第7話 リヴィング・イット・アップ
僕は、学校が始まってからも、アルバイトは土日を中心に平日の夕方にも積極的に出て、日々の交際費はもとより、自動車免許取得費用をコツコツと貯めていた。そんな大学生活が軌道に乗り始めた6月も終わり頃だったろうか。学校の女の子が、突然僕のアルバイト先に訪ねて来たのだった。
その日は確か日曜日の午後で、僕が倉庫で品出しの準備をしていると、社員の上野さんがやって来て、「タツヤ、売場の入口で女の子が待ってるぞ。」と言われた。
僕を訪ねてくる女の子なんて、一体誰だろう?…と、ちょっと期待もしつつ、全く想像もつかないまま売場に行ってキョロキョロあたりを探していると、後ろから「たっちゃん。」と声を掛けられた。振り向くと、大学の同級生だった。
彼女の名前は白井里美。出身は静岡の富士の方で、大学入学を機に東京に出てきて、下高井戸のアパートで下宿している子だった。
初めて彼女と話したのは4月の初め、クラスの懇親会だった。彼女は身長が僕と変わらないくらい、女性の中では大柄のスラっとした感じであったが、長い髪の毛を頭の両側でイチゴの飾りがついたゴムバンドで束ね、可愛らしい提灯袖のブラウスにフリルのついた花柄のスカート…というような、少女のような雰囲気の子だった。大人っぽく派手な女の子が多い大学の中で、彼女はいかにも地方から出てきた感じのする、大人しい素朴な子であった。その頃はまだ入学したてで、女子恐怖症が残っていた僕にとって、ある意味彼女はとても話しやすい、ホッとする子だった。
「あれ?さとみちゃん、どうしたの?ビックリした~。」
「ちょっと八王子に用事があって、たっちゃんがいるかな…と思って寄ってみた。忙しいのにごめんネ。今、大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。来てくれてありがとう〜。よくわかったネ。」
「駅のすぐそばって聞いてたから、行けばすぐわかるかな〜と思って。あの…、コレ、よかったら食べて。大したものじゃないけど…」
言われてみれば、懇親会の後も、キャンパス内のカフェや学食で、何回か一緒になる機会があり、僕はバイト先のことも彼女に話していた。
彼女は、手帳サイズくらいの、可愛らしい花柄の紙袋を僕に差し出した。
「え〜っ、いいの?ありがとう!」
中には手作りと思われるクッキーが入っていた。
「美味しいかどうかわからないけど…」
彼女はとても恥ずかしそうに、小さな声で言った。僕は彼女が緊張しているように見えて、可哀想に思い、できるだけ明るく
「ウレシイ〜!いただきます!ホント、ありがとう〜。」と言った。
「じゃ、またね。お仕事の邪魔してごめんなさい。」
「いえいえ、こちらこそ、来てくれてありがとう!帰り、気をつけてネ。」
僕らは互いに手を振って別れた。
彼女が帰った後、僕は、コレはどういうことだろうか…と、考え込んでしまった。袋の中には、特にメッセージは入っていなかった。彼女が言う通り、八王子に行ったついでに寄ってくれただけなのか。でもクッキーは手作りだった。いや、手作りだからどうしたっていうんだ?
確かに懇親会以降、会えば挨拶したり、声をかけたりはしていた。彼女は初めて家族と離れ一人で、しかも東京での生活が始まり、友達もいない中で、とても不安そうな顔をしているようにも見えた。歳も僕と同じだったからなのか、僕ら6人の中でも、彼女は僕と話すことが多かった。
でも、ひょっとしてこれは、まさか…
僕の中で、中学時代の悪夢が蘇ってきた。
僕は彼女に対して、特別な感情を持ったことは無かった。しかし、もしかしたら、彼女にバイトの話をする中で、「駅のすぐそばだから、いつでも遊びに来て〜」くらいのことは言ったかもしれない…。イヤ、言ったな。多分…
それで彼女に誤解されてしまったのかな?そうだとしたら、どうすれば?…
イヤ、単に近くまで来たから寄っただけだよ。ラブレターが入っていたわけでもないのに、オレは何をうぬぼれているんだ。それより、もらいっぱなしは良くないから、何かお返ししなきゃ。何がいいだろうか。あまり高価過ぎても、彼女に気を遣わせてはいけないし、かといってショボいものではカッコ悪いし…
ちょうどその日、お店の販促キャンペーンプレゼントで配っていた花火セットを、大山チーフが「タツヤ、これ余ったから持って帰れ。」と、僕に一つくれたのだった。キャンペーンプレゼントと言っても、家族で楽しめるような、結構ちゃんとした花火セットだった。
「よし、コレをさとみちゃんに上げよう。」
わざわざ何か買うのも、大袈裟なような気がしたし、モノはちゃんとしているけれど、お店のキャンペーンの余り物なら、彼女も気を遣わないだろう。
彼女と同じ授業に出る日に、僕はその花火セットを持って行き、彼女に渡した。
「さとみちゃん、コレ、この前のクッキーのお礼。お店のキャンペーンプレゼントの余りだけど…」
「わ~、スゴイ!~いいの?こんなに…」
「うううん、お店でもらったやつだから、全然気にしないで。こちらこそ、わざわざ寄ってくれて、ありがとう。クッキー、美味しかった。」
「ほんとに~?良かった。花火なんて、なんか懐かしい~ありがとう!そうだ、たっちゃん、よかったら一緒に花火しようよ。」
僕は、突然そういう風に言われて、何も考えることができずに
「ああ~いいけど…オレと一緒でいいの?」
「うん、だって私一人で花火やってもつまらないから…たっちゃん、迷惑?…」
「あ、いやいや、全然迷惑じゃないよ。」
「じゃあ、今日は?もう夕方だし、バイトは無いんでしょ?どこかでご飯食べて、その後やろうよ。」
たしかに、もう夕方4時過ぎだった。でも冷静に考えれば、別にバイトが無くても、今日は用事がある…とか、いくらでも断ることができたはずだった。しかし、その時の僕は上手く嘘をついて断ることができなかったのだ。その気も無いのに無理して付き合い続けて、彼女が本気になってしまった頃に、自分の気持ちが破綻してしまうことの方が、より深く彼女のことを傷つけてしまうのに…
その時の僕は、彼女の誘いを断った時に、彼女が目の前で悲しむ顔を見たくなかっただけなのだ。その気まずい雰囲気が怖かっただけなのだ。つまり卑怯者だった。中学の時に自分の配慮の無さから女の子を傷つけ、泣かせてしまったことが、まだ自分の中でトラウマとなっていたのだ。
いや、一体何をオレは悩んでるんだ。普通に友達として付き合えばいいんだよ。別に彼女から何か言われたわけでもないし…
結局、僕たちは一緒に夕飯を食べてから、彼女の家の近くに小さな公園があるので、そこで花火をしようということになった。夕飯は、下高井戸駅の近くのイタリアンレストランに行った。レストランではちょうど僕が買ったばかりだったリッキー・リー・ジョーンズのニューアルバム「パイレーツ」が店内で流れていて、僕は思わず、
「あ、この曲、オレ買ったばかりのリッキー・リー・ジョーンズだよ~。すごいイイんだよ、このアルバム。」
ちょうど1曲目の「ウイ・ビロング・トゥギャザー」のイントロ、静かなピアノから、いきなりスティーブ・ガッドのド迫力のドラムが入ってきたところで、
「オレ、このドラムの人、大好きなんだ~」というと、彼女は
「全然知らない人だけど、歌ってる女の人の声、可愛らしいネ。」と言った。
僕は、好きな音楽が流れているお店でよかったと思い、さとみちゃんとの時間を素直に楽しもうと思った。
残念ながら彼女の話は特に僕の興味を引くようなことも無く、互に共通するような話題もほとんど無かった。会話が途切れる中で、リッキーの寂しげな歌声が二人の間にむなしく響いた。僕は、なんだかいたたまれない気持ちになって
「花火やりに行こうか。」と言った。
下高井戸の駅から、甲州街道を渡って、少し歩いたところに小さな公園があった。ブランコ、鉄棒、シーソウ、砂場と滑り台、ジャングルジムといった、基本的な設備があるだけの普通の公園だった。公園には誰もいなかった。甲州街道の車の音がかすかに聞こえるが、公園の中はとても静かで、風も無く、暑くも無く、とても気持ちよかった。
僕たちはベンチに座って、花火を出して、僕の100円ライターで一本ずつ火を着けた。
「わ~、キレイ!」
彼女は、花火が光るたびに喜んだ。花火が照らす彼女の笑顔を見ていると、少しホッとした。
「ねえ、楽しんでるの?
ああ、そうさ、楽しんでるよ
ねえ、楽しくやりましょうよ
ああ、そうとも、楽しくやってるよ
楽しくなきゃ嘘よ
ああ、そうだよ、楽しんでるさ…」
リッキー・リー・ジョーンズの「リヴィング・イット・アップ」の寂しげなリフレインが僕のアタマの中でずっと繰り返されていた…
花火が無くなると、彼女が
「あ~、終わっちゃった…」
と、寂しそうに呟いた。僕も、
「終わっちゃったネ。」
と、言った後、その後の静寂が怖くなり、
「さ、じゃ、帰ろうか。」と明るく言った。
彼女も、笑顔で
「うん!」
と言った。
そして、「じゃ、また学校で」と言いながら、互いに手を振って別れた。
僕はなんだか怖くて、彼女の方を振り返れなかった。
その後、彼女が僕に話しかけてくることは無かった。
結局、僕は中学時代から何も変わっていない、何も成長していない気がした。
オレはいったい何をやってるんだろう。
ろくに学校も行かずに一生懸命バイトに精出して
友達と飲みに行って、バカ騒ぎして。
こんな大学生活に憧れていたんだろうか。
楽しいのか?
中途半端…
中途半端な優しさで
中途半端に付き合って
相手を傷つけて
自分も不愉快になって…
大学に入って3か月。
いつの間にか僕は、将来はおろか日々の生き方を見失い始めていた。
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