第三章 二話 頬と耳へのキス再び

「眠い。寝足りない」


 誰かに無理やり起こされた気がした弘樹は、あまりに眠くて再度寝ようとしたが、どうせ寝るならたまにはベッド寝るかと思い直すと、のそのそと椅子から立ち上がる。


「ねえ、弘樹! 起きたんでしょ? ねえってば」


 スピーカーからは朱音が少し強い口調で呼びかけてくる。

 モニターには寝落ちする前にやっていたネット対戦型の麻雀が表示され、オープニング画面のまま止まっていた。

 パソコンの隅に表示された時間は午前四時二十分。


「ああ、……おはよう。あれ? 画像オンになってるね。どうしたの?」

「おはよう。いや理沙姉さんが顔見ながら麻雀したいっていうから、いやいやカメラをオンにしたのよ」


「りさねえさん? せせらぎちゃんと里美さんと楽しく麻雀したんじゃないの?」

「それがね、さっきまで来てたのせせらぎ師匠じゃないのよ」


「違うの⁉ だ、誰?」

「理沙姉さんよ」




 りさ姉さん?

 それってたまにアリスちゃんたちがコラボで一緒にプレイする、同じ芸能事務所の理沙姉さんか?

 なんでまた急に、せせらぎちゃんから理沙さんに変わったんだ?

 召喚される人が、アリスちゃんからせせらぎちゃんに変わったときも理由がよく分からなかったが、今回で変化があったのって……。




 弘樹は急いで引き出しを開けると、スキル装置で診断した際のプリントを引っ張り出した。

 自分が習得して10レベルにカンストさせた『寝落ちスキル』について、もう一度記載を確認する。

 特に裏面に記載された特殊効果の『小人の靴屋』に関する記載をよく読んだ。




・熟練度がMAX(10レベル)で特殊効果付与。

 『寝落ちスキル』特殊効果:『小人の靴屋』

(やりかけたことを助けてくれる高い実力があり、かつスキル所持者の理想の存在を、寝落ちしている間だけ召喚可能。寝落ちから状態回復すると召喚は解除される)




 そこで初めて、召喚の前提条件として書かれたことに重要な意味があったと気づいたのだった。


「朱音、分かった! 召喚される人が変わる理由!」

「分かったの⁉ なんで変わるのよ?」


「まず前提だが、俺の『寝落ちスキル』はレベルMAXの10だ」

「はあ⁉ 待ちなさいよ。スキルレベル10なんて人間いる訳ないでしょ!」


 朱音が驚愕しているが、弘樹が今話したいのはそこではない。


「いいか、朱音。召喚相手の前提条件として、やりかけたことを助けてくれる高い実力があり、ってスキル診断の紙に書かれているんだ」

「何? 召喚の前提条件がスキル診断の紙に書いてあるの?」


「ああ。そして、俺が寝落ちするときにいつもやりかけなのは……ゲーム」

「え? じゃあ彼女たちは、弘樹のやりかけのゲームをするために召喚されてるの?」


「そうだ。そして召喚される人が変わる理由、それは、やりかけたゲームによって、高い実力の持ち主が毎回違うからなんだ。ほら、誰だってゲームの種類で得意不得意はあるだろ」

「それって、寝落ちしたときにやってたゲームの実力者で、弘樹好みの女性が召喚されてるってこと⁉」


 弘樹は「好みの女性が召喚されてる」と朱音が言ったところには少し引っかかった。

 確かに女性実況者ばかり選んで、動画を見ていたことは事実。

 だけどそれは、ゲーム実況をどうせ見るなら女性がいいかなと思っていた程度で、あくまで面白いゲーム実況者を選んで見ていたつもりだ。


 女性に縁のない弘樹からすれば、正直、顔もスタイルもいい彼女たちは全員が魅力的で高嶺の花だ。

 でも、本当に自分の好みの女性というのなら、その中でも一人に絞られるのだ。


「俺の『寝落ちスキル』がいつカンストしたか知らんけど、10レベルになって特殊効果が付与されたタイミングでMMORPGをプレイしたからアリスちゃんが召喚されたんだ」

「なるほど」


「次にゲームをバトロワに変えたら、せせらぎちゃんが召喚された。さらに昨晩、麻雀に変えたら理沙さんに変わった」

「な、なら、またMMORPGやバトロワをして寝落ちすれば、アリスちゃんやせせらぎ師匠を呼べる訳だね。よかった。理沙姉さんが変なこと言ってたんで焦ったわ」


「焦った? なんで?」

「アリスちゃんが呼ばれなくなったって悲しんでたらしいよ。せせらぎ師匠に切り替えられたって」


「や、やばいじゃん……」

「だから、早いとこアリスちゃんを呼んだ方がいいわよ」


「よ、よし、じゃあ、今夜はMMORPGだ」

「だけど、麻雀はどうするの? しばらく自分の番だって理沙姉さん喜んでたわよ」


「いや、でも、理沙さんはネットでいつでも麻雀できるでしょ」

「それが、次も弘樹の横に座って麻雀できるのが楽しみだって言ってたの。自分の都合で呼んだんだから、次も呼ばないと酷いことするって脅されたわ」


「マジか……」

「麻雀をやることになったいきさつは話しといたからさ、急いで理沙姉さんから麻雀を教わって、早く卒業して区切りをつけないと」




 アリスちゃんを悲しませた。

 できるなら、一刻も早くどうにかしたい。

 彼女が悲しむ姿を想像するだけで、胸が締め付けられるようで居ても立っても居られなくなる。

 だけど、早く麻雀の実力をつけようにも、ネットゲームをすればカンストした『寝落ちスキル』でまず寝落ちするし。

 ならば、麻雀を解説するサイトで勉強して、夜に朱音たちと実践するしかないな。




 覚悟を決めた弘樹は、少しでも早く麻雀の実力を身に着けるため、まずはルールを簡単に解説するサイトから見始めた。


◇◇◇


「よし、きたきた」


 床へ直接座ってスルメを噛んでいた理沙は、もやがかかったように視界が白くなって嬉しそうに声を出した。


 直後にわずかな浮遊感があり、徐々に視界がクリアになると小さな落下と共に尻から床に着座した


 理沙がよっこらしょと床に手を突いて立ち上がると、のそのそと弘樹の隣のデスクチェアに向かう。

 ローテーブルにふと目をやると、お盆の上に枝豆と缶ビールが二本置かれていた。


「やった! ちゃんとビールがあるじゃん! しかもミレニアムドライ!」


 昨日、ジュースじゃなくてビールがいいと朱音を通じて注文を付けておいたのだが、気が利くことにしっかり用意されていた。

 しかも理沙が大好きな銘柄だ。

 嬉しくなった理沙は弘樹に近寄って頭を撫でる。

 綺麗なネイルの施された彼女の指が、彼の髪をゆっくりと優しく触った。




 よしよし、いいこいいこ。

 なるほどねぇ。

 アリスとせせらぎが気に入る訳だわ。

 ちゃんと気遣いができる男は、なかなかポイントが高いもの。

 でもね、あたしは実力が伴ってないと認めないの。

 さてと、今日はどんな感じでプレイしたのかな?




 理沙は缶ビールのプルタブを起こして、プシュッと気持ちのいい音をさせると、嬉しそうに口を付けて飲みながら麻雀のプレイ画面を見た。


「へえ。弘樹の奴、一応※么九牌やおちゅうはいから切るようになったんだ。成長したな」

 ※字牌と数牌の一・九

「あれ? 理沙姉さん?」




 やべ、弘樹がマイクONにしたまま寝落ちしたから、地でしゃべった独り言を聞かれちまった。




「ええ、理沙ですわ。ここからは弘樹さんに代わりまして、わたくしがお相手いたしますわよ。朱音さん、里美さん、よろしくて?」

「朱音です。こんばんは、理沙姉さん」

「……里美です。よろしくお願いします」


 里美の声に対立する調子を感じ取った理沙は、そんな彼女を可愛らしく思って微笑んだ。


「それでは昨日、ゲームの流れだけご説明しましたので、今日はアガリの形からにいたします。まずは、ここまでの弘樹さんの捨て牌をご覧になって」

「朱音と違って、最初に字牌を連続で捨ててるよね。その後は一と九ばっか」

「何か意味があるんですか?」


「麻雀は人より早く上がって点数を稼ぐゲームですの。なので、いろいろある役の中でも、早く上がりやすい役を狙った方がいいのですわ」

「でも一役の千点で何回かアガッたけど、CPUに負けたわよ」

「早くても安いアガリじゃ、結局勝てないと思いますけど……」


「里美さんの言う通り。安いアガリでは勝てませんわ。だから、早くても高い役にしやすいメンタンピンをベースにするのです」

「え? タンメン? 何て言ったの?」

「そんな役ありましたっけ?」


「メンタンピンのメンは面前の略でリーチのこと。タンはタンヤオ、ピンはピンフのことですわ。この三つは比較的早くて組み合わせが容易なのです。これにツモや一発、ドラのどれかが絡めば、ピンフがらみの四飜よんはんだから、満貫まんがんに近い高得点ですわ」

「あの、なんか呪文のような……。とにかくリーチ、タンヤオ、ピンフを狙えばいいのね?」

「なんとなく分かりました」


「朱音さん、里美さん。早速試してみましょう!」

「はーい」

「あのう、理沙さん。その前に一つお願いが……」


「なんですの?」

「?」

「弘樹さんに寄りかかってビールを飲むのやめてください」


「ええー、いいじゃありませんか、これくらい。別に裸で触れ合ってる訳ではありませんし」

「……」

「ダ、ダメです。だって、仕事が一緒の私ですらまだ触ったことないのに、理沙さんは昨日会ってまだ二日目じゃないですか」


「男性を誘惑するのは早い者勝ちですわ」

「……」

「ね、寝てる人に手を出すのは、は、反則ですっ!」


「ではこうしましょう。毎日最初に半荘一回の勝負をするんです。つまり東場と南場の勝負をして、私が里美さんに負けたら弘樹さんに手出しするのはやめますわ」

「……」

「い、いいですよ! でも、理沙さんが勝ったら、ど、どうするんですか?」


「そうですわねぇ?」


 人差し指を唇に当てた理沙が少し考えてから、ニンマリと妖艶で悪い笑みを浮かべた。


「アリスさんとせせらぎさんは弘樹さんに随分過激なことをしてたみたいですの。二人から詳しく聞かされた過激アプローチを、少しずつわたくしが弘樹さんにしちゃいますわ」

「!」

「ちょっと! 前に来てた女性は、一体弘樹さんに何をしてたんですか⁉」


「それは……、勝負をしてからのお楽しみですわ」


 彼女はそう言うと、新しく麻雀の勝負を開始する。

 弘樹の部屋にいる彼女の企みを阻止するには、勝負に勝つしかないと思ったのか、里美もすぐメンツに加わった。

 朱音に拒否権はなかった。


 四人目をCPUに設定して開始した東南戦は、初心者が二人も入っていたため、かなり時間がかかって終了した。

 もちろん理沙の圧勝で。


「それでは、勝者のご褒美をもらいますわ!」


 すっくと立ちあがった理沙は、寝ている弘樹の後ろへ回り込んだ。

 クセのある赤く長い髪をネイルが施された綺麗な指でかき上げた後、背すじを伸ばしたまま腰を曲げた。


 その仕草は、寝落ちする弘樹の顔へ後ろから接近するためだが、彼女が大きめのTシャツを着ていたこともあり、胸元がガバッと大きく開いてしまった。

 この体勢はカメラが正面になるので、朱音たちからは理沙の黒いブラジャーが丸見えになり、通話アプリの自画像欄に下着が大きく映り込んでいる。


 ところが彼女は朱音たちに下着が見えているのを分かっているようで、なんと上目遣いでカメラを見て微笑んだのだ。

 そのまま、右手の指で赤い髪を耳にかけて押さえると、上目遣いのカメラ目線を続けながら、弘樹の頬と耳にゆっくりとキスをした。


「ちょっとぉ!!」

「きゃああああ!!!!」


 画面の向こうでパニックになって叫ぶ朱音と里美の様子が、スピーカーから聞こえる音割れした悲鳴とともに伝わってきたのだった。


次回、「恋人つなぎと密着再び」

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