第二章 五話 相性の確認方法
「え? あ、誰……」
弘樹は身体を揺り動かされて目を覚ました。
確かに誰かに起こされた気がした彼は、辺りを見回したが部屋には自分しかいない。
気のせいかと思いもう一度寝ようとしたが、体中が汗でべたべたして部屋が真夏のような暑さであることに気づく。
三度目ともなると、寝ぼけたままでも暑さの理由にはすぐ察しがついた。
ぼんやりする頭でベッドの上のリモコンを取ると部屋の暖房を切る。
「せせらぎちゃんだよね……、これ」
汗をかいて胸の辺りがべたべたするので、掻きながら窓を開けた。
入り込む涼しい風に自然と目が細くなる。
なんで彼女は部屋をこんなに暑くするんだ?
そんなに寒がり?
まさか暑いのを我慢してる訳じゃないだろうし。
何の気なしにモニターへ目をやるとゲームは動いておらず、デスクトップ画面が表示されている。
彼はパソコンをシャットダウンするためマウスを触ろうとして、被せるようにのせてある手紙を見つけた。
その手紙がせせらぎからだとピンときた弘樹は、急いで二つ折りの便箋を開く。
川上弘樹さんへ
せせらぎです。
これで貴方の家に来るのも四回目です。
家に転移で帰るまでの間、アカネさんとはゲームを結構やりましたよ、ふふ。
私が貴方と遺伝子レベルで相性がいいと思う理由をお答えしますね。
パソコンに朱音さんとの通話動画を残しました。
自画像欄にゲームをする私の映像が残っているので、見てもらえますか。
手紙の二ページ目を見るのは、通話動画を三十秒ほど見てからですよ。
手紙の一ページ目はそこで終わっている。
二ページ目が気になってすぐ見ようとしたが、一ページ目の最後に猫のイラストがあって、「動画を見てニャン」と吹き出しが書かれていたので素直に動画を見ることにした。
パソコンを操作して、起動したままになっているチャットアプリを確認する。
今日の夜中の通話動画ファイルがあったので再生してみた。
そこには有名な動画再生サイトでよく見かけるあの大川せせらぎが、通話の自画像欄に映っていた。
アリスのときと同じように、せせらぎの横に机に突っ伏して眠る自分の姿が映っている。
「あっ!」
すぐに彼の視線はある一点へクギ付けになった。
せせらぎは白のパジャマを着ているのだが、そこに明らかに目立つ別の色が飛び込んできたからだ。
彼女の胸元、パジャマの上着の前ボタンが全て外されて大胆にも胸元が全開にされ、中に着る桜色のシャツのようなレースの下着が丸見えになっているのだ。
通話動画でも朱音が同じ反応をしていて、せせらぎが「暑くて開けているだけ」とおかしな言い訳をしている。
今は十二月、季節は冬である。
暑いのは暖房を三十度にしているからで、エアコンを切ればすぐに涼しくなる。
それなのに彼女は冬用のパジャマを着たまま、胸元を全開にしているので発言に違和感があるのだ。
せせらぎは朱音の質問を適当に受け流しながら「今日は投てき物の使い方ですぅ」とゲームを始めてしまった。
手紙で彼女が視聴するように言った三十秒は、とうに過ぎている。
このまま、せせらぎの胸元から見える桜色の下着をずっと見ていたい気もするが、それよりも気になる彼女からの手紙に視線を落とすと、二ページ目を読み始めた。
動画、見てくださりありがとうございます。
キャミソール、見せちゃってますよね。
そのキャミが隣の椅子に置いてあるキャミです。
えーと、これだけ部屋を暑くしているので、汗吸っちゃってます。
そのキャミの匂いをちょっとだけ嗅いで欲しいのです。
あの!
私が変態的な趣味の持ち主で、それで匂いを嗅がせたいとかではないんです!
匂いで、遺伝子の相性が分かるのです。
もし弘樹さんが私のことをいい匂いだと感じたら、それは互いの相性が遺伝子レベルでいいということなんです。
ちなみに私は貴方のことをいい匂いだと……運命の人だと感じました。
だから、貴方もきっと私をいい匂いだと思ってくれると思います。
無理なお願いとは分かっています。
でも一回だけでいいので試してくれないでしょうか。
大川せせらぎ
驚愕の内容に弘樹は目を丸くした。
あの動画でせせらぎが見せていた下着は、キャミソールだった。
彼にとってキャミソールなんてものは、漫画で女性キャラが着ているのをたまに見る程度で、それがどういうものかよく分かっていない。
だから動画で少し見たくらいでは、それがそうだなんて分かる訳もなかった。
さらに手紙には、その彼女が着ていたキャミソールが隣の椅子の上に置いてあると書かれている。
あの大川せせらぎがさっきまで着ていたキャミソール、その脱ぎたてが自分のために置いてあるだなんて、事態が異常過ぎて思考がついていかない。
弘樹はそれが本当かを確認するために、右隣の椅子へ向けてゆっくりと首を動かした。
本当にあった。
視界に入ったのは、デスクチェアの座面に畳んで置かれた桜色の薄いシャツのような物。
動画で彼女がパジャマの前を開けて見せていた桜色のキャミソール、それと同じ色でレースが付いた布が畳まれてそこにあった。
弘樹は生つばを飲みこむと両手で拾い上げる。
これが、動画で見えていたキャミソール!?
つまり少し前までせせらぎちゃんが着ていたヤツだ。
ねぇ! ちょっと湿ってるんだけどッ!!
これ汗だよね!?
彼女の汗だよね!?
やばい、やばいよ、俺、とうとう会ったこともない女性の下着に手を出す変態に……!
……え? あ、あれ? いや、違うな……。
彼女が俺に匂いを嗅がせようと置いていったんだった。
てことは彼女が変態!?
手紙では否定してたけど、そ、そういうことだろこれ!?
しかも、せせらぎちゃんは俺がいい匂いだったと書いてる。
つまり俺の匂いを嗅いだんだよな!?
寝ている俺の身体の匂いを直接!
彼女ってそういう趣味の持ち主なのか!?
あんな黒髪で華奢な美人が匂いフェチ……。
せせらぎちゃんは、俺がこれを嗅いでいい匂いだと思えば互いに遺伝子の相性がいいと、それを俺に確認させるためなんだと書いているけど……。
ほ、本当か??
他人の汗や身体の匂いを嗅いで、いい匂いだなんて思うものなのか?
俺は女の子の身体の匂いなんて嗅いだことがないから分からん……。
男とは違うのか?
相手が女の子でも相性が悪ければ臭いと思うのか?
……。
嗅げば分かるんだよな、彼女のこれを。
ついさっきまでせせらぎちゃんが着ていた、このキャミソールの匂いを嗅げば……。
汗を吸った女性の下着の匂いを嗅ぐ。
弘樹はこの行動に最初、かなりの罪悪感を抱いた。
その行為があまりにも変態的だったから。
だが徐々に興味も抱きはじめる。
女性の匂いというものに。
匂いで遺伝子の相性が分かると言う話に。
弘樹はじっとキャミソールを見ていたが、ついに恐る恐る顔を近づけると、ゆっくりと鼻から息を吸い込んだ。
「あ、甘い? 甘い……匂いだ。甘くてそして……なんだか落ち着く……そんな匂いがする……」
鼻孔の奥をくすぐる優しく甘い香り。
それは決して、洗剤や香水などで付けられた匂いではなかった。
でも、いやらしい妖艶な感じでもなかった。
ただ心地よくて、彼の大好きな匂いだった。
弘樹はこの一瞬で、自分とせせらぎは遺伝子の相性がいいのだと、本能的に確信したのだった。
◇◇◇
「い、い、いよいよです……」
胸に手を当て心配そうな表情をしたせせらぎは、昨晩と同じように視界が白くぼやけ始めると無意識につぶやいた。
昨日と同じようにベッドに座ってスマホを操作していた彼女は、軽い浮遊感を感じた後、視界が元に戻りわずかな落下と共にベッドに着座した。
「今日はやることがあるので、匂いを嗅ぐのはほどほどにしないと……」
手に持っていたスマホをハンカチやペットボトルの入ったトートバッグへしまうと、ベッドに座ったままで寝落ちする弘樹の横顔を見つめた。
自分は彼を運命の人だと思ったが、相手はどう思ったのか、それが気になって気になって仕方がなかった。
せせらぎは昨日の晩を思い出す。
昨日の晩、なんとか弘樹に自分の匂いを嗅いでもらい、遺伝子の相性がいいのを知ってもらおうとした。
そこで彼女がとった行動は、汗を吸ったキャミソールを脱いで置き去りにし、手紙で匂いを嗅いで欲しいと頼むというもの。
しかも、彼女がそのキャミソールを着ていたと分かるように、わざわざパジャマの前を開けてキャミソールが丸見えの状態の通話録画を残した。
あの後、転移で自分の部屋に戻った彼女は、冷えた自分のベッドに潜り込んで眠ろうとした。
だが、身体の火照りが収まり思考が冴えて冷静さを取り戻すと、自分がしでかした行為が如何に変態的であったかをようやく認識した。
きゃぁああっ!!!!
私ったら、どうしてあんな行動をしたのでしょうか!
は、恥ずかしい……。
恥ずかしいですっ!
あれじゃ丸きり変態ですよ……。
や、やっぱりなしにしたいっ!
キャミソールを回収して通話動画を消したい!
だけど自分の力では彼の部屋に行くこともできないし……。
もう私、嫌われたかもしれない……。
後悔の気持ちが頭を巡ってもんもんとしたり、時折恥ずかしさが込み上げてきて布団の中でごろごろ身悶えしたりしていたが、その内に疲れてうつらうつら寝たようで目が覚めたら日が暮れていた。
少し寝たからか、彼女はすっきりしていた。
手紙と通話録画、そしてあの汗を吸ったキャミソールは、もうずいぶん前に弘樹の手に渡っているだろう。
ならばもう既に、弘樹のせせらぎに対する気持ちは定まっているはずである。
この期に及んでジタバタしても始まらない、多分嫌われているだろうが仕方ない、そんな風にせせらぎはどこか達観した気持ちになっていた。
そして、今ようやく弘樹に再会できたのである。
普通に考えたら私を変態だと思うに決まってます。
だから大丈夫、もう覚悟してます。
でも、もしかしたら……。
あきらめの境地で、だけど少しばかりの期待を込めて弘樹に近づいたところで、スピーカーから昨日と同じ声が聞こえた。
「せせらぎ師匠! おつです!」
せせらぎと朱音はもうすっかり打ち解けていた。
通話でコミュニケーションをとったのは昨日が初めてだったが、同じゲームを極めようと真剣に取り組む者同士、互いに尊重しあい会話した結果だった。
もちろん数日間チャットでやり取りをして、すでに下地があったことも大きい。
「朱音さんっ。今日もよろしくですぅ」
「こちらこそ! そんで今日は何の練習ですか?」
彼女は、朱音と会話しながらいつものように彼の右隣のデスクチェアに座ったが、モニターの下に二つ折りの便箋が置かれているのを見つけた。
これは弘樹さんからの手紙ですよね。
でも今読めば、たぶんショックを受けて後のことに支障が出ます。
だから先に朱音さんへ大切なことを伝えてしまいましょう。
彼女は便箋を触らずに後回しにすると、モニター越しに朱音へ語りかける。
「朱音さんっ。クランって知ってますよねぇ」
「え? クラン? 確か、ゲーム攻略が目的で自主的に作るチームみたいなやつよね」
「はい。このバトロワゲームでどこかのクランに入ってます?」
「いえぜんぜん。まともに始めたのは四日前だし」
「あ、あのですねぇ。もし朱音さんがよろしければ、私たちが作る新設クランに入ってもらえないかなぁと思いまして……」
「へ?」
「プレイも大切ですけど、やっぱりコミュニケーションがとっても大事なんですよ。プレイヤー同士の相性とかもあるんです」
「あ、相性って朱音と師匠の?」
「あ、芸能事務所は関係ないですよぉ。個人的に作るクランですから。でも事務所には一応確認してOKがでたら、動画のゲストで出演してもらったりするかもです!」
「う、うそ……。朱音がせせらぎ師匠のクランに⁉ ……や、やた。いやったぁー!」
「では連絡用のメアドをチャットで教えてくださいね。詳細は幹事の人から連絡来ますよぉ。朱音さんっ。よろしくお願いしますぅ」
「きゃああーー!! いやっったぁぁああーー!!」
「ちょっと朱音! 静かにしなさい!」
朱音が奇声を上げて大喜びし、彼女の家族から制止が入ったところで、せせらぎが一旦会話を終える旨を伝えて通話を切断した。
ふう。
喜んでくれてよかったです。
でも、まだ弘樹さんの手紙が終わってないんですよ。
嫌われてショックを受けるでしょうけど、読まない訳にもいきませんし……。
気持ちを落ち着かせようと両手の平を胸に当てたせせらぎは、大きく深呼吸してからモニターの下に置かれた二つ折りの便箋を手に取り、そっと開いた。
大川せせらぎさんへ
キャミソールは物凄く驚きました。
俺も男なので興味はあるけど、洗濯とか親に隠れてするのが実は大変なんです。
だから服の置き土産はもうなしにしましょう。
掃除とか後片付けなら任せてくださいね。
えと、匂いのことですけど、頼まれたから嗅ぎましたよ、あなたの汗を吸ったキャミソール。
ホント頼まれたからですよ。
普段はそんなことしないですからね。
あ、それでですね、結論ですけど……。
あなたの匂い、甘い、いい匂いだと思いました。
これって俺と遺伝子の相性いいんですよね?
遺伝子の相性がいいのって、ちょっと特別な感じがしますね。
あまりに内容がアレなので、読んだらこの紙は捨ててください。
川上弘樹
最後まで読んだせせらぎはニマニマと笑みを浮かべると、胸の前で両こぶしを作り「やりましたっ!」と小さく歓声を上げた。
トートバッグからスマホを取り出すと鼻歌を歌いながら弘樹の横顔を何枚も激写し、一通り満足するとさっきの彼の手紙をスマホと一緒に大事そうにトートバッグへ仕舞い込んだ。
※第二章まで読んでいただき、ありがとうございます。
お客様! お客様の中に匂いフェチの方がおられましたら、
大至急、★評価をお願いします!
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