第三章 四話 理沙はドS

「か、身体が痛い。寝すぎた……」


 目覚めて机から身体を起こした弘樹は、首を回して肩を動かす。

 昨日と同様に長時間、机で熟睡していた彼は体中が痛くて仕方がないので、さらに椅子から立ち上がって軽く関節を動かす。

 上半身を捻るとコキコキと子気味いい音がなった。


 朱音も里美もまだ麻雀をプレイ中であり、弘樹はつながったままの通信アプリで話しかけてみる。


「おはよう。朱音、里美さん」

「あ、弘樹起きた? 随分よく寝てたね?」

「弘樹さん、おはようございます。ふあぁ、私もう寝ます。また仕事場で会いましょ。おやすみなさい」


 里美は弘樹と同様に十時出勤だと朱音に打ち明けると、少しでも仮眠をとるために挨拶もそこそこにログアウトした。


「ねえ弘樹。ちょっと聞きたいんだけどね」


 真面目な内容の話なのか、朱音の声のトーンを低く感じたので弘樹は少し怖くなった。


「な、何?」

「師匠から……せせらぎ師匠から今までどんなことをされたの?」


 機嫌の悪い朱音の質問に弘樹は戸惑う。

 おそらく彼女が知っているのは、弘樹のために通話アプリを録画したことくらいなのだ。




 あのとき、せせらぎちゃんはパジャマの前ボタンを全部外して、大胆にもキャミソールを丸見えにしていたな。

 ネットで調べたら見せキャミなるものもあるらしいのを知ったけど、冬物のパジャマであんなにキャミソールを露出したら十分痴女行動だと思う。

 尊敬する自分の師匠が、腐れ縁の俺にそんな行動をしているのだ。

 あれだけでも朱音にはショックな行動だろう。

 だが、それ以上に彼女が過激な行為をしていると知ったら、相当なショックを受けるだろうな。




「い、いや、別に大したことは……」

「いいから言ってよ。先に聞いておけば少しはダメージを下げられるから!」


「ダメージ? それって次も理沙さんとの麻雀で負けたら、せせらぎちゃんがしたことを理沙さんが俺にするからだよな?」

「そういうことよ。理沙姉さんのお陰で、すでにアリスちゃんが弘樹にキスやら恋人つなぎやらしてたのが判明してるんだからッ!」




 え? アリスちゃん、俺にキスしてたの⁉

 マジ⁉ うへぇ。

 き、聞きたい。

 どんなふうにキスされたのか朱音に聞きたい!

 ……だ、だめだ。

 こんな機嫌の悪い朱音に、嬉し気にキスのされ方がどうだったかなんてとても聞けない。


 あれ?

 アリスちゃんのキスが判明したのって……。

 それって、アリスちゃんがしたことを理沙さんが俺に再現したから判明したんだよな⁉

 ってことは俺、理沙さんにもキスされたのかよ!

 うひょー!!

 あの色っぽい理沙さんまでもが俺にキスを……!

 しかも、昨日も俺の捨て牌を褒めてくれたらしいし!

 俺、あんまり努力を認められたことがないから、なんかもうスゲー嬉しいよ!

 理沙さんてエッチなだけじゃなくて、ちゃんと相手を見てくれる素敵な女性なんだな。


 あ、でも惚けてる場合じゃないかも。

 この流れだと、せせらぎちゃんにキャミソールの匂いを嗅いでくれって言われた話はまずくないか?

 また理沙さんが麻雀勝負で勝ったら、次は匂いのくだりを再現しちゃうかもしれない。

 ……。

 ……い、いや、たぶん大丈夫だ。

 よく考えたらせせらぎちゃんがしたのって、パジャマの上着とキャミソールを俺の部屋へ置いてったくらいだ。

 あと俺の匂いを嗅いだらしいが、そ、それだけだ。

 理沙さんが再現しても、一番過激で匂いを嗅がれるくらいだ。




「だ、大丈夫だ。せせらぎちゃんは、アリスちゃんみたいに俺にくっついたりキスしたりしてない……と思う」

「本当でしょうね?」


 朱音の機嫌の悪さは今までに見たことがないほどで、師匠の醜態がイヤなのは分かるが、アリスの行為にまで機嫌を悪くする理由が弘樹には不明だった。


 理由はよく分からないが、これ以上朱音の機嫌を損ねたくはない、そう思った弘樹は、脚色だけはしないでくれと真剣に理沙へ願った。


◇◇◇


 いつものように床へ直に座り、テレビを見ながらビールを飲もうとしていた理沙は、急に視界が白くなって慌てた。


「え? あ? なんだ?」


 わずかな浮遊感の後、視界がクリアになって浮遊感が消失すると小さな落下で尻から床に着座した。


「あ、そうか。召喚か。水曜日はバラエティが面白いから、もう少し後に召喚して欲しかったな。それに今日はまだ一本も飲んでないし」


 理沙は用意されたローテーブルの缶ビールに手を伸ばすと、ビールのプルタブを起こす。


 プシュッと気持ちのいい音が鳴り、少しだけ飲み口から泡が出てきた。


「あのー、理沙姉さん? 来てるのよね?」

「おう、あかn……朱音さんちょっと待ってくださる? 今ビールを開けたところですので」


 床に座ったままの理沙は、左足を立てひざにして右手を後ろの床に突くと、美味そうに喉を鳴らしてビールをあおった。


「あ、飲みながらで大丈夫。さあ姉さん、勝負よ!」

「そうですよ。今日こそ弘樹さんを取り返します!」


 スピーカーからは昨日よりもヤル気の朱音と里美の声が聞こえてくるが、彼女は気にせず床に座ったままでふた口めを楽しむ。


「ダメですわ。いくらわたくしでもシラフじゃ恥ずかしくて、せせらぎさんと同じことはできませんもの」


「理沙姉さん、もう勝つ気でいるのね。でも簡単には負けないから!」

「それよりも、理沙さんが飲まなきゃできないなんて、一体何をする気なんですか⁉」


「うそうそ。いくらせせらぎさんだって、最初から寝ている弘樹さんに過激なことはしてませんわ。ええ、最初からはね……」


 意味深な理沙のセリフに、朱音と里美が沈黙した。


 立てひざのままで残りのビールを一気飲みした理沙は、まだカメラの画角に入っていないのをいいことにニマニマと悪い笑みを浮かべる。




 この二人、本当に逸材ね。

 いい反応でゾクゾクするわ。




 残りのビールとスルメを掴んだ理沙は、机に突っ伏して眠る弘樹の右側に置かれたデスクチェアに座ると、挨拶代わりに彼の脇腹を人差し指で突っついた。

 少し身を捩るように反応した弘樹は、すぐ何事もなかったように寝息を立て始める。


「三日も私と夜を共にして何もしてこないだなんて、プライドが傷つけられますわ。わたくしみたいのは嫌いなのかしら」


 理沙がワザとしおらしい声を出すと朱音が慌てて返事をし、それに里美がすぐ反応する。


「逆よ逆。今朝、理沙姉さんがキスしたって分かったら、こいつ嬉しそうにニヤついてたもん」

「え、弘樹さんやっぱり喜んでるの? ど、どうしよう。このままじゃ、彼を奪われちゃうよ」


 何か言うたびに慌てる二人を見て、嬉しそうに頬を染めた理沙は、満足したのか今度はモニターに表示された弘樹の手牌と捨て牌に視線を動かす。




 煽るのはこれくらいにしなきゃ可哀そうね。

 さて、弘樹はどれくらい強くなったのかしら。

 ……へえ、そう。

 朱音のリーチを捨て牌のスジでかわして、オタ風の北で単騎待ちの黙テンとは……。

 ちょっとやり過ぎ感もあるけど、彼なりに試しているのね。




「見たところ、もう弘樹さんは十分に強いですわ」

「ホントなの⁉」

「じゃ、じゃあ。理沙さんは別の人と交代ですね⁉」


「ダメですの。この麻雀を始めた切っかけは、弘樹さんと里美さんが職場の上司たちと戦うためでしたわね。だから里美さんが私に勝ったら卒業ですわ」

「あ、朱音はおまけなの?」

「私も負けたくないですが、理沙さんに勝つのが大変なのも事実。でも同じルールでやるゲームですもん。きっと勝てるハズだわ」


「そう、その意気ですわ。それでは早速、今日の勝負を始めましょう。朱音さん、里美さん、よろしくて?」

「こうなったら爪痕を残してやるわ!」

「今日ここで、あなたを食い止めて見せます!」


 朱音と里美の気迫は鬼気迫るものがあったが、理沙は二人の親番を千点の安手でさらっと流した。

 さらに彼女は自分の親番に、速攻で跳満一万八千点をツモって全員から六千点ずつむしり取る。

 あとは適当に南場を回して早々に勝負が決まった。


「さあ、勝者の蹂躙ですわよ」


「ええーー!!」

「なんで……どうして……」


 さっと席を立った理沙は弘樹のクローゼットを開けると、何やら洋服を引っ張り出してきた。

 それは弘樹が下着代わりに着ているTシャツで、すでに脱いだ後なのか丸められている。


「それ、弘樹さんのTシャツだわ」

「里美さんたら、これが彼のTシャツだって知ってますの?」


「仕事場でたまにネルシャツの胸元から見えているTシャツですもん」

「あらそうですの」


 里美が弘樹のTシャツだと分かるのが理沙には嬉しかったのか、ニマニマと口元を緩めるとカメラに向かって丸まったTシャツをアピールした。

 綺麗に塗られたネイルが弘樹のTシャツに軽く食い込んでいる。

 

 直後、理沙はTシャツに顔をうずめた。

 そのまましばらく動かない理沙に、里美が声を震わせる。


「ちょっと、何をして……。ま、まさか弘樹さんの匂いをか、か、か、嗅いでるの??」


 少しして顔を上げた理沙は二人に視線をおくる。


「ふう。さすがにせせらぎさんみたいな匂いフェチじゃありませんけど、でも男性の匂いは嫌いじゃありませんわ」

「り、理沙姉さんが弘樹のシャツに顔を押し付けて匂いを嗅いでる……。ってことはせせらぎ師匠も同じことをしていたのねっ!」

「う、う、う、羨ましくないですからっ!」


「あ、そういえば、アリスさんがしたことを一つ忘れていましたの」


 理沙は弘樹のTシャツをベッドに置くと、今度は机に突っ伏して眠る弘樹へ横から近寄って、ドラキュラのように彼の首元へ顔をうずめた。


 カメラを通して見ている二人にも、その仕草で理沙が弘樹の首元へキスをしていると分かった。

 少し時間をかけたキスをようやく終えた理沙は、カメラ越しの二人へほほ笑んだ。


「今日はここまでですの。残りは明日ね」

「……」

「な、何よ。もうキスくらいで動じないんだから! べ、別に外国じゃ挨拶だし……」


「里美さん、今日仕事場で弘樹さんの首に付いた痕を確認してみてくださる?」

「え? 理沙姉さん、弘樹に痕を付けたの? もしや今のキスの? じゃあ、その痕ってまさか!」

「キスで弘樹さんに痕が残るってことは……」


 戸惑う二人の様子を見た理沙は妖艶に微笑んだ。


「そうですわ。弘樹さんの首筋にあるキスマークは私のしわざですの」


 彼女の衝撃のセリフに、朱音と里美がまたもや沈黙した。

 そしてようやく口を開くが……。


「キ、キス……マーク……」

「け、消してやる。後で絶対消してやるんだから!」


 理沙は衝撃と混乱で声の抑揚がおかしくなった二人を見て、可哀そうな気持ちが湧きつつもゾクゾクと喜びを感じていた。

 ただ、さすがの彼女もこれまでに二人をからかい過ぎたのは自覚していて「明日の勝負を最後にする」と言い出したのだ。


 だが、大人しく幕を引く気もないようで……。


「せっかく最後ですもの。明日私が勝ったら、今までで一番過激なことを弘樹さんにしますわ。お楽しみになさって!」


 理沙は楽しそうに付け加えたのだった。


次回、「汗を吸ったキャミソール再び」

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