第二章 四話 桜色のキャミソール

「あ゛あああ……」


 暑さで目が覚めた弘樹は、苦しそうにうめき声を上げて身体を起こす。

 まだ夜明け前で、いつもならもう少し寝ている時間だが、あまりの寝苦しさで目が覚めたのだ。


 なぜこんなに暑いのかと、ぼんやりしたまま壁に目をやるとエアコンが勢いよく温風を吹き出していた。


「またかよ……」


 ベッドの上のリモコンに手を伸ばして、設定温度を確認すると三十度の暖房になっていた。

 急いでエアコンを止めて部屋の窓を開ける。




 ふう涼しい……。

 これ、アリスちゃんだよな?

 こんなんじゃ彼女だって暑いだろうに。

 暑くても平気な恰好でもしてんのか?

 



 数秒ぼけっとしたが、それってどんな恰好だろうと想像して表情を変えた。

 脳内でアリスの下着姿を思い描いたからだ。

 弘樹は以前からアリスの大ファンで、当然彼女がスタイル抜群であることを承知している。


 もし自分が眠っている間に、アリスが下着姿で自分と腕を組んでいたら……。

 胸の大きいアリスのブラジャー姿を想像した弘樹は、暑さでのぼせていたこともあってまたもや鼻血を出した。


 今回は鼻血でキーボードを壊さずに済んだが、パジャマを汚したので着替えのために一階へ降りる。

 汗だくで気持ち悪いのもあってシャワーも浴びた。


 下着だけで台所へ行き、冷蔵庫にある二リットルのペットボトルに口を付けて喉を鳴らして水を飲んだ。


「また直飲みしてるわね! コップに入れて飲みなさい!」


 早起きの母親から毎度お馴染みの注意を受ける。


「わかった」


 弘樹は気のない返事をして足早に立ち去ろうとすると、再度母親から声がかかった。


「最近、夜中に部屋で運動でもしてるの? たまに飛び跳ねるでしょ」

「な、何それ……し、知らないよ」


 何となくアリスのことだろうと弘樹には推測できたが、夜中だけ部屋に女の子がいるなんて説明が困難なのでとぼけた。

 

「あとあなたゲームの動画見てるでしょ。女の子の声が聞こえるときがあるわ」

「え、あ、うん、……見てる」


「そろそろ動画の女の子じゃなくて、本物の女の子を部屋に連れ込むぐらいしなさいよ」

「が、頑張ります……」


 もう連れ込んでるなんて弘樹にはとても言えない。

 慌てて台所を出ると自分の部屋へ逃げ込んだ。




 母さんが動画だと決めつけるのは、誰かがチャイムを鳴らして家を訪ねた訳じゃないし、玄関で他人の靴を見た訳でもないからだろう。

 まさか、金髪女子を召喚で毎晩連れ込んでいるなんて誰が想像できるものか。

 ただいつか、母さんが部屋の扉を開けて彼女を見つけたらどう説明しよう……。




 いまさらになって親バレを悩んだが、考えても結論なんて出ないので考えるのをやめた。


 デスクに戻り鼻血の拭き残しがないか確認していると、折りたたまれた便箋がモニターの下に置かれているのを見つけた。




 ヒロキさんへ


 大川せいらと申します。

 突然こんな手紙が残されていて、困惑されているかと存じます。

 でも、私がこの部屋に来るようなったのは、貴方が私を呼んだからですよ。

 だから、二人が出会った責任を取って欲しいのです。


 貴方には深い仲の女性がいるかもしれません。

 でもご結婚はされていないですよね?

 ならばどうか、私のことも見て欲しい。

 私にもチャンスが欲しい。

 だって、貴方と私は遺伝子レベルで相性がいいのだから。

 貴方はいつも寝ているから、私のことは知りませんよね。

 どうか「大川せせらぎ」で検索してください。

 お返事お待ちしております。

 大川せいら(芸名:大川せせらぎ)




 昨日、考えていた通りのことが起こっていた。


 朱音が教えてくれたプレイスタイルからすると、その動きはアリスと同じ事務所のせせらぎみたいだ、とは思っていた。

 だが召喚されているのはアリスなハズで、ならば必然的にせせらぎは有り得ないと可能性を頭から否定していた。

 でも弘樹はこの手紙を読んで、その人物がやはりせせらぎであったと確信する。




 やっぱり彼女が召喚されていたのか。

 ってことはアリスちゃんは召喚されていない?

 なんでアリスちゃんじゃなくて、せせらぎちゃんになった??

 それに深い中の女性って誰のことだ?

 彼女と呼べる女性がいないのが俺の悩みだぞ……。

 もしや、アリスちゃんのことを言っているのか!?

 それともまさか、朱音と勘違いしてないよな?

 それにチャンスが欲しいって、彼女が俺に興味なんてあるのか?

 アクションゲームの実況アイドルで男性プレイヤーにも引けを取らない彼女が、バトロワの苦手な俺に一体なぜ興味を持ったのか。

 ……。

 分からない。

 よく分からないが返事が欲しいと言っている。

 そもそも遺伝子レベルで相性がいいなんて、何故思ったんだ?




 弘樹の頭にはいくつものハテナが浮かんだが、それもこれも手紙で聞いてみるしかないと便箋に手を伸ばした。


◇◇◇


「よかった」


 ベッドに座ったままスマホを見ていたせせらぎは、昨日と同じで視界が白く変わったことに安堵の表情を浮かべた。

 わずかな浮遊感のあと次第に視界がはっきりしてくると、小さな落下とともにベッドに着座した。


 せせらぎは今夜も召喚してもらえるのか不安だった。

 昨日、無茶苦茶して弘樹を困らせた自覚があるからだ。

 室温を三十度まで上げて弘樹に無理やり汗をかかせ、寝ている彼の匂いを嗅ぎまくって自分だけ満足してしまった。

 彼女も暑くて汗をかいたので、ローテーブルに用意されたペットボトルのお茶を勝手に全部飲んでしまった。

 飲んだ分は返さないとまずいだろうと、飲んだ一本の他に自分用でもう二本をトートバッグに入れて持参している。


 ところが今日もローテーブルには、ペットボトルのお茶とスナック菓子が置かれていた。

 昨日、おとといと同様、コップが二つ用意されスナック菓子は丁寧に器に入れられているので、弘樹が自分用に用意したのではなく、誰かのために準備したもてなし・・・・だということが分かる。


「私のためだったらいいのですけど……」


 ベッドに座ったままつぶやいて、今日も机で寝落ちする弘樹を見つめる。

 せせらぎは、今はもう消えてしまった彼の首筋のキスマークを思い出すと、このもてなし・・・・はその痕を付けた女性のために準備したんだろうと思って切なくなった。


 小さく息をはいて、ふとベッドにおいた右手に目をやると、なんと自分が昨日着ていたパジャマが綺麗に畳まれて置いてあるではないか。

 昨日、暑くてベッドの上に脱ぎ散らしてそのまま転移して帰ったので、後になって汗を吸ったパジャマを置き去りにしたのを思い出し慌てたのだ。




 も、もしかして、私の汗の匂いを嗅がれたでしょうか……。

 恥ずかしいから、い、嫌ですけど、もしそうならちょっとだけ嬉しいかもしれない……。

 もし彼が私の匂いを嗅いだなら、どう感じたか知りたいです……。

 私と彼は遺伝子の相性がいい、だからヒロキさんも私の匂いを好きって思ってくれるかも……。

 もしそうなら……私のことを運命の人と思ってもらえるかもしれない。




 彼に好かれたい、素直な自分の心に気づいたせせらぎは、一体何を考えているのかと顔をこれ以上ないほど赤くすると、畳まれたパジャマを両手に取って顔をうずめた。


「いい香りです」


 昨日あれだけ汗をかいたのに柔軟剤のいい香りがして、今晩に間に合うように急いで洗濯してくれたんだと嬉しくなった。


「師匠? せせらぎ師匠ですよね?」


 急に呼ばれて彼女はビクッと震えた。

 朱音がスピーカー越しに名前を呼ぶので、自分の正体を弘樹から知らされたのだと理解する。

 弘樹の隣のデスクチェアに座ったせせらぎは、朱音との会話をしようとして逡巡しゅんじゅんした。




 私が誰か知っているのなら、もう音声で会話してもいいのでしょうけど……。

 でもアカネさんはまだパソコンを介して一緒にゲームをする一般の人ですし、地を出して話すのは芸能事務所に所属するプロとしてダメでしょう。

 やはり配信時のキャラで話すべきですか。




「こんにちは。アカネさんっ」

「うわぁ、マジせせらぎちゃんだ!」


「今日から音声にしましょう。あとですね、ちゃん付けはダメですぅ」

「あ、はい、せせらぎ師匠!」


「私のことはヒロキさんからどこまで聞かれてます?」

「だいたいは。今までアリスちゃんが転移して来てたけど、なんかある日から、せせらぎ師匠が転移して来るようになったのよね」


「昨日アリスさんに召喚の話をしたら、早く入れ変わって欲しいって言われたんですぅ」

「うーん、アリスちゃん可哀そうね。バトロワも楽しみにしてたし……。だけど弘樹も、何が原因で召喚相手が変わったのか分からないんだって」


「原因が不明なら仕方ないですぅ。それにアリスさんとはいろいろ話せてますし」


 会話しながら昨日自分が手紙を置いたモニター下を見ると、二つに折りたたまれた便箋に気づいた。

 せせらぎさんへと書かれている。


「ごめんなさい、アカネさんっ。一旦中断して三十分後に再開でもいいでしょうか?」

「え、あ、はい。分かりました」


 慌ててバトロワをログアウトした彼女は、震える手で二つ折りの便箋を手に取りゆっくりと開いた。




 大川せせらぎさんへ


 お手紙ありがとう。

 本当は大川せいらさん宛にした方がよかったかもしれないけど、みんなが憧れるせせらぎさんをいきなり本名で呼ぶのは馴れ馴れし過ぎると思い、今はせせらぎさんと呼ばせてもらいます。


 あなたをこの部屋へ転移させたのはどうやら俺のようです。

 寝落ちすると俺の理想の存在が召喚されてしまうようです。

 毎晩召喚して、迷惑をかけているのに怒らずに対応してくれてありがとう。


 俺は結婚どころか、ちゃんと付き合っていると言える人はいません。

 でも気になる人はいます。

 何故、あなたは俺と相性がいいと言ってくれるんですか?

 憧れのせせらぎさんにチャンスが欲しいなんて言われるのは嬉しいですけど、遺伝子レベルで相性がいいと思うだなんて、ちょっと理由が気になるかなと。


 あ、パジャマ洗濯しておきました。

 転移で毎晩、迷惑かけてすみません。

 それと朱音とゲームしてくれてありがとう。

 m(_ _)m

 川上弘樹




 読み終わったせせらぎは、嬉しそうに微笑んだ。




 ヒロキってこんな漢字だったんですね!

 川上弘樹さん、名前を知ることができて嬉しい!

 私が転移しているのは、貴方の理想の存在だからなのですか!?

 ああっ! そんなことって!


 でも、やっぱり気になる人がいるんですね……。

 弘樹さんにキスマークを付けた人とは違うのでしょうか?

 でも彼とその人とは話もしたことがなくて、ちゃんと付き合っているとは言えないと……。

 なら私にもチャンスがあるじゃないですか!


 だけど、弘樹さんを振り向かせるには一体どうすれば……。

 私が彼を好きになったのは……運命の人と思ったのは、私が彼の匂いを好きだと気づいたから。

 私と彼は遺伝子の相性がいいのですから、彼が私の匂いを嗅げば好きな匂いと思うはずです。

 だから私の匂いを彼に嗅いでもらえれば……。




 どすれば弘樹を意識させられるか、思考を巡らせたせせらぎは、ハッと表情を変えると生真面目な彼女には珍しい悪い笑みを浮かべた。


 ベッドに置かれたリモコンを手に取って、設定温度を三十度まで上げる。

 さらに引き出しから便箋を取り出すと、昨日と同じように弘樹宛の手紙を書いた。


「よし!」


 両手を胸の前で握り締めて小声で気合いを入れた後、バトロワにログインしてチャットアプリの通話モードで朱音を呼び出す。


「あの、朱音さんっ」

「はい、何でしょう?」


「朱音さんは私にバトロワの戦闘を教わってますよね?」

「そりゃもう手取り足取り」


「じゃあ、私のお願いも聞いてくれますよね?」

「え、お願い?」


「お願いがあるんですぅ」

「任せてください! 今こそ恩返しのときってね! で、何をすれば?」


「弘樹さんに通話動画を残したいって思いまして」

「せ、せせらぎ師匠も!?」


「え、それって? どういう意味です?」

「え、あ、いや、何でもないかな……」


 彼女はパソコンの脇に置かれていたWEB会議用の簡易カメラをモニターの上部に取り付けて、USB端子をパソコン本体に接続した。


 弘樹の隣に座るせせらぎの姿がチャットアプリに表示された。

 黒く長い髪に白いパジャマを着たせせらぎが映っている。


「あっ!」


 朱音が驚きの声を上げた。

 カメラに映った彼女の姿を見て驚いたのは明らかだ。


 別にせせらぎは弘樹と腕を組んで密着している訳でもなく、ただ横に座っているだけである。

 ただ、パジャマの上着のボタンが全て外されて胸元が大きく開かれおり、中に着た桜色のキャミソールが丸見えになっていた。


「あ、こ、こ、これは気にしないでくださいね。暑くて開けているだけ、ですから……」

「そ、そうですか……」


「そ、そんなことよりも、れ、練習しましょ。今日は投てき物の使い方ですぅ」

「は、はあ……」


 呆気にとられる朱音の様子が声から伝わるが、せせらぎは無視してさっさとバトロワを始めてしまった。


次回、「相性の確認方法」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る