第五章 クリスマス
第五章 一話 弘樹の住所とアリスの住所
「朝か……。あっバイト! ……いや今日は休みだった」
ベッドで目覚めた弘樹は、連日バイトギリギリで目覚め、さらに昨日は遅刻までしたために大慌てで身体を起こした。
が、今日の仕事が休みなのを思い出すと、もう一度ベッドに身体を預けた。
休日の幸福感から緊張が解けて安堵の息をはく。
早朝に部屋にいた里美を外まで見送って、ベッドで二度寝したのを思い出しながら、弘樹は軽く目をつむった。
両方の手の平を頭の後ろに敷いて枕にしながら、ここ数日に起きた夢のような出来事を
いやあ、ここのところ忙しかった。
クリスマスや年末に向けたセールの広告依頼が多かったもんな。
仕事が忙しくて会社が潤うのはいいことだけど、バイトに還元がないのが痛いところだ。
にしても、俺がおかしな能力に目覚めたせいで、全く縁がなかった女性関係で奇跡のような展開ばかりが起こったな。
今思い起こしても……う~ん。
だって、あんなに可愛くて魅力的な
しかも彼女の方から俺と腕を組んだり、あの
未確認だけどキスまでされてたなんて!
今思い出すだけだけでもドキドキする。
憧れの大川せせらぎちゃんだってそうだ。
清楚な見た目で美少女キャラの彼女が、ワザと汗を吸ったキャミソールを置き去りにしたんだぞ。
手紙で私の匂いを嗅いでくださいって、アイドルが一体どんなお願いしてんだよ。
しかも、めっちゃいい匂いだったし……。
セクシーな雰囲気で人気の椿理沙さんは、朱音の話じゃ相当エッチで過激だったらしい。
でも、何をしても上手くいかない俺にとって、麻雀での努力を認めてくれたのは純粋にマジ嬉しかった。
承認欲求を満たしてくれて、性には明け透けなんだから、男を奮い立たせる意味では最強の女性だよ。
そして、同じ職場の田中里美さん。
まさか彼女が俺に好意を持っていたなんて!
彼女から直接好きって言われた訳じゃないけど、毎晩俺の部屋に来てアイドルたちに対抗したり、目の前で下着姿を晒したり、そんなの俺だって彼女を意識するに決まってるよ。
どの娘との出来事も、現実離れしすぎて未だに信じられない。
しかもだ。
朱音の話じゃ、昨日里美さんがウチの住所をアリスちゃんとせせらぎちゃんと理沙さんに教えたらしい。
もちろん住所を教えることは問題ない。
だって三人とも俺の家に何回も来てる訳だから。
むしろ住所を教えたこの後がどうなるかだ。
いや俺も考えた。
昼間にどこかで待ち合わせるとかすれば、彼女たちに俺が目覚めた状態で会えるハズだって。
ずっと望んでいた会話ができるだろうって。
だけどさ、自信がないんだよ。
彼女たちはネットとはいえ人気芸能人。
一方、俺はただの一般人。
俺からしたら彼女たちは幻想の存在、異世界人と同じなんだ。
そんな彼女たちと仲良くなれたのは、無意識で彼女たちを無理やり召喚したから。
無茶苦茶な状況にもかかわらず、ただ寝ている俺に好意を持ってくれたのは、彼女たちがみんないい人ばかりだから。
……ただそれだけ。
……ただそれだけなんだ。
俺は何も頑張っていない。
勇気を出して告白した訳でも、積極的にアプローチした訳でもない。
ただ、『寝落ちスキル』が発動しただけ。
いくら彼女たちとイイ感じだからって、相手はアイドルなんだ。
そんな簡単な話じゃない。
ガツガツ攻めて、もし冷たくされたら、人生最大のチャンスを失ったら、絶対立ち直れないだろ。
その気になって嬉し気に会おうって誘って「住む世界が違う」とか、「からかっただけ」とか、「転移で帰れるまでの暇つぶし」とか、真顔で言われて会うのを断られたらと思うとゾッとする。
だいたい俺が女に積極的な性格なら、とっくに誰か一人くらい彼女をゲットしてるんだ。
陽キャでポジティブでアクティブなら苦労なんかしない。
それができないから今まで苦労している訳で。
確かにクリスマスまでに恋人を作りたいと思った。
でも実際にチャンスが訪れると、やっぱり自分から動いてフラれるのは怖い。
拒否られて拒絶されて嫌われるのが怖い。
恋人がいる奴らって、よくもまあ傷つくのを恐れずに好きな人にアプローチできたよな。
正直、尊敬する。
弘樹はゲーム実況アイドルたちに自分の住所が伝わって、一体これからどうなるのか、自分はこれまで通りにただ寝落ちするだけで本当にいいのか、何かできることはないのかと自問自答した。
今日は弘樹にとって、久しぶりに時間にゆとりのある一日だった。
バイトもなく、夜に里美が来る予定もない。
だから、彼は一日かけて自分の気持ちを整理した。
そして彼女たちとの関係を前へ進めるんだと覚悟を決める。
弘樹は覚悟を込めた手紙を書くとMMORPGを起動させて、プレイも中途半端なままで目論見通りに寝落ちした。
◇◇◇
「よし、今日はちゃんと私の番ね」
もこもこした薄いピンク色のパジャマを着た胡桃アリスは、視界が白くなったことで今日の召喚が自分だと確信して声を漏らした。
彼女はわずかに浮遊したのを感じた後、視界がクリアになり小さな落下で着地した。
「もう。いろんな女性をとっかえひっかえ召喚して! 弘樹にはいつも私を召喚するように伝えなきゃ!」
頬を膨らませて不満をあらわにしたアリスは周りを見回す。
デスクで寝ている弘樹以外に、部屋に誰もいないのを確認すると笑顔になった。
まあ、しょうがないよね。
まだ付き合ってる訳じゃないし。
でも、今日は私だけを呼んでくれたからとりあえず良しとしよう。
それよりも理沙さんが言ってたことだわ。
弘樹の住所が分かったって言うから喜んだのに、もったいぶった挙句に教えてくれたのが私の住所だなんて。
他のことなら笑って許せるけど、あの冗談はちょっとヒドイよ。
こうなったら私が弘樹にここの住所を聞いてみよう!
アリスは腰に手を当てて寝ている弘樹を眺めていたが、ムフーと得意そうに微笑むと彼の隣のデスクチェアに座り、手に持っていたトートバッグをデスクの脇に置く。
目の前のモニターにはやりかけのMMORPGが表示されている。
いつもチャットで繋がっている朱音とは珍しく接続しておらず、チャットアプリが起動していない。
キーボードの上には二つに折られた便せんが置かれていた。
「手紙だ!」
アリスが嬉しくなってつい声を出すと、急いで便せんを手に取り内容に目を通す。
アリスさんへ
弘樹です、久しぶり。
理沙さんから俺の家の住所を聞いたよね。
アリスさんに俺の住所が伝わって嬉しいです。
というか、本当は俺から伝えるべきだったなぁと。
アリスさんだけじゃなく、みんなが俺に勝手に召喚されて不安な状況なんだから、その気持ちにさっさと気づいて、ここがどこなのかを早く知らせるべきだった。
気がきかなくてごめん。
不安な気持ちにさせてごめん。
改めてこの家の住所を書きます。
ついでに俺のメアドも。
連絡くれると嬉しいです。
弘樹
手紙を読んだアリスは弘樹の優しさを感じて嬉しくなり、手紙を大きな胸に当てて目をつむった。
うふふ。
弘樹から直接住所を教えてもらっちゃった!
しかもメアドまで!
嬉しいなっ!
早速、彼のメアドを登録しちゃおう。
胸に当てた手紙を机に置いてトートバッグからスマホを取り出すと、メアドを登録しようとしたところである事実に気がつく。
一緒に記載されていた住所に見覚えがあったのだ。
「ちょっとコレ! 私の家の住所なんですけどっ!」
何かの冗談かと思い、もう一度文面を読み返すがふざけているようには読み取れない。
そもそも、何で弘樹がアリスの家の住所を知っているのか。
この冗談をするために弘樹がアリスの住所を調べ上げたのであれば、かなり悪質な行為だと彼女は感じた。
アリスはその容姿がやたら男を惹き付けるため、何度かストーカー被害を受けたことがある。
まさか弘樹がそんなストーカーみたいなことをするなんて、と彼女は大きな胸に手を当てて隣で寝落ちする彼を不安げに見つめた。
でも今日の夕方に、理沙さんから弘樹の家の住所だって言われて、私の家の住所を知らされたのよね。
もし弘樹がストーカー紛いのことをしてるんなら、理沙さんにまで私の住所を自分の住所だって伝えたりするかしら。
だって、私と弘樹の関係はいいのよ。
私の感覚だと、あと少しで恋人同士になるかもってくらいなんだからっ。
しかも弘樹ったら、グイグイ来るストーカーたちと違って押しが弱くて全然アプローチしてこないし。
そんな紳士がこんな嫌がらせみたいなことをするなんて、ちょっと想像できない。
……。
あ!
もしかして、事務所が理沙さんに私の家の住所を教えたのかも!?
それで理沙さんがふざけて私や弘樹に伝えた!?
うーん。
理沙さんならやりかねないけど、その前に事務所が個人情報をそんなに簡単に教えたりするのかしら。
もし事務所が個人情報を漏らしたんなら、ちょっと文句言ってやらなきゃな。
短いなりに弘樹と接してきたアリスは、彼がそんなことをするはずがないと判断すると警戒を緩めた。
「理沙さんから私の住所を聞いて、ちょっとふざけただけだよね?」
弘樹のメアドを登録しようと、苦笑いしながらスマホを手に取る。
あれ? なんかネットがつながらないよ?
電波を検知してないみたい。
弘樹の家の無線LANは検知してるけど、電波のマークがゼロ本だよ。
せせらぎちゃんや理沙さんが話してたのと同じ状況みたいだわ。
やっぱり召喚のせいかな?
でもとりあえず、弘樹のメアドを登録しとこっと。
スマホへ弘樹のメアドの登録を済ませたアリスは、じゃあここの住所はどこなんだろうと気になり、GPS機能を使おうとしたが……。
なんかGPSは使えるみたいだけど、地図が表示されないから住所が分かんないや。
ネットにつながらないからかな?
まあいいや。
そのうち、ちゃんと住所を教えてもらって、昼間に弘樹の家に遊びに来ちゃおう!
あ、私の家に来てもらうのもいいよねっ。
弘樹は私の家の住所を知ってる訳だし……。
……待って!
やっぱそれはヤバイかも!
家に二人じゃ、エッチな雰囲気になるかも……。
まだデートもしてないのに、いきなりエッチの流れはさすがに早いと言うか……。
弘樹の横に座って彼の顔を見ながらあれこれ考えていたアリスは、勝手に妄想を膨らませて顔を真っ赤にすると、慌ててブンブンと顔を横に振った。
顔を赤くしたアリスは、そそくさとマウスから弘樹の手をどかす。
「と、とりあえず今は手を握ろうね!」
弘樹の右手に自分の左手を絡ませると、優しく恋人つなぎをしてから彼の手を持ち上げた。
アリスは弘樹の手の甲に軽くキスをしてから、大切なものを守る様に握った彼の手を自分の胸に沈めた。
「もしそうなってもいいように、今はちょっと男の人に慣れる時間を頂戴ね」
そのまま目を細めたアリスは顔を赤くしたまま、隣の弘樹を愛おしそうに見つめた。
次回、「清楚系美女の靴下」
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