第34話 エドワードと暗黒神




 王都内には悲鳴がこだましている。自分達が信頼し、尊敬し、人類を救うべく「魔王を討伐してくれる存在」が黒い球体に飲み込まれたのだから、それも仕方のない事だ。


「避難しろ!! 早く!!」


 ブルックはもう何が何だかわからないが、これが非常に不味い状態である事は重々承知している。


(まるで、魔物だ……)


 心の中で呟きながら、目の前の球体の動きに警戒する。



 ハンナは目の前の状況を飲み込めずにいる。いつも笑顔を絶やさない、誰よりも清く正しい存在……。人一倍正義感が強く、人一倍優しいエドワードが今、黒い球体に飲み込まれた。


(なんで……? これはなんなの……?)


 自分の無力さを実感した戦闘訓練。周囲の称賛は耐え難い苦痛であり、初めての屈辱だった。


 数々の後悔が押し寄せ、「もっと私に出来る事があったのでは?」と脳内に同じ言葉が繰り返される。


 止まらない震えに、これまで対峙したどの化け物よりもこの霧が恐ろしい事を直感的に理解してしまう。ベルゼブと対峙した時より、カオスドラゴンと対峙したときよりも……。


(これはどうする事もできない……)


 ハンナは絶望感を漂わせながら、ローブからゆっくりと杖を取り出す。苦楽を共にした、自分の分身とも呼べる杖が、小枝のように頼りないものに見えてしまうのを苦笑してしまった。




 アリステラは目の前の光景をぼんやりと眺めていた。聖女としての直感は必死に警鐘を鳴らしているのにも関わらず、どこか非現実的な状況をただ傍観した。


 目の前で黒い球体が蠢いていて、その中に自分の恋人?が飲み込まれているのにも関わらず、ただそれを眺めながら、揺らめく「赤」を想った。


(バカみたい……)


 自分の死期を悟りながらも、蘇ってくる数々の「赤」を想った。


「ハハッ」


 ゴブリンに陵辱されかけたと思ったら「コレ」だ。もう笑う事しか出来ない……。


(どこで何を間違えたのかな……?)


 15歳の時、神聖スキル「治癒・聖」を与えられた。スキルの最上位を意味する『聖』の文字。代々、聖女に受け継がれる自分は特別な人間だと自覚した。


 すぐに巫女様からの招集に勇者パーティー。自分の人生は輝かしい物になるのが、約束されていたはずだ。


(なぜ、こんな事に……)


 答えは分かっている。きっとあの「追放」が全てのきっかけだ。いや、それよりももっと前……。ただ後方から退屈そうな「赤髪」をよく知ろうとせず、恋焦がれてしまったがために、自ら壁を作り、遠ざけた。


 こんな事なら、意固地にならずに、素直に気持ちを伝えればよかった。そうすれば、きっと諦めもついたはずだ。


 自分が優れた人間であると鼻にかけ、拒絶される事を極端に拒んだ自分の責任だ……。


 目の前の黒い球体を眺めながら、ぼんやりとそんな事を思った。




 エドワードは暗闇の中にいた。暗く、どれだけ叫ぼうが誰にも届かない。何も分からず、何も聞こえない。


 不思議に思うかもしれないが、やけに心地よかった。


 この暗闇の中ではアダムの事を考えなくて済む。もうあの「赤髪」が脳裏にチラつく事もない。


 自分が「勇者」である事ですら、もうどうでもいい。消えて無くなればいい。


(あぁ。もう全て消えてなくなればいい)


 そうすればもう頑張らなくて済む。ずっとこの暗闇に身を委ねる事ができる……。


「なにを望む……?」


 どこからともなく聞こえる声。


「貴方は……?」


「我が名は『暗黒神 エレボス』あの忌々しいクソ女神の目を掻い潜り、やっとこの世界に来られたのだ」


「忌々しい神……?」


「まさか依代が『勇者』とは……。ククククッ。闇堕ちする勇者か……」


「何を言って……?」


「お前が憎くて、憎くて、仕方のない、『アダム』とか言うガキを殺してやろう……。その代わり、抗う事なくその身を捧げよ……」


(アダムが死ぬ……? 殺してくれる……? 暗黒神……?)


 エドワードの心は嬉々としてしまう。


(全ての元凶はアダムだ! 本当は初めて見た時から気に入らなかった!)


 飄々とした態度。名誉ある勇者パーティー、いや、『俺』のパーティーに加わったのにも関わらず、心底面倒くさそうにしていた。


 赤い髪を靡かせ、まるで自分が神のような態度に思わず跪き、道を示してくれる存在のように思ってしまった屈辱は消える事はない。


(平民のくせに……)


 エドワードはそう呟いては、良家の貴族出身である自分とまるで対等のように接して来ていたアダムに憤慨していたのだ。


(消えてなくなれ……)


 この「黒の世界」で自分の心はやけに従順だ。エドワードは暗黒神エレボスに声をかける。



「『アダム』を1番に殺せ……。そうすれば考えてやる」


「ククククッ。そのアダムってやつは、ただの『人間』なんだろ? ちゃんと契約したら1番に殺してやる」


「『契約』……?」


「アダムってガキを1番に殺したら好きにさせろ……。あのクソ女神に見つかる前にこの世界の覇者になるんだ!」


「……『人間』はアダムだけにしろ……」


「腐っても『勇者』か!! クハハハッ!! ……クククッ。いいだろう。『アダムを1番に殺せばお前は俺の物になる』。契約はこれでいいか? ククッ」


「…………いいだろう……」


「さぁ、前払いだ。腕を差出せ! それが『契約』の締結を意味する」


 エドワードは腕を前に出す。「黒の世界」で「黒」が蠢き、左腕を捕食して行く。巨大なエネルギー? 魔力? が体内に流れ込んでくる。


 全てを飲み込む『力』にエドワードは打ちひしがられる。


(……『魔王』など……取るに足らない小物のようだ……)



「クハハハッ!! エドワード!! お前はどこまでバカなんだ!! 『契約』なんて嘘に決まってるだろ!!?? お前は『俺』になり、『俺』は好きにやらせて貰うぞ!! クハハハハッ!!!!」


「な、何を言ってる? 『人間』はアダムだけだろう?!」


「じっくりお前を飲み込んでやる。ここにいる人間の養分を吸い尽くして!! お前は本当に愚か者だな!? エドワード・ジョンソン!!」




 黒い球体がエドワードの左腕に収束して行くのを、ブルックは身動き一つ取れず眺めていた。


「「クハハハッ!! この世界は『俺』の物になる!!」」


 エドワードの声と図太い声が重なり合う。


(どうする……?)


 ブルックは思考を開始しようとするが、何をどう対処すればいいのかわからない。ただ黒い霧を纏ったエドワードの左腕を眺め、自分の死期を悟った。


「ブルック! お前、なかなかいい奴だな? お前みたいな奴は嫌いじゃないぞ? 頑張れ! お前のスキル『不屈』はこのパーティーの要だろ?」


 懐かしいアダムの声が聞こえた。ブルックは何故だか、少し泣きそうになってしまった。

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