第一章 三話 運命の人

 あ、暑い……。

 もの凄く暑い。

 なんだどうした?




 あまりに蒸し暑さで目が覚めた弘樹は、全身から大量の汗が吹き出ていることに気がついた。


 部屋が真夏のような温度になっているのだ。


 寝ぼけながらベッドの上にあるエアコンのリモコンに手を伸ばして確認すると、設定が三十度の暖房になっていた。




 何で!?




 理由は分からないが、原因が分かったので急いでエアコンを切って部屋の窓を開けた。


「ふ、ふへぇ~、生き返る」


 しばらくひんやりした外の空気に当たって身体を冷やす。

 眼鏡を外して顔の汗をハンカチで拭った。


 点けっぱなしのモニターを見ると、MMORPGのゲーム内チャットが次々更新されている。


>ヒロキ? ねえ、どうしたの?

>あれ? もしかして寝落ちしちゃった?

>昨日のはマグレなのね……


 少し目が覚めたので返事を返す。


>あれ? 何でチャットなの?

>はあ? あなたが急に黙り込んでチャットにしたんでしょ?


>俺しらんよ

>寝ぼけてんの? まあ夜明け近いから眠いもんね




 あいつ、また可笑しなことを言ってるよ。

 昨日もチャットがどうのとか、寝落ちせず頑張ったとか言ってたな。

 一体何言ってんだか。




 弘樹は友人の可笑しな言動に首をかしげながら、何の気になしにチャット欄をスクロールさせると目を疑った。


 確かに自分の発言としてチャットのやり取りがあるのだ。

 普通にゲーム内での行動について友人と相談している。




 これってもしかして、寝ながらプレイしてる!?

 とうとう現実で新しいスキルをゲットした?




 一瞬色めき立ったが、楽しむためのゲームを意識のない状態でプレイしても楽しくはないので、もしスキルが身に付いていても残念スキルだと思いテンションが落ちた。


 ゲーム画面から目を逸らしてモニターの下を見ると、ハンカチの上に置いたかんざしがなくなっている。

 代わりにメモ用紙が置かれていた。


 どういうことだろうと弘樹は首をかしげる。


 母親がかんざしを取りに来れば、メモなんか残さずに直接話しかけるハズである。

 弘樹はいぶかしく思いながらもメモを読んだ。




 かんざし丁寧に扱ってくれてありがと。




 こんなクセのある可愛らしい文字は母さんじゃないな……。

 ということは、だ、誰かが部屋に侵入して、かんざしを持ってった??

 さっきあいつも、可笑しなこと言ってたな。

 誰か別の奴と交代でゲームしてるだろ? って……。




 急に怖くなって部屋を見渡すが、部屋に変化は見当たらない。

 ふとスキルの診断用紙に記載された『小人の靴屋』という付与効果を思い出した。




 確か、『寝落ちスキル』が発動したときに、やりかけたことをできる高い実力があって、かつ俺にとって理想の存在を召喚するんだよな。

 そんで、寝落ちから状態回復すると召喚は解除されるんだっけ。

 う~ん。

 急に召喚とか言われてもなあ。

 俺には異世界召喚くらいしか思いつかない。

 あ、あと悪魔召喚とかもあるか。

 俺の場合だと、寝落ちが切っかけでどっかの異世界から小人を召喚してて、俺の代わりにゲームやってくれてるのかな?


 ……んな訳ないか……。




 いくら何でも空想が過ぎると首を横に振った弘樹は、かんざしの代わりに置かれていたメモの存在を考えないことにした。


 その日、弘樹は何故か準備していたワイシャツが見つけられず、全力を出そうと気合いを入れていた正社員の採用面接に、くしゃくしゃのワイシャツを着て行く羽目になった。


◇◇◇


「ふふふ、予想した通りね!」


 自分の想定通りになったので、嬉しくて声を出してしまったアリスは、慌てて左手で口を押える。


 昨日、一昨日と同じように、急に視界が奪われて真っ白になったかと思うと、妙な浮遊感に襲われた。

 すぐ視界が戻り始めると浮遊感がなくなり、小さな落下で床に着地する。


 ただ、彼女に驚きはない。


 白地にピンクのボーダー柄が入った冬用のふわふわしたパジャマを着こみ、厚手の部屋用靴下を履いていた。

 右手にはお菓子やジュースの入ったエコバッグを下げている。


 連続で起きた他人の家への転移で、寒さとノドの渇きに困ったので、今日は準備万端整えて身構えていたのだ。




 えーと、弘樹はと……。

 いたいた、私の運命の人!

 そして今日も寝落ちしてるね!




 この家に飛ばされるのはもう三回目なので、彼の名前も知っている。

 パソコンに残された彼宛のメールで名前を川上弘樹と確認済みで、さらにアリスは彼のことを運命の人・・・・だと決めつけていた。

 でもそれは、仕方のないことだった。


 信じられないような不思議な現象が起こって、三度もこの男の元へ転移したのだから。




 また、今日も一緒に一晩中ゲームしようね!




 一緒にとは言っても『寝落ちスキル』でずっと寝落ちしているだけなので、会話もしたことはないし、彼がどんな性格なのかも分からない。


 それでも何時間も真横に居て一つの部屋で過ごしているのだから、自然と心の距離感は近くなっていた。


 いつもの様にデスクに突っ伏して寝落ちしている彼の近くまで移動する。




 あれ!? これって……。

 誰かが来てたのかな?




 弘樹の横には小さめのデスクチェアが用意されている。

 ちょうど筒状のゴミ箱に座るのはお尻が痛くて、何とかしたいと思っていたところだった。


 デスクチェアの座面には、お茶の入ったペットボトルとスナック菓子を乗せたお盆が置いてあり、「よかったら食べて」とメモ紙が添えられていた。




 これ、確実に私宛だよね……。

 昨日、置き忘れたかんざしを回収する際に、お礼メッセージのメモ書きを残したから、私の存在に気づいてくれたんだわ。




 彼女は頬を赤らめると嬉しそうに微笑んでから、座面のお盆をローテーブルへ移動させた。


 実際、弘樹とアリスの間には互いを想う距離感に隔たりがあった。


 弘樹が自分の『寝落ちスキル』で、誰かが召喚されていると思ったとしても、どんな人が来ているかまでは分かるはずがない。

 スキル診断装置の診断プリントには『小人の靴屋』という記載があるだけなので、召喚されている相手のヒントは小人くらいしかない。


 一方アリスは、相手が寝ているとはいえ二晩も朝まで二人で過ごしたのだ。

 しかも二人の出会い方は、アリスの転移というあり得ない特別な方法。

 彼女には相手が自分好みの眼鏡男子だということも分かっている。

 それに昨日は自分から彼の頬と耳へのキスをしたのだ。

 アリスはもう既に彼の声が聴いてみたくて、話をしてみたくて仕方がなかった。




 た、例えあなたが私の運命の人でも、私が勝手に家に入り込んでる訳だし、起こさない方がいいわよね……。

 私の存在に気づいているみたいだけど、も、もし恋人がいたら気まずくなっちゃうだろうし……。




 弘樹に恋人がいたら、そう想像したアリスは急に不安になり、胸がきゅうと締め付けられるような感じがした。




 でも、お菓子や飲み物を用意してくれているんだもん、彼が私を歓迎してくれてることは確かだわ。

 それに、恋人がいるかどうかなんて知らないんだから、今はまだ、ちょっとくらい積極的でも許されるよねっ。




 アリスは挨拶とばかりに机で寝落ちする弘樹の頬にキスをする。

 少しして名残惜しそうに頬から唇を離すと、今度は昨日と同じ様に彼の右手からマウスを取り上げる。

 しかし、彼女はマウスではなく彼の右手を左手で触って、そのまま自分の指を絡めて握った。


 アリスの白く小さな手が、寝落ちして力のない弘樹の手を握って優しく指を絡ませる。


 デスクの上で恋人繋ぎをしたアリスは、用意された二脚目のデスクチェアにヒザを曲げて三角座りした。

 そのまま、彼の横に身体を寄せて右手でマウスを掴む。


「フレンドとチャットを始めるまでは、こうして手を握ってようね」


 アリスは左横の弘樹を見ながら小声でそう話しかけると、白い頬を紅く染めて少し瞳孔の開いた眼で彼のことを見つめた。


 それからアリスは、弘樹の手を握って絡めた左腕を強く引き付けると、彼の右側に自分の左側をぴったりくっつけたのだ。


 そのせいでアリスと弘樹の密着度はさらに上がったが、アリスは嬉しそうに少し顔を赤くすると右手でマウスの操作を続けて、そのまま彼が寝落ちで中断したMMORPGの続きをプレイし始めた。


「うふふ。これぞ夢だった恋人同士プレイ」


 ゲーマー特有の夢を叶えたアリスは、上機嫌でゲームの攻略を始めた。


次回、「小人は金髪のアイドル」

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