第三章 理沙

第三章 一話 弘樹と理沙

「うーーん゛」


 いつものように机から身体を起こして、大きく伸びをした弘樹は、直前までせせらぎがバトロワをプレイしていただろうと思って目の前のモニターを確認したが、ゲームは起動していなかった。


 代わりにチャットをやり取りしていたようで、数秒前のログが残っていた。

 せせらぎと朱音がクランでの活動連絡を目的に、メールアドレスをやり取りした履歴が残っている。




 新設クラン!?

 クランって確かゲーム攻略を目的に作るチームだよな?

 これって朱音がせせらぎちゃんのクランに入るってことじゃないか!

 ……す、凄いな……。

 これはもう単純に凄い。

 バトロワファンがうなるほど付いてるせせらぎちゃんのクランだぞ。

 しかも、本人からのオファーで創設メンバーとして加わるんだろこれ……。

 もう身内の仲間入りじゃんよ!

 朱音の正体が数日前に始めた素人なんだと、せせらぎちゃんのファンに知られたらどうなるだろ……。

 バッシングになるか?

 いや、むしろ朱音にもファンがつくかもしれない。

 朱音は酷いゲームオタだけど、顔はツインテが似合う吊り目美少女系なんだよな。

 俺だって性格の裏まで知ってるネッ友じゃなけりゃ、たぶん告ってたくらいだ。




 朱音の浮かれる文面を見た弘樹は、親友を祝う気持ちよりも心配が先に立った。


>おはよう。アカネ

>ああヒロキ! ちょっと聞いてよねぇ!


>クラン、誘われたんだろ? せせらぎちゃんに

>そうなんだよ! マジサイコー春来たよー


>おめでとう。でもなアカネ

>ありがとう! 寝れそうにないし練習しよかな

>おい、聞くんだアカネ!


 弘樹は睡眠をしっかりとっていて、クランの話も他人事なために冷静だった。

 ヒートアップして浮かれる朱音をゆっくりと落ち着かせ、決してクランのことを誰かに話さないように釘をさした。


 朱音は最初、せめて匿名掲示板で自慢させろと食い下がった。

 だが弘樹が諭すようにして脅したのだ。

 そんなことして騒ぎが大きくなれば、朱音が身バレしなくても芸能事務所が動くかもしれない、そしたら、せせらぎちゃんのクラン新設そのものがなくなるかもしれないぞと。


 そのおかげか朱音は冷静さを取り戻したらしく、折角のチャンスを棒に振らないように慎重に行動すると返事があった。

 安心した弘樹はチャットを終了する。




 朱音には迷惑かけてたから本当によかった。

 毎晩、俺が泊めてるゲーム実況アイドルの相手を朝までさせたんじゃ、申し訳ないもんな。

 まあ泊めてるっていっても、ただいつも寝てるだけだから記憶はないんだけど……。

 でも今までの俺からすりゃ、一足飛びの進化なのは間違いない。




 弘樹はここ数日で起きたことを思い出す。

 アリスに腕を組まれての密着映像や、せせらぎの汗を吸ったキャミソールの匂いを思いだし、無意識にムフフな笑顔になった。




 これだけ仲良くなれたんだ。

 外で会うのを切り出すほどの自信はないけど、メアドの交換くらいできるんじゃないか?

 それか、アプリのフレンド登録でもいいんだけど。

 もしそれができれば『寝落ちスキル』で召喚する以外にも、彼女たちとコミュニケーションがとれる!

 でも、どうやって切り出せばいいか……。

 アイドルなんだよ、相手は……。

 普通の女性にすらメアドを聞けない俺が、あんな緊張するほど可愛い彼女たちに連絡先を教えてくれというのはどうにも二の足を踏む……。

 よし、もう少し仲良くなったら覚悟を決めて彼女たちと連絡先を交換する!




「まずは、バイトでも頑張りますか!」


 ガラにもなくヤル気を出した弘樹は、いつもより早めにバイトへ行く準備して家を出たのだが……。


 バイトから帰った彼はテンションが落ちていた。

 バイト先の印刷会社の社長と部長から、面倒くさい誘いを受けたからだ。


 いつものようにパソコンを立ち上げると朱音とチャット通話を始める。


「あのさぁ朱音……」

「何よ? 暗い声出して」


「今日はちょっと付き合って欲しいゲームがあるんだけど」

「え? バトロワじゃないの?」


「すまん。バイト先の昭和親父たちがさ、辞めた社員に代わって面子めんつに入れっていうんだよ」

「何の話なのそれ。面子めんつって何?」


「麻雀だよ、麻雀。一緒に誘われた事務の女子も迷惑そうにしてたよ」

「麻雀? ネットで? なら最近流行ってるよ」


「ネットな訳ないじゃん。相手、昭和の人だよ?」

「ネットじゃないの? もしや……雀荘なの?」


「そう。今日試しで雀荘に連れていかれたけど覚えてたルールが曖昧でさ、チョンボ連発したらキレられたんだ。今度まともにできないと給料減らすってさ」

「嘘でしょ!? 凄いパワハラねそれ……」


「だからさ、ちょっとネット麻雀に付き合って欲しいんだよ。事務の女子も誘ったからさ」

「へ~、まあいいわよ。クランに入れたのは弘樹のお陰もあるし朱音も協力するよ。バトロワならさっきまでさんざん練習してたし。あと、弘樹はどうせすぐ寝落ちするんだろうし」


 弘樹は朱音に感謝して最後の言葉を聞かなかったことにする。

 事務アルバイトで眼鏡女子の田中さんにもチャットアプリで連絡を取って、最近流行りのネット麻雀を起動した。


「あの、田中です。川上さん、すいません私まで」

「あ、うん、気にしないで。あと俺のことは弘樹でいいから。麻雀、頑張って覚えよう」


「よ、呼び捨てはさすがに……。じゃあ弘樹さんて呼びます。お二人共よろしくお願いします。あ、私のことは里美でお願いします」

「あー、朱音です。里美さんよろしくね。四人目はCPUにするわよ」


 麻雀のルールが曖昧な素人ばかりで何となくゲームが始まったが、アガれたりアガれなかったりする理由や点数計算の意味がよく分からないまま、東場が終わって(自分に有利な順番が四人とも終わって)南場に入ったところで、弘樹が『寝落ちスキル』で寝落ちした。


◇◇◇


「え? あれ? なんだ?」


 Tシャツ短パン姿で床に座ってビールを飲んでいた椿理沙は、急に目の前が白くなり身体にわずかな浮遊感を感じて慌てた。

 すぐに視界が晴れると小さな落下で床に着座する。


「あれ?」


 既に缶ビールを三本飲んだ彼女は、まだ三本しか飲んでないのにもう酔っ払ったのかと思った。

 今の小さな落下もだが、目の前に広がる部屋の光景が急に変わったからである。


「夢にしちゃ、随分はっきりしてんなぁ」


 辺りを見回すと知らない家具があり、自分の部屋にはない机と椅子があった。

 彼女が床に座ったままで椅子を見上げると、誰かが座っているのに気がつく。

 クセのある赤く長い髪を耳の後ろにかけた理沙は、椅子に座る人物を確認するためにゆっくりと立ち上がったのだが……。


「おいおい、マジかよっ! もしかして今度はあたしの番なのか!?」


 立ち上がった理沙は、酒で酔っていることもあってつい大声を出した。

 机へ突っ伏して眠る男性に驚いたからだ。


「こら弘樹! 音量下げなさい!」


 彼女の家ではあり得ないことなのだが、確かに床下から女性の声が聞こえた。


 本名、村山理沙、芸名、椿理沙は机で寝ている男性から目をそらして床を見つめる。

 今の女性の声は確かに下から聞こえてきた。

 ハイツの一階に住む彼女にとって、目の前で眠る男も気になるが、聞こえるハズのない方向から声が聞こえたのも気になった。

 

 理沙は自分の部屋にはないハズの窓を開けると、外に顔を出して暗がりを確認する。

 窓からの視点は高くて明らかにどこかの家の二階から見る景色であり、街灯が少ないのかいつもより外が暗く感じる。

 家の前にあるはずの見慣れた道はどこにもなく、一軒家が立ち並んでいるのが見えた。


「手が止まってるから弘樹は寝落ちしたわね。せせらぎ師匠、来てるんでしょ?」


 男性が突っ伏して眠る机にスピーカーが置かれていて、そこから女性の声が聞こえる。

 理沙には声の主に見当がついていた。




 なるほど。

 あいつらが言ってたのはこれか!

 つうことはこの寝てるのが弘樹で、今スピーカーから聞こえた声が朱音だな?

 なら面倒くさいけど、事務所がうるさいから椿理沙の口調で話した方がいいかな。




「せせらぎさんは来てませんわ」


「え? 誰です? もしや、アリスちゃん?」

「アリスさんでもありませんわ。理沙ですわ、理沙」


「え? 違うの? だ、誰? もう一度お願い」

「理沙ですって。あら、ネット麻雀をされてるんですね! 麻雀ならわたくし得意なんです。任せてくださいな」


「りさ? りさって……、せせらぎ師匠とたまにコラボしてる……理沙姉さん!?」

「ご存じなら話が早いですわ。……って何ですのこの点差! CPUの一人勝ちじゃありませんか!」


「あ、いや、麻雀のルールがよく分かんなくて練習中なんですよ」

「ああ、それで変な捨て牌なのですね。それでは、わたくしが教えて差し上げますから」


 腕と首をぐるぐる回して気合いを入れた理沙は、弘樹の右手からマウスを取り上げると自分で操作を始めた。


「あ、あの、朱音さん! 弘樹さんはどうしたんですか? こ、この女性は誰なんです!?」

「あ、そうか。里美さんは弘樹がすぐ寝落ちするのを知らないのね。弘樹はゲームを始めるとすぐ寝落ちするのよ」


「え? 弘樹さんは寝落ちしたんですか? ではこの女性は一体……」

「あたしは村山……あ、いえ、わたくしは椿理沙ですわ。たぶん弘樹さんに召喚されたんですの。アリスさんとせせらぎさんから聞いたのと同じ現象なので、多分召喚で間違いありませんわね」


「し、召喚って……。な、何を言ってるの……。あの! それよりも理沙さんは、今、弘樹さんの家にいるってことですか!?」

「そうですけど? ……あ、分かりました。里美さんでしたわね? 貴女も弘樹さんを狙ってるのですね?」


「やっぱり弘樹さんの家にいるんですね! こんな夜遅くに彼の家にいるなんて……、それって付き合ってるってことですよね?」

「そんな訳ありませんわ。今、初めて弘樹さんと会ったんですから。それよりも早く麻雀しましょう」


「何で嘘つくんですか? こんな夜遅くに男性の部屋にいるのに、今初めて会った訳がないでしょう!」

「えー、何ですのもう面倒臭い人ですわね。これでは麻雀が始まらないじゃないですか。ねぇ朱音さん、ちょっと里美さんに説明してくださらない?」


「え? 朱音がですか?」

「貴女は事情をご存じですわよね? お願いしますわ。お礼に麻雀を教えて差し上げますから」


「弱ったわ。朱音だって何が起こってるのかよく分かってないのに……」


 朱音は今まで起こった出来事を要約して里美に説明した。


「信じられません。朱音さんは信じてるんですか?」

「信じるも何も、朱音自身が彼女たちと何回もやり取りしたし。それに朱音、せせらぎ師匠からクランに誘われたのよ?」


「そうだ、直接聞けば……、弘樹さんに理沙さんのことを聞けば関係が分かります。朱音さん、彼を起こしてください!」

「あ、いや、弘樹を起こしたら理沙姉さんが帰っちゃうんだって。理沙姉さんは今日来たばかりだから、寝てる弘樹に聞いても知らないのよ」


 里美が弘樹を起こして欲しいと要求するのを理沙は黙って聞いていたが、クセのある赤い髪を鮮やかなネイルが塗られた色っぽい指でかき上げると、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。


「里美さんって、随分と弘樹さんにご熱心なのですね。そんなにここで寝てるこの男性がいいのかしら?」

「あなたには分かりませんよ」


「ふーん。アリスさんもせせらぎさんも、この男性を好きだって言ってましたわね。つまり、みんなが欲しがるほど価値のある男性って訳ですか。へえー、そうなんですかー、ふーん。……じゃあ、あたしのモノにしちゃいましょうかしら?」

「え、ちょ、ちょっと! やっぱり弘樹さんを狙ってるんですね!?」


「え、えっー! 理沙姉さんまで弘樹狙いなの!?」

「ごめんなさいねー朱音さん。わたくしったら、他人が欲しがる男性ほど価値が高いと考えるタイプですの。だから欲しくなったら、誘惑してでも自分のものにしたくなるのですわ」


 デスクチェアに座って弘樹ゲットの宣言をした理沙は、真横で眠る弘樹を見た後、目を細めてから舌を少し出して上唇をペロリと舐めた。


次回、「頬と耳へのキス再び」

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