第四章 五話 透けブラ

「弘樹さん! 弘樹さん!」

「え、だ、誰? 朱音……? さ、里美さん!!」


 弘樹は机に突っ伏したまま顔を横にして薄目を開けたが、自分を起こしたのが里美だと気づいて勢いよく身体を起こした。




 誰かと思ったら、里美さんじゃないか!

 そうか、昨日また里美さんが家に来たんだっけ。

 それで、彼女に勧められて二度寝したんだった。

 それにしても部屋に里美さんがいるの慣れないな。

 目が覚めたときに女性がいたら夢のようだなんて思ってたけど、実際にいたらかなり慌てるよ。

 そもそも、そういうのは恋人同士の話か。

 でも、もし里美さんと付き合うようになったら、彼女に起こされても驚かなくなるんだろうか。




 里美は弘樹の隣に置かれたデスクチェアに座ってこちらを向き、彼に微笑みかけた。


「弘樹さん。ほら、もうアルバイトの時間ですよ?」

「え、今何時? ってまた九時三十分じゃないか!」


 昨日と同じくバイトまで三十分しかないことに慌てたせいで弘樹はハッキリ目覚めたが、同時に部屋の異常な暑さにも気がついた。

 弘樹が汗でズレた眼鏡を直すと、里美が部屋の暑さについて謝罪してきた。


「弘樹さん、ごめんなさい。あの後、暖房の設定温度を上げたんですけど、そのままうっかり寝ちゃいまして……」




 ええ⁉ 里美さんも暖房温度を上げたの?

 俺の部屋に来る女性たちは、ことごとく部屋の設定温度を上げるよな。

 あ、分かったぞ!

 女性って冷え性が多いというから、きっと俺の設定温度だと寒いのかもしれないな。




 見当違いの推測をしている弘樹をよそに、里美は緊張しているのか声を震わせながら言葉を続ける。


「そ、それでね。暑くて、あ、汗をかいたから、そ、その……」


 里美はそう言うと、もじもじして少しうつむいた。

 彼女の顔はほんのりと上気していて、それが弘樹にはただ部屋が暑いからとは違うように見えた。


 今、彼女は頬を染めて上目遣いで彼を見ている。

 その態度を見ればいくら恋愛経験の乏しい弘樹でも、里美が何か言おうとして恥ずかしがっているのだと気がつく。


「ど、どうしたの?」


 弘樹が緊張してたずねる。

 彼の質問に彼女はすぐ返事をしなかったが、少ししてから意を決したのか顔を上げると緊張した面持ちで口を開いた。


「こ、これから、急いでアルバイトに行くんですけど、あ、あ、汗臭かったら困るから……」


 そう言って彼女はデスクチェアから立ち上がる。

 すぐに羽織っていたカーディガンを脱いだ。


 中に着ていた白いブラウス姿になると、座っている弘樹の方に向き直ってから、今度はなんとブラウスの前ボタンを上から順に外し始めたのだ。


 震える手で上から二つ目までボタンを外したところで、中に着ている白のキャミソールが見えた。

 上縁に白く細かなレースがあしらわれた、胸元を華やかに見せる目的の下着用キャミソールだ。




 え、あ、ぬ、脱いでる。

 目の前で里美さんが脱いでる!




 目前で繰り広げられる光景に彼はパニックになりつつも、その胸元から目を離すことができず、吸い寄せられるように注視した。


「私、絶対にアルバイトを休みたくなくて……。でも、汗臭いと職場で困りますから、ひ、ひ、弘樹さんに、く、臭くないか、か、確認してもらえたら……」

「か、確認……?」


 とうとう里美は、ブラウスの前ボタンを弘樹の目の前で全部外した。

 ボタンが外されたブラウスの隙間からは、可愛らしいレースの付いた白い下着用キャミソールが見えている。


 さらに里美はブラウスの前を両手で大きく開いて、白い下着用のキャミソールを弘樹の目の前に晒した。

 白いキャミソールは彼女の汗で色が変わり、中に着るピンク色のブラジャーがすっかり透けている。


「あ、あの、く、く、臭くないか、匂いを確認してもらえませんか?」


 頬を染めて震える声で匂いを嗅ぐように頼む里美の様子から、彼女の必死さが弘樹に伝わる。




 え、これもしかして、エッチを誘ってる?

 彼女は俺のことを好きなんだよな?

 つまり、誘われてるのかこれ⁉

 で、でも、触ってとは言われてない……。

 匂いを嗅いでくれ、なんだよな。

 エッチを誘う口実かな?

 だけど、バイトまで全然時間がない。

 二人してバイトをサボるって選択肢はあるのか?

 ……いやないな。

 今日締め切りの広告を完成させるのに、デザインソフトを自在に使える彼女の能力が必須だ。

 責任感の強い彼女がサボるなんて考えられない。

 ……。

 汗臭かったらバイトに行けない……か。

 女性は匂いを気にするらしいし。

 だから、匂いを確認して欲しいのかな。

 本当に匂いを気にして頼んでるだけなら、手を出したら彼女との関係が最悪になるよな。

 う~ん……。




「あの、早くしないとアルバイトに遅刻しちゃいますから……。

お願いです。私の匂い……嗅いで」




 ブラウス開いて「私の匂い……嗅いで」は、ヤバすぎるだろォ!

 でも、どんなにエロくても匂いの確認なんだよな。

 それにしても里美さんまで匂いを嗅いでと頼んでくるなんて……。

 だが、こんな羞恥に耐える表情で頬を染めて頼んでるんだ、男なら断る選択肢などあり得ない!

 絶対にだ!

 だから匂いを嗅ぐのは確定。

 でも、一体どこの匂いを嗅げばいいのか……。

 ……どうしよう。




「あ、あの。ど、どこを嗅げばいいの?」


 迷った弘樹が椅子に座ったまま見上げて里美に聞くと、彼女はついに恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、頬を染めたまま顔を横に逸らして小さな声で答えた。


「もちろん、胸の真ん中の汗がたまる辺りです」


「わ、分かった……」

「触っちゃだめですよ?」


 小さく二回うなずいた弘樹は、ゆっくりと白いキャミソールの胸の辺りに狙いを定める。

 汗で濡れたキャミソールがブラジャーに張り付いているので、ブラジャーのピンク色と刺繡の凹凸が丸分かりで、どこに顔を近づければいいのか一目瞭然だ。


 弘樹は、色が変わってブラジャーが透けた二つのふくらみの間へ顔を近づけると、鼻から匂いを吸い込んだ。




 ぜ、全然臭くない。

 や、優しい花の香りのような……。

 汗をかいてからそんなに経ってないからかな。




「大丈夫。花のような柔軟剤のいい香りがするよ」

「いえ、今日はあえて・・・柔軟剤を使ってないんです」




 え?

 じゃあこの香りは里美さんの身体の匂いなの⁉

 い、いい匂いだ……。

 でも、「あえて」って??




 エアコンからは勢いよく温風が噴き出し、互いの汗で湿度が高まって弘樹の思考はボーっと霞がかかったようになっていた。

 そんな状態の中、以前から素敵だと思っていた職場の女性が、汗でブラジャーが張りついてすっかり透けさせたキャミソール姿を目の前に晒している。


 弘樹は暑さと興奮で意識が朦朧となり、顔が徐々に彼女の胸に近づいていった。

 そしてついに気を失い、ガクンと力が抜けて彼女の胸元へ顔を突っ込んだ。


「ちょ、ちょっと弘樹さん!」


 直後、顔を赤くして慌てる里美の胸元に、のぼせた弘樹が盛大に鼻血をぶちまけた。


◇◇◇


「とりあえず今日で最後よ」


 疲れた顔の里美は、机に突っ伏して眠る弘樹を眺めながらつぶやいた。

 机で寝落ちする弘樹の前のモニターには、プレイ中のネット麻雀が表示されている。


 五日連続で夜遅くに弘樹の家へ押しかけて、昼間は仕事をするというヘビーな毎日で、里美の疲労はピークに達していた。


 それでも、寝ている弘樹にちょっかいを出すゲーム実況アイドルたちを見極めて、大好きな彼を取られないようけん制するため、強い意志で彼女は今日も弘樹のベッドに座っていた。


 途端、ローテーブルの前に強い光が発生して、床に座った形の人影が現れ始める。

 里美はその光景をぼんやりと眺めながら、今朝起こった出来事を振り返っていた。




 今日は朝から大変だったわ。

 キャミソールに鼻血がついて着られなくなったのは仕方がないけど、結局アルバイトに遅刻したのよね。

 まあ私が悪いんだけど。

 でも、エッチなしで身体の匂いを嗅いでもらいたいって私のワガママ、彼は叶えてくれた。

 職場で汗臭いと困るから確認して欲しい、なんて嘘ついたのはちょっとズルかったかな。

 だけどあんな状況でキャミソールを見せても、彼はちゃんと私のことを考えて襲わないでくれた。

 やっぱり弘樹さんは誠実だな。

 大好き。

 鼻血を出してたから、私に興奮してくれたのは確かだし、これはチャンスがあるということよね?

 それにしても、嬉しかったな。

 弘樹さんてば、私の匂いをいい匂いだって!

 それも、お花の香りだなんて!

 これって私と弘樹さんの遺伝子の相性がいいってことでしょ⁉

 毎日ここに来て正直疲れたけど、思い切って押しかけてよかった。

 これで弘樹さんの方も、少しは私のことを意識したハズ。

 私ばかりが弘樹さんに振り回されるんじゃ、不公平だものね。




「おい、里美! おいってばおい!」

「え、え?」


 急に話しかけられて驚いた里美が声のする方を見ると、そこには先程の強い光とともに現れた人影が女性として実体化して床に座っていた。


「お前、あたしたちに弘樹を取られないように、けん制目的で部屋に押しかけて来たんだろ?」

「あ、はい、そうです」


 慌てて返事をした里美は、目の前の長い赤髪の女性を前に冷静さを取り戻すと、対抗心をあらわにして正面から見つめた。


「やるなぁ、里美は。こう見えて肉食系なんだな?」

「肉食系じゃありません。理沙さんから弘樹さんを守るために来てるんです!」


 理沙と呼ばれた女性は、綺麗なネイルが施された指でクセのある長い赤髪をかき上げた。

 Tシャツに短パン姿、床に直に座っているのはいつもと同じだが、手にはいつもの缶ビールではなくスマホを持っている。


 理沙は酔っているのかとても上機嫌で、笑みを浮かべた後にへえーと適当な返事をしてから、弘樹の隣のデスクチェアに座ってモニターを確認した。


「よお、朱音。久しぶりっ」

「あ、理沙姉さん!」


 理沙の登場に、通話アプリで繋がっていた朱音が少し警戒したのが分かる。


「理沙さんてばまた忘れてますよ。ですわよ、はいいんですか?」


 里美が理沙に向けて指摘すると、彼女は楽しそうに笑った。


「オホホ、そうでしたわ。わたくし、すこーし酔っ払っていて我を忘れていましたわ」


 ゲーム実況アイドルのときの口調になった理沙は、パソコンを触らずにそのまま手に持ったスマホの操作を始めた。


「え~、いきなりスマホって。理沙姉さん、麻雀しないの?」

「そうですよ。朱音さんたら、次は理沙姉さんに麻雀で勝つんだって意気込んでたんですよ。勝負しましょうよ」


 朱音と里美の問いかけに顔を上げた理沙は、スマホを見たまま珍しく難しい顔をした。


「本当ですわ。携帯回線の電波を検知しません。でも弘樹さんの家の無線LANは検知しますわね。私のスマホもせせらぎさんと同じ状態ですわ」

「マジっ? じゃあ理沙姉さんのスマホも調子が悪いのかな?」

「もしや、召喚の影響で壊れちゃったのかしら?」


 朱音と里美の問いかけに理沙は首を横に振った。


「せせらぎさんのスマホは、転移で戻ると電波を検知したそうですの。つまり、スマホは壊れてはいないみたいですわ」

「壊れてないのになんで電波を検知しないんだろ」

「まるでSIMカードがないスマホみたいですね」


「それでわたくし気になることがありまして。お二人はここの住所、弘樹さんの住所をご存じですの?」

「住所? 弘樹の家の? 聞いたけど忘れちゃった。昔に行ったから場所は分かるんだけどね……」

「私は分かりますよ。数日前に家に行きたいって言ったら、弘樹さんが住所を教えてくれましたから」


「ではすみませんが、わたくしたち事務所の三人、アリスさん、せせらぎさん、理沙に、弘樹さんの住所を教えてくださらない?」

「え? 三人が弘樹の住所を知って一体どうする気なの?」

「も、もしかして、召喚されてないときにも弘樹さんの家に来ようとしてます⁉」


 里美のその問いに、理沙は困った顔をした。


「それができるなら、わたくしの心配は杞憂なのですけど……」

「みんな、弘樹の家に来たことあるんだし、別にいいんじゃない?」

「みなさんに住所を教える許可を弘樹さんからもらってないんですけど……。でも確かにみなさんは何回もこの部屋へ来てて、それを弘樹さんが歓迎していますよね。それなのに、ここの住所を教えないのは変かもしれない。だいたい、住所なんてスマホのGPS機能で調べればすぐ分かることですし」


 召喚というあり得ない方法で弘樹の部屋へ訪れているため、少々個人情報の取り扱いに困ったが、最終的には弘樹が歓迎している相手なら、住所を知らせてもいいんじゃないかという結論になった。


 それでも里美は弘樹に無断なのが気になったのか、寝ている彼に向かって「この家の住所を教えますね」と形だけの報告をした。

 すると理沙が「ありがとうですわ」と付け加えて、ネイルの施された綺麗な指で弘樹の頭を優しく撫でた。



※第四章まで読んでいただき、ありがとうございます。


もし里美みたいな身近な存在の眼鏡ヒロイン好き!

って思っていただけましたら、

応援の★評価をいただけますと嬉しいです。

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