第二章 三話 匂いフェチ
「もう朝か……」
いつもより少し長めに眠ってしまい、日差しが眩しくて目が覚めた。
パソコンモニターを見るとバトロワゲームをプレイ中である。
試合も終盤で狭いフィールド内に敵味方が入り乱れる乱戦状態だ。
急いでマウスを握ったが遅かった。
プレイヤーが弘樹に入れ替わるタイミングで棒立ちになってしまい、そこへ集中砲火を浴びて倒されてしまった。
ゲーム結果が表示される。
二位、つまり準優勝である。
>ねえヒロキ、起きたんでしょ?
>ああ、おはよう
>見た? 準優勝よ
>凄いな、アリスちゃんと二人でだよな?
>彼女は本気出してないわ、アカネがメインよ
>いやいや本気出さないと二位になれないだろ
>彼女が本気なら逆に相手を倒して優勝だよ
弘樹は二位という結果を、単純に朱音とアリスの二人で頑張ったからだと思ったが、どうやら違うようだと思い直す。
さっきのプレイ成績を見ると、こちらが選択しているキャラは、準優勝の割に倒した敵数が少なく、かわりに仲間をダウンから助けたり、生き返らせた数が多い。
朱音の奴、アリスちゃんが本気を出さずサポート役に徹した分、自分が頑張ってこの結果が出せたと言いたいようだな。
でもまあ、アリスちゃんのプレイ結果は確かにサポート数が多過ぎるから、そう見えなくもないか。
それにしても引っかかる。
朱音は、アリスちゃんが本気を出せば、逆に相手を倒して優勝していたと言った。
でも、彼女のプレイ動画を見た限り、バトロワの操作はもう一つなんだよな。
俺が言うのもなんだが、銃を撃つ際もエイムに時間がかかるし、なかなか当たらないし、敵の攻撃は普通に食らってダウンしていた。
あれじゃ、周りの敵を排除して仲間をダウンから助けたり、ましてや指定場所へ行って生き返らせるなんて、たまにできてもたくさんは無理なんじゃないか。
じゃあ、アリスちゃんが本当は超強くて、動画では下手を装ってる!?
……分からん。
彼女はゲーム実況者だから、上手いプレイ動画を公開してなんぼだろう。
下手を装うメリットがないしな。
>なあアカネ
>なあに?
>アリスちゃんってキャラをどう動かすの?
今までの説明では彼女がどう凄いのか弘樹には分からない。
そこで朱音にアリスのキャラ操作を聞いてみる。
彼女は詳細に説明を始めたが……。
>ヒロキ、朱音はもうだめ。寝落ちしそう
>あ、悪い。そうだな。お疲れ
弘樹は通話を切断すると、早速、朱音が説明してくれたアリスの動きを確認するため、彼女の動画の視聴を始めた。
そして気づいたのだ。
朱音の言うその動きはアリスのパターンではなく、コラボで一緒にプレイするせせらぎの動きと同じであることに。
せせらぎのプレイを間近で見れば、この異常な強さをリアルタイムで見れば、誰でも朱音のように思って当然だった。
せせらぎが本気を出せば優勝すると。
つまり、朱音が見たのははせせらぎのプレイではないか。
そこまで考えた弘樹は、なぜ召喚されているアリスがせせらぎの動きをできるのか混乱した。
彼女がせせらぎちゃんのレベルまで到達したというのか!?
いや、もうこの動きはちょっとやそっとの練習で、どうにかなるレベルじゃないぞ。
でも、じゃあ一体……。
まさか、今召喚されているのがアリスちゃんではなく、せせらぎちゃんなんてこと、ないよな……。
大川せせらぎは弘樹にとって憧れの存在。
自分と同じジャンルのゲームを嗜む大好きな胡桃アリスとは違って、せせらぎへのそれは羨望だった。
天性のアクションゲームセンスと、それに溺れず修練を積むひたむきで生真面目な性格、それらに裏打ちされた確かな実力。
なのに実況アイドルとしてのキャラが
さすがに弘樹も実況時の口調は本来のものではなく設定だと思うが、それでもあの口調の彼女とチームプレイをしたらどんなゲーマーも萌え死に必死である。
あまりに突拍子のない想像に、弘樹はないないと頭を振った。
もしどうしても疑問ならば、またアリスに手紙を書いて聞けばいい話である。
それよりも今は強い危機感に焦っていた。
すでに朱音とゲームテクニックでかなり差を付けられていると感じたからだ。
弘樹にも意地はある。
弘樹と朱音は学生時代から一緒にゲームをしてきた。
なのに、朱音の方が明らかに上手だとアリスに思われるのだけは、何としても避けたいのだ。
今日はバイトが休みなので服屋に行く予定だった。
アリスとは話すらできておらず、とても付き合っているとは言えない状況。
それでもクリスマスデートを実現できる可能性は、弘樹が生きてきた中で今が一番高い。
もしデートができたら、そのときに付き合って欲しいと交際を申し込むつもりで、勝負服を買いに行こうと思っていた。
だが、今はそれどころではないと認識を改め、みっちりとバトロワを特訓することにしたのだった。
◇◇◇
「やっとです」
ベッドの上に腰かけて召喚を待っていた大川せせらぎは、転移が始まったのを確認すると笑みを浮かべた。
彼女の視界が白くぼやけて、軽い浮遊感の後に視界が戻り小さな落下でベッドの上に着座した。
せせらぎはすでに二回転移を経験し、弘樹の部屋の間取りと彼女の部屋の位置関係がリンクしていて、ベッドに座っていれば同じ配置で置かれている弘樹の部屋のベッドの上に転移すると分かっていた。
弘樹のベッドに腰かけたせせらぎは、椅子に座ったまま机に突っ伏して眠る彼を横から見る。
転移の謎も気になりますけど、それよりもこのチャンスを活かさないと。
このヒロキさんというモテ男子が目を覚ましそうになると、私が元の自分の部屋に戻ることは確認済みです。
つまり私が彼に襲われる心配はありません。
ならば普通ではできないことに挑戦するチャンス!
まずは……。
「師匠? もう来てるんでしょ?」
三回目にもかかわらず朱音の声にビクついた彼女は、すぐに音声を切断するとチャットを入力する。
>先にやることがあるので自主練をお願いします
>それって射撃訓練場?
>ええ。ジャンプ中に近距離を撃ってください
>空中で撃つの?
>接近戦で生き残れるようになります
>おけ。アカネがんばるね!
>一時間がんばってください
チャットを終えたせせらぎは、横で眠る弘樹の方を見る。
昨日はこの人の匂いを嗅いで、自分が男性の匂いを好きなのかもしれないと思いました。
それで家に戻ってからお父さんの服の匂いを嗅いでみたのですが、慣れた匂いだけどあまり好きではなかったです。
むしろあまり好ましくないと言うか……。
でもこの人の匂いは違った気がします。
もう一度嗅いでみましょう。
せせらぎは机に突っ伏して寝落ちする弘樹に近づくと、背中に顔を寄せて匂いを嗅いでみる。
昨日と同じ匂いが少しだけしたが、どうやら風呂に入って着替えているようで身体の匂いというよりは洗剤のさわやかな匂いがする。
少しがっかりした彼女は、くんくんと鼻を動かしながら顔を彼の右横まで動かすと、一瞬ためらってから弘樹の脇の辺りを嗅いでみる。
残念です。
清潔なのは好ましいですけど、脇も匂いがほとんどしない。
昨日はこの人の匂いを好ましく感じたから、ちゃんと確認したかったのですけど。
でもこれでは、自分が本当に男の人の匂いを好きなのか……匂いフェチなのか分からない。
ぐるりと部屋を見回したが綺麗に片付けられていて、彼女の探しているものはない。
部屋が片付けられていてもクローゼットの中ならばあるかもと、扉を開けて中を確認すると丸められた服が積まれていたので微笑む。
シャツやパンツなどの下着はなくて上着とかズボンとかばかりだが、そこに交じって白いシンプルなワイシャツを見つけた。
シワだらけで明らかに着た後のものだ。
彼女は急いでそれを手に取ると、迷いなく顔を押し当てた。
そのままスハースハーと鼻で大きく息を吸ったりはいたりする。
ワイシャツから顔を上げたせせらぎは、頬を赤くして嬉しそうに微笑んだ。
ここここれです!
この人の匂い!
この匂い、大好きです!
でも、脱いでからしばらくクローゼットに置かれていたのか、匂いが弱いかしら?
だけどこれでハッキリしました。
私、男の人の匂いが……いえ、違いますね。
この人の匂いが好きなんです。
彼女は急に思いたったようにクルリと身体を回転させる。
胸にワイシャツを抱えたまま左足を軸にして綺麗に半回転すると、長い黒髪がそれに合わせてさらりと宙を舞った。
せせらぎは立ったままで、机に突っ伏して眠る弘樹の後ろ姿を見ていたが、大事そうにワイシャツを両手で持ったままゆっくり彼に近づく。
「嗅いでみたい、身体の匂いを直接……。そうだ! 汗をかいたら匂いがしますよね」
いいことを思いついたとばかりに彼女は目を輝かせると、ベッドの上に置かれたエアコンのリモコンを手に取った。
二十六度の表示を見て一気に三十度まで上げる。
彼女は頬を赤くして微笑むとマウスを握ってつぶやいた。
「この人が汗をかくまでの間、アカネさんをシゴキましょうか」
しばらく、朱音を相手に射撃訓練場で接近戦の練習を続けることにした。
人にものを教えると自分の技量が著しく上昇する。
自分の理解や認識が深まるため無駄な動きが減るのだが、逆にせせらぎは注意散漫になりプレイに粗さが目立ち始めた。
>師匠なんか調子悪い?
>別に平気です。一度試合をしましょう
現在彼女はパジャマを下だけ穿き、上は胸元にレースの付いたキャミソール姿になっていた。
部屋の暖房を強めて弘樹が汗をかくのを待っていたのだが、寝ている人の体温は下がるために起きている人より汗をかくのが遅い。
せせらぎの方が暑くて先に汗をかき始め、暑くて我慢できずにとうとうパジャマを脱いでしまったのだ。
いつものせせらぎであれば、男性と同じ部屋でキャミソール姿なんて死んでしまうほど恥ずかしくてありえないこと。
だが、室温三十度で冬用のパジャマを着続けるのはとても耐えがたく、更に暑さで思考が鈍り羞恥心が低下していた。
でもただそれだけでなく、彼女にはどうしてもそうまでする理由があった。
彼の匂いを嗅いでみたいです!
身体から直接。
やっぱりあのワイシャツと同じ匂いがするのでしょうか。
バトロワゲームの試合が開始してすぐ、周囲に敵がいないのを確認して左手をキーボードから離した。
隣で眠る弘樹の背中をそっと触ってみる。
彼の背中は熱を持って熱くて、しっとりと汗ばんでいる気がした。
これなら彼の身体の匂いを嗅げるかもしれない、そう思ったせせらぎは居ても立っても居られなくなる。
キャラを安全な建物の陰に隠れさせてから、朱音へチャットを打ち込む。
>接近戦練習の効果を確認します
>どうするの?
>敵を見つけたら即距離を詰めます
>それって、アカネ一人で?
>一緒にです。それで今日は終わりにします
チャットを打ち終わるやいなや建物から飛び出すと、マップの中心、ラストバトルの予測地点へキャラを走らす。
返事を打とうとしていた朱音が慌てて後を追った。
朱音の実力は確実に向上していた。
だがまだ無双と呼ぶには程遠く、せせらぎからの援護射撃があって何とか撃ち勝てる程度。
いつもは見守るプレイで朱音の実力を養うせせらぎが、この試合に限って敵チームに自ら突っ込み蹴散らした。
>お疲れ様。今日はこれで終わりです
>師匠、ありがとう!
当然のように優勝した彼女は、次の試合のマッチングをせずにさっさとバトロワをログアウトする。
マウスとキーボードから手を離したせせらぎは、隣で寝落ちする弘樹を見て頬を赤くした。
ワイシャツと同じ匂い……しますかね?
彼女自身も暑さで汗ばんでいて、少しキャミソールの色が変わっていた。
でも彼女はそんなことを気にしてはいない。
立ち上がったせせらぎは彼の後ろに回り込むと、汗ばんだ弘樹の背中に鼻を当て大きく匂いを吸い込んだ。
ああ、この匂いですっ。
このヒロキさんの身体の匂いが好き!
好ましい匂いのする異性は、遺伝子の相性が良い相手。
つまり、理想の結婚相手らしいのです。
だからこの男性は私の……運命の人!!
直後、背中に違和感を覚えたのか、寝ている弘樹が大きく身じろぎすると、右手を背中に回してせせらぎが鼻で触れた場所を掻いた。
次回、「桜色のキャミソール」
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