第五章 四話 クリスマスイブは波乱含みで
「お、おおう。ああ朱音か、おはよう」
「やっと起きてくれたわ、弘樹」
弘樹が目を覚ます。
今朝は明確に朱音から起こされたと分かった。
「ど、どうしたんだ朱音、何かあったのか? いつもより慌ててる気がするけど」
朱音の声に焦りを感じて弘樹がたずねた。
眠気が強く、十分に寝られていない気がする。
彼が時計を確認すると、まだ夜明け前だった。
「ちょっといろいろあったの。彼女たちも困惑してて今日は早めに帰ったよ」
「早めに帰った? いろいろって……もしかして、クリスマスパーティの参加を断られたのか?」
弘樹が心配そうにたずねると、朱音からは意外な返事があった。
「いえ、パーティは全員参加してくれるって。それよりも大きな問題があったの。まずは弘樹の家よ」
「俺の家?」
「アリスちゃんが誤解してるかもって弘樹が言うから、弘樹宛の郵便封筒を二通用意したでしょう?」
「どうだった? あれで誤解は解けたよな?」
「いえ、むしろ複雑になったわ」
「何でだよ⁉」
弘樹は声を荒げた。
アリスが何を勘違いしてるか分からないが、郵便物を見ればすぐ解決するだろう、弘樹はそう安心しきっていたからだ。
「アリスちゃんが言うには、この家の間取りや構造が自分の家にそっくりなんだって」
「まあ、ありがちな建売住宅らしいからな。似ていることもあるだろ」
この家は建売されてたのを、俺の父さんが亡くなる数年前に買ったと聞いてる。
そのころ俺は幼稚園に入園前でこの家への引っ越しを覚えてない。
母さんが教えてくれたんだ。
なんでもこの家の購入を迷っていたが、幼児の俺がこの家がいいと強く主張してそれが決め手になったらしい。
「それだけじゃないの。その二階の弘樹の部屋から見た景色も、アリスちゃんの部屋から見た景色と全く同じだそうよ」
「いくら住宅地で似たような家が多いからってそりゃないな。だいたい、住所が違うだろ?」
「いえ、彼女が言うには完全に同じ住所だそうよ」
「彼女も悪ふざけが過ぎるなあ」
「あの混乱したアリスちゃんを見たら、とてもふざけてるように見えないわ」
「だとしてもそんな話あり得ないだろ?」
そんな訳がないとまったく取り合わない弘樹に向かって、朱音が一呼吸置いてから声のトーンを下げて言った。
「理沙姉さんがね、ある仮説を言ったの」
朱音の声はいつになく真剣だった。
その本気度を強く感じた弘樹は、先程の軽い態度を改めると、口をつぐんで次に続く言葉を待った。
「この仮説が正しければ、彼女たちのスマホが弘樹の部屋で使えないことも、転移で帰った後にメールや電話で連絡がとれないことにも説明がつくの」
「ど、どんな仮説なんだ?」
「彼女たちはね……」
「彼女たちは?」
「別世界から来てるの」
「⁉」
「正確に言うと我々の世界と非常に似た別世界」
「非常に似た別世界……」
「理沙さんはね、最初から違和感があったそうよ」
「違和感だと?」
「同じ銘柄のビールなのに微妙に味が違うんだって」
「……何だよ、ばかばかしい。それじゃ、まんまアニメの異世界召喚じゃないか。そんな訳あるか!」
拍子抜けした弘樹は、まあ冗談としては面白いかと思ったが、朱音の声のトーンは変わっていなかった。
「それを確認するために彼女たちは、パソコンで検索したの」
「何を? ビールをか?」
「自分たちのゲーム実況サイトをよ」
「何⁉ ……おい、そ、それでどうなった?」
「ちょうどね、アリスちゃんが生配信してた」
「そりゃあ、ゲーム実況アイドルなんだから生配信くらいするだろ……。な、ななな生配信だと!!??」
朱音は冗談を言っても嘘をつくような奴じゃない。
それは俺が誰よりもよく分かっている。
つまり本当ということだ。
生配信か……。
だとしたら、撮影場所にはアリスちゃんがいることになる。
俺の部屋に来てる彼女が同時に別の場所にいる。
二人は似てるけど同一人物じゃないことになる。
よく考えてみれば召喚自体があり得なかったんだ。
毎晩毎晩召喚が起こるから考えなくなっていたが、そもそも召喚でどの場所から人を呼ぶのかは定かじゃなかった。
ゲーム実況でよく見る身近なアイドルたちだから、てっきりその本人たちを長距離転移させていると思い込んでいた。
でも実は、俺が寝てる間に来ている彼女たち、アリスちゃんもせせらぎちゃんも理沙さんも、よく似た世界から来てたということか⁉
だとしたらその世界は、この世界を鏡に映したような、よく似た並行世界みたいな所なんだろうか……。
「アリスちゃんの住所はね、やっぱり弘樹の住所と同じだそうよ。というか、向こうの世界では弘樹の家が彼女の家らしいわ」
「鏡に映したようによく似た世界だが、この家に住んでる人間だけがズレている、ということか?」
「ええ。向こうの世界では、そこの家を買って住んでるのがアリスちゃんの家族なのよ」
「この家を買ったのは、幼児だった俺が訳も分からずこの家がいいと強く主張したからなんだ」
「アリスちゃんたちの世界では、その出来事がなかったんでしょうね……」
朱音が腑に落ちたように頷いた。
記憶も残らないほど幼い子供の主張なんて、一貫性がないもんな。
あっちの世界の幼児の俺と、こっちの世界の幼児の俺で、行動が違ったのかもしれない。
……。
つじつまは合ってる気がする。
そもそも召喚がすでに超常現象なんだ。
だったら、召喚相手が同じ世界の人間じゃなきゃいけない事情なんかない。
あの靴屋のおとぎ話だって、小人がこの世にいる訳ないんだし、ひょっとしたら召喚された異世界人の実話だったのかもしれない。
弘樹が黙って考え込んでいると、朱音がさらにスマホの話を付け加える。
「せせらぎ師匠は別世界にいるんだもの。メールや電話が通じないのも仕方がないわ」
「でも、こっちの世界に持ち込んだ彼女たちのスマホで、メールや電話ができないのはどうしてだ?」
「向こうの世界で発行されたSIMカードが、こっちの世界の通信会社に登録されてないからだろう、って理沙さんが言ってた」
「いくらスマホだけこっちの世界に持ち込んでも、回線を提供する通信会社からすれば、知らないお客さんなのか……」
なるほどな。
だが、もし彼女たちが本当に並行世界から来ているとして、ほかにどんな問題があるんだろう?
映像で彼女たちを見る限り超が付くほど可愛いけど、それ以外はこの世界の女性と変わらないと思う。
もし上手いこと別世界の恋人ができても、困ることなんてなさそうだけど。
彼女たちが本当に並行世界の住人だとしても、たぶんエッチなことだって大丈夫な気がする。
じゃあ恋人が別世界の女性でもいいじゃないか。
ことの重大さに二人は神妙な声色で会話をしたが、結局、弘樹が心配したのはスケベなことだった。
しかし弘樹と朱音は、それよりも深刻な事態があることをすぐには気づけなかった。
◇◇◇
里美は、弘樹から明日の昼間のクリスマスパーティへ誘われていた。
ならば買い出しなどを手伝おうと思い、相談のために、弘樹と朱音とチャット通話を繋げていた。
「わっ、画面が白くなった」
「三人同時召喚だと光が強くて、毎回映像が真っ白になるのよ」
朱音が里美に最近の三人同時召喚の様子を教えてくれる。
弘樹の通話映像が元の調子の戻ると、机で突っ伏して眠る弘樹の後ろに、パジャマ姿のアリスが立っていて、ベッドには同じくパジャマ姿のせせらぎが座っているのが映った。
里美がモニターを見ても理沙の姿は確認できないが、以前の弘樹の家でのことを考えると、きっと床へ直に座っていて机の陰で見えないのだろうと思った。
少し前の弘樹の様子を思い出した里美は、頬を膨らませて口を尖らせる。
彼がゲーム実況アイドルたちを召喚しようと、無言で必死に三つのゲームをプレイする姿を見守っていたからだ。
「弘樹さん、彼女たちのためにあんなに頑張ってた。私だって彼への想いの強さじゃ、絶対に負けない自信があるのよ。なのにライバルがあんなに可愛いアイドルたちだなんて。私、大変すぎるんですけど!」
「あの、里ミン? 心の声が漏れてるわよ」
通話アプリで繋がっている朱音がツッコむ。
普段オンラインゲームなどしない里美は、パソコンアプリの通話に慣れていないのと、自分の部屋にいる安心感でつい独り言が漏れてしまった。
「あ、朱音さん! 今のは別に、ひ、弘樹さんを好きとかそういうのじゃ……」
「ホント弘樹はモテモテよね。ちょっと前までは朱音一人しか相手してなかったのに。きっと今があいつのモテ期ね」
弘樹を好きな気持ちが朱音には完全に把握されていると分かり、里美の顔は真っ赤になった。
は、恥ずかしい……。
もう弘樹さんへの想いがバレバレだ。
私、好きな人を周囲に宣言するタイプじゃなかったのに。
あんなにライバルがいたら焦りもするわよ。
でもさっきの話、本当なのかしら?
「ねえ朱音さん」
「え、何?」
「もし本当に彼女たちが別の世界から来ているとしたら、召喚以外で……例えば外で直接会うことはできないのよね?」
「ええ。朱音もせせらぎ師匠のクランで活躍できるかもって思ってたけど、相手が別世界の住人じゃ直接会うどころか、ネットすらつながらないでしょうね」
「そう……なんだ」
「ガッカリよね」
「……最悪だ、私」
「え?」
弘樹さんから彼女たちが並行世界の人かもしれないと聞かされた。
最初は何を言ってるのかと困惑したけど、召喚される彼女たちを間近で目撃した私だから、もしかしたらそれもあるかもって素直に思った。
彼女たちには、起きている彼に会える手段がないとも分かった。
それを聞いて私が有利だって、勝てそうだって思ってしまった。
彼女たちにはどうにもできないことなのに、それを聞いて嬉しくなってしまった。
私、嫌な女だ。
譲らないですむって思ってしまった。
弘樹さんを私の彼氏にできるって思ってしまった。
だけど私の想いが強いように、きっと彼女たちの弘樹さんへの想いも強いんだよね……。
里美が口を強く閉じて、寝落ちする弘樹の様子を画面越しに見ていると、ストンと弘樹の横にアリスが座った。
机に突っ伏して眠る弘樹の後ろには、モニターをのぞき込むせせらぎと理沙の姿が映っている。
息を吸い込んで里美から話しかけた。
「アリスさん、こんばんは」
「はーい、里ミンこんばんは。朱音もよろ~。じゃあ、明日のパーティの打ち合わせをするけどよい?」
「アリスちゃん、朱音、考えたんだけど……」
朱音が言いづらそうに切り出すと、里美が後の話を続けた。
「あなたとせせらぎさんと理沙さんは別世界から来ているのかもしれない、弘樹さんと朱音さんからそう聞いたの」
「そっか、聞いたんだね」
「もし本当だとしたら、みなさんは……起きている弘樹さんと会えないことになる……よね」
「それはみんなで話したし、自分でも考えたよ」
「あのね、だから……。だから……彼のことはもう……諦めた方がいいと思うの」
「急にどうしたの? 何でそんなこと言うの?」
「ごめんなさい。だって、だってそうじゃないと、今のままは……あまりに酷すぎると思うから……」
「里ミン? 大丈夫?」
里美は急に感情が高ぶったのか、たどたどしい口調になり抑揚がとても乱れた。
アリスがモニター越しに里美へ声をかけて心配そうにしている。
「みなさんが……つらい思いをしてしまうから……」
「うん」
「私がこんなに弘樹さんへの想いを抑えきれないんだもの! みなさんだって彼を好きな気持ちは、きっと同じと思うの」
「うん。そうだよ」
「なのに、なのにみなさんは……。弘樹さんと視線を交わすことはできないのよ。……そんなの、悲しすぎるよ……」
「里ミン……」
途中から里美の声は涙声になっていた。
たとえ想いがどんなに強くても、これはどうしようもない壁だもの。
もしも……、もしもその壁が自分の前にもあったら……私にはつらくて耐えられそうにないよ!
彼女たちの立場が自分だったなら、そう想像した里美はもう自分の感情を抑えることができなかった。
里美のすすり泣く声が聞こえた。
じっと黙って聞いていた朱音が何か言おうとしたが、声にはならなかった。
アリスはなんとか里美を慰めようと声をかけていたが、徐々に口数が少なくなって口をつぐんだ。
そしてゆっくり目を閉じる。
アリスの肩が小刻みに震えた。
「里ミン。……ありがとう」
言葉とともに、涙が彼女の頬をつたった。
せせらぎはアリスの後ろで立ったまま、片手を口に当てて顔を背けると身体を震わせた。
弘樹の後ろにいた理沙は、カメラに背中を見せると静かに上を向いた。
そうして少しの間、誰もしゃべらずにいた。
やっと里美のすすり泣きがおさまると、今度は悲しみの雰囲気を一掃するように明るい声が響いた。
「ダメだよ、里ミン。ライバルに同情しちゃ!」
大きく目を開いたアリスが元気に声を出した。
涙が残る頬のまま、彼女は笑顔を作っていた。
いつも明るいアリスであっても、誰の目にもそれは無理にそうしているのだと分かった。
いつの間にかせせらぎも、アリスの後ろからモニターに顔を近づけている。
「気にしないでくださいね。私だってちっとも諦めていないのですよ」
せせらぎが優しく微笑む。
綺麗な黒髪ロングの彼女の微笑みは、何者も寄せ付けないほどの凛とした美しさを放っていた。
理沙もこちらに身体を向けている。
「どうしても無理だって思ったら、自分でちゃんと諦めるから。だから里美は気にすんな」
理沙がいつもと違う真摯な言葉を口にしたので、彼女なりに気遣ったのが里美にも伝わった。
里美は胸がいっぱいになり下を向いて涙を零した。
唇を強く結び、涙が出ても嗚咽を漏らさないように堪えた。
椅子に座ったまま太ももの上に両手を置いて、強く握りしめた。
それからゆっくりと顔を上げる。
「私はライバルに恥じない戦いをして弘樹さんを勝ち取りたい。ちゃんと戦って彼に選んでもらいたい。だから、みなさんが来ないときは仕事以外で彼と会わないわ!」
「え、里ミン? 本気なの?」
「里美さんが、何もそこまで気を使われなくても」
「マジか。やっぱ里美はイイ女だな」
これでいいの。
弘樹さんのことは好きだけど、抜け駆けして出し抜いてもきっと彼は振り向いてくれない。
だから、これでいいの。
それに私は単純に彼女たちと仲良しになりたい。
だってみんな、魅力的なライバルなんだもん。
単なる警戒対象で、悩ましいライバルであったゲーム実況アイドルたちは今、里美にとって恋のライバル以上に大切な存在になっていた。
「じゃあ、里ミン! 明日のこと打ち合わせなきゃだよ、よい?」
「はい、そうですね!」
笑顔で相談しあう彼女たちに対して、朱音がもごもごとしゃべりづらそうにしている。
「あ、あの、あ、朱音も諦めたくないんだよね……」
誰もがその相手は弘樹であると理解したが、当の朱音はみんなに伝わってないと思ったのか補足する。
「朱音、ずっと弘樹とネッ友だけど、その、最近自分の気持ちに気づいて……」
朱音の気持ちはバレバレなのに、今更必死に説明しようとするのでみんなが笑顔になった。
恥ずかしそうな朱音を見て理沙がニヤニヤする。
「ふふふっ、待て待て朱音。それは朱音にとって、弘樹が特別な存在だということか?」
「と、特別!? まあ、ほかの奴らと比べて特別かも」
朱音の追及を始めた理沙の頬は紅潮していて、里美の目にも彼女が興奮していると分かった。
「それは、弘樹を愛しているということか?」
「え、あ、愛してっ!? えと、まあ、その、当たらずとも遠からずというか……」
愛という言葉に耳まで真っ赤になった朱音が、モニター越しでも羞恥に耐えているのが分かる。
「よーし。じゃあ、朱音がどんな風に弘樹を愛しているか、今から具体的に教えてもらおうか……」
「理沙さんてば! ですわよ、完全に忘れとるし!」
「ちゃんとしなきゃ、ダメですぅ」
理沙の発言を受けて、アリスとせせらぎが口調の指摘という形で朱音の助けに入った。
「いやいや、お前らだってさっき里美と地で話してたじゃねぇか。なあ里美?」
「いえ理沙さん。今のは口調よりも内容に問題があった気がしますよ?」
里美にまで指摘されて理沙が珍しく膨れた。
「……もう、みなさんだってホントは聞きたかったでしょうに。この仕打ち、後で覚えていらしてね!」
理沙はそう言うと赤いロングのくせ毛を色っぽくかき上げた。
彼女のその態度を笑顔で見ていた里美は、理沙が空想上の何かに似ていると感じた。
「えーと何に似ているのかしら。最近読んだ乙女ゲームの小説に出てくる……そう、悪役令嬢だわ!」
彼女は思わず顔の前で手を叩いて声に出した。
理沙の立ち居振る舞いが、あまりに里美の抱くイメージ通りの悪役令嬢に近かったからだ。
次回、最終前話「ハーレムパーティ」
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