと王国語で書かれているように読めるらしいけど)
読みかけの本を読むでもいいなぁ。
それとも、苦手な刺繍を―――あ、それはいつもの淑女教育のひとつだからやめよう。
夫人は「王女教育内容とは一切離れた時間を持つのが大切」とアドバイスを頂戴したのだった。
刺繍なんて前世の私にはまったく縁のないものだったけれど、この世界で毎日のようにやらされてるうちに、習慣化してしまったらしい。
手持ちぶさたの時はスマホを弄ってた指は、今では苦手なりに刺繍をしてたりするのだから。
(うーん、魔法もまだ雑学メインで習ってないし―――あ、それも王女教育の一貫なんだからダメだわ…)
何をすればいいのかほとほと困り始めた頃、扉がノックされた。
入室した侍従から「陛下が、イオフィリア姫様と王宮の庭を散策したいと伝言を承っております。如何されますか?」と微笑みながら伝えられた。
「お父様が私と―――? 行きます! 是非!」
何をすればいいのか悩んでいた中、一番嬉しい過ごし方を提案されて、思わず座っていたソファから跳ねるように立ち上がる程嬉しい。
「陛下は執務室で姫様が来られるまで政務をこなしているようですので、まずはそちらの方へ――」
「お待ちください! 姫様が庭を散策されるのであれば、外歩き用のドレスがございますので、そちらにお召しかえをしてから陛下のところへお願い致します!」
今まで壁際で気配を全く感じさせず佇んでいた専属メイドのテレサが、大きな声でハキハキと話し出す。
「了解致しました、では、私は扉前にて待機しております。準備が終わりましたらお声掛け下さい。」
侍従が退室するとテレサが両手を何故かわきわきさせながら、
「さぁ~陛下が見惚れるくらい美しい姫様にしてあげますからね!」と近づいてきた。
「テ、テレサ…このドレスも軽くて動きやすいから、これでいいわ…よ?」
「なりません姫様、美は一日にして成らず、陛下にとてもよく似た面立ちは素晴らしい美貌で天使のような妖精のような美少女ですけれど、少し手を入れたら女神様にもなれる所を、陛下にもご覧頂きたいのです!あわよくば、高位貴族の親とその
ふんすふんすと鼻息荒く憤るテレサに、璃音は何も言えなくなってしまった。
普段から温厚なテレサが、ここまで怒り心頭になるような事の何があったのだろうか…
テレサが真剣過ぎて興奮してるのか、瞳の瞳孔が猫の目のように縦に伸びている。
捕食対象を見た時の肉食動物のような獰猛さを感じて、身体がふるりと震えた。
(テレサを怒らせないようにしよう。怒ってるところ滅多にみたことないけどね)
竜族も興奮すると瞳孔が縦に伸びるらしいので、テレサのこの瞳も興奮した竜族の特徴である。
薄い桃色のサンドレスのような型だけど首と両肩はしっかりと布で覆ってある服装から、黄色の華美過ぎないけれど花びらを刺繍にして花弁部分に小さな宝石が縫い付けてあるデイドレスに着替える。
髪を編み込んで貰い、編み込んだ部分にランダムに黄色の小花の装飾がついたピンのようなものを差し込んでいるので、何ていうか花の妖精さんチックな雰囲気になってしまっていて、テレサの言う「女神感」はない気がするけど…
こっちの方が璃音の好みだ。
先程のサンドレスっぽいドレスよりは重さはあるけれど、おめかししたデイドレスの姿はとっても可愛い。
「姫様出来ました! 夢のように美しいですわ…。今でこれほどなのですから将来が本当に本当にっ、テレサは楽しみで仕方ありませんわ。さぁ、陛下にもすぐ見て頂きましょうね?」
テレサの感極まる発言をぼおっと聞きながら、鏡に映る己を見た。
黄金色の髪と黄金色の瞳、お父様ととても良く似た顔立ちの少女。
(この世界で目覚めてまだそんなに経過してないからか、未だ前世の璃音の容姿が自分の容姿って脳が思っちゃってるのか、この顔にあまり慣れないのよね…お父様によく似た顔はすごく嬉しいのだけど―――)
鏡に映る妖精のようなその姿を見る。
顔をくしゃりと歪ませると、鏡の中の少女も顔をくしゃりと歪ませた。
私が意図した動作をする鏡の中の少女。
――そう、間違いなくこの世界の私なんだけど…私であって私じゃないような…?
写真の一枚を眺めるみたいに遠い夢の世界の住人を見てるような…
つまり現実感が全くもって無いのだ。
朝目覚めた瞬間は未だに違和感を感じているし、その時、もしかしたら夢なんじゃないかと思ったりもするけれど――
幾度と繰り返している目覚めが、この夢のようなこの世界が覚めない現実なのだと教えてくれるのだ。
自分はこの世界に根付いていってるのは分かっているんだけど、納得していないんだろうな。
――――いや、諦めていないのかも。
神様に言われてこの世界に来たけど、もしかしたらスッと戻れたりなんてしないんだろうかなんて、どこかでほんのちょっぴり思ってるんだ。
前世はネットに映画やテレビ、小説だってネットでたくさん読めた。
スマホはどこでも持って移動出来て自分の好きなゲームやSNSや動画サイトを見れたし…いつでもどこでも人と繋がれて、凄い便利な世界だったもん。
神は「素晴らしい思いが出来る」的にこの世界に送ってくれたけど、正直最先端科学にどっぷり浸かって生きてきた私には、素晴らしいの何てお父様のイケメン度合いくらいじゃなかろうかと思う。
前の世界に唯一勝ってるのって美形だらけの竜族に転生したってだけじゃないかと。
魔法もあるけど、妖精族も魔族にもまだ会ってないけど、この世界の楽しみの小指の先程体験してないかもしれないけど――――
まだ前世のあの便利な世界の方が魅力的に感じたりするよなー。
あの世界の私は死んでるんだけどさー。
こうやって、竜族の姫の中に入れられたんだから、あの世界でも脳死判定されてしまって、寝たきりの可哀想な女の子の身体に入れられたんでは…? と思ったり。
その子じゃない私がその子の中に入るっていう倫理観的なものは感じるけど。
だらだらと前世への未練を脳内で垂れ流しながら侍従の案内に着いて行っていたらしい。
いつの間にか、お父様が仕事をしている執務室の扉の前に立っていた。
私、器用だな。
「ああ、入れ」
お父様の素敵な声で入室を許可された。
執務机で政務をしていたお父様は、私の姿を見ると立ち上がりすぐに傍へと来て、手を差し出してくれた。
大きな掌に指先をちょこんと乗せると、指先だけをきゅっと握られた。
そのまま執務室内にある、高そうなソファへとエスコートされる。
私をソファへと座らせると、ニコニコと微笑みながら「イオ、後少し残ったのを片付けたら、数時間一緒に居られる時間が作れるんだ。もう少し待っていて。」と言われたので、コクコクと頷いておく。
いやー、朝見たばっかりのご尊顔ですが、しばらく間が開いて見るとドキドキする程の美しさです。
それ自体が光を放ってるかのように髪も瞳もキラキラしい。
これが、わたしの、おとうさま。
すごいな、この世界のわたし。
こんな凄く凄く素敵な人と繋がりがあるなんて。
そう、この世界にはお父様が居るんだよ。
凄く凄く素敵なお父様が。
お父様の元で目覚めてなかったら、この世界に全く興味も未練もなかったかも。
もし、今から前の世界に戻れるってなっても、この世界で前世に未練を残してうじうじ考えるように、前の世界に戻ったら戻ったでこの世界を思い出してうじうじしそうだ、間違いない。
この世界というよりお父様を思い出してうじうじが正解か。
お父様を待ってるその間、お茶とお菓子を食べて待っているようにと言われた。
政務をこなす超絶イケメン父の真剣な表情を眺めながら頂く、お茶とお菓子。
前世の娯楽以上の眼福が提供されている。
うん、お父様がいるなら、あの怠惰な世界にやがて未練もなくなる気がする。
お茶にもお菓子にも口をつけないでずっとお父様を凝視する。
そんな娘の視線に気づいたアラクシエルは、可愛くてたまらない娘の目線をしっかり合わせると、また微笑みお菓子を食べるようにと促す。
「イオの為に用意させたのだ。食べなさい。」
「は、はいっ、食べます!」
慌てて口にするお菓子は、璃音の好みばっちりで。
お父様の気持ちが嬉しくなった。
政務を一段落させたお父様と私。
優雅な所作で私を庭園へとエスコートするお父様に連れられて、目覚めてから初めて王宮庭園へと足を踏み入れた。
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