第5話 ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス

 鎌倉で合コン話が盛り上がった頃、ちょうどクラス内でも懇親会をやる事になった。その頃には既に新入生を対象にした山中湖での校外教育という一泊だけの小旅行があったり、日々の授業などを通じて、みんなある程度は仲良くなっていたが、基本的には、あくまで学校で会った時に話しをする程度の付き合いだった。

 当然クラスの中では、僕らと同じように気の合う者同士でグループが出来たり、グループに属さず、ある程度距離を置きながら、みんなと上手に付き合う者、逆に一匹オオカミのように誰とも関わろうとしない者など、いろいろなタイプがいた。


 当時の僕は、本来は人見知りであるにも関わらず、つまらなかった高校生活の反省から、大学では出来るだけ積極的に人と接していこうと思っていた。とにかく「学生生活を楽しみたい!」の一点だけで、無理やりにでも今までの自分を変えようと必死だった。だから、バイト先の嫌な上司のシゴキも「これは、大学生活をエンジョイする資金を稼ぐための試練だ」と思って耐えた。そういう意味ではすごく「前向き」だった。

 僕の頭の中は、「就職してしまうと、もう朝から晩まで仕事に追われて自由が無くなる。自由でいられるのは学生の間だけなんだ。だから学生のうちにできることをやろう。」という思いで一杯だった。

 そう思ってしまったのは、ずっと親父を見てきたからかもしれない。親父は昭和8年生まれで、まさに戦後の所謂高度経済成長を支えて来たサラリーマンの中心世代であり、毎日朝早くから夜遅くまで働き詰めであった。それは当時のサラリーマンでは普通の事だったし、僕も子供ながらにサラリーマンはそういうものだと思っていた。そして僕は勉強でもスポーツでも音楽でも、何一つコレといった特技が無く、全て中途半端であり、せめて普通のサラリーマンになれるように頑張るしか無いと思っていた。

 だから、せめて最後の学生時代である大学四年間は、自由にやりたいことをやりたい…と思っていたのだ。

 そして、その「やりたい事」とは、本来「勉強する事」であるべきなのに、僕の場合は「遊ぶ事」だったのだ。

 要はすごくレベルの低い「後ろ向き」な学生であった。

 本来は幸せな将来につなげるための勉学に励むべきだったのに…イヤ、その前に将来自分はこうなりたい…というヴィジョンを真剣に考えるべきだったのだ。

 僕は自分の将来について、何の夢も希望も持っていなかった。愚かだったナ。本当に愚か者だった。

 とりあえず… 

 いつもそう。とりあえずだ。

 とりあえず、今は大学生活を楽しもう!

 それだけだった。


 渋谷で行われた大学の懇親会では、レストランの狭い会場に大人数が入って、何が何だかよくわからない感じであったが、久しぶりにたくさんの同年代女子と自然に話しをすることが出来て、三年間の男子校生活で女子恐怖症になりかけていた僕にとっては、いいリハビリになった。その中でさすがのエイちゃんが、きっちりと河東さんと香川さんを二次会に誘う事に成功した。あとマー坊がモモマコ、デカマコを誘ったり、かっちゃんも僕が知らない女子何人かに声かけているようだったが、結果的には、女子で来ることになったのは、河東さんと香川さんだけだった。


 二次会は当時ブームになり始めていた所謂「カフェバー」だった。おそらく女子二人の意見で決まったのだろう。「カフェバー」は僕がイメージしていたバーと違い、店内は明るく、カジュアルな南国リゾートのような雰囲気で、インテリアもオシャレ。客層も若い人ばかりだった。

 店に着いた時、店内のBGMは当時アメリカのヒットチャートでもジワジワとチャート上昇中だったグローバー・ワシントンJR.の「Just The To Of Us」が流れ、お店の雰囲気によく合って、とても心地良く感じた。

 呟くようなビル・ウィザースのヴォーカルとグローバー・ワシントン・ジュニアのさりげないサックス。ギターもエレクトリックピアノもパーカッションもけして前面には出てこないのに、それぞれの音が何故か印象に残る。みんなが控え目に、遠慮というよりも全体のハーモニー、お互いのバランスを気遣いながら演奏している感じがとても大人でカッコイイ。僕もそういう大人になりたいナ…と思った。

 こういう曲は、高校生が部屋のラジオで聴いていても、絶対良さがわからないだろうなぁ…と思った。やっぱりお酒を飲むようになって、生活感の無いオシャレな空間で、勿論「いい音」で聴かないと…


 河東さんも香川さんも歳は僕と同じだった。河東さんは、短めのソバージュにした髪に切れ長の目をした、大人しくて見た目は冷めた印象の子だった。僕はてっきり年上だと思っていたので、同い年だと聞いてビックリした。一方香川さんはボブヘアにパッチリした目、なるほどボインちゃんでメイクやファッションも派手な印象。対照的な二人だが、二人ともオシャレで、いかにもエイちゃんが目を付けそうな、ファッション雑誌に出てきそうな女の子だった。

 話してみると、意外に二人ともとても感じのいい、話しやすい子だった。僕は人見知りの性格と、彼女たちのような大人っぽい子は、ハナから僕のようなガキは相手にしてくれないだろうな…と勝手に思い込んでいたので、ずっと自分から話しかけることができないでいた。ところがこの日は、彼女たちの方から自然に話しかけてくれたので、すぐ打ち解けることができた。


 僕ら五人組の中ではエイちゃんとかっちゃんが進行役、マー坊がボケ役、ヤスシと僕は状況を見ながら話すような感じであった。

 僕はこの頃、何だかんだ言っても、やはり年長の三人はしっかりしているな~と思って、初めは黙って見ていた。

 でも待てよ…河東さんも香川さんも僕と同い年じゃないか。オシャレで大人っぽく見えるけど、要は普通の大学生じゃないか。エイちゃんやかっちゃん、マー坊だって、二つ年上かもしれないけど今は同級生じゃないか。やっぱり自然体でいいんだよな…

 この頃はいつも、そんな自問自答を繰り返していた。


 「Just the two of us

 We can make it if we try

 Just the two of us…


 僕らふたりだけで 

 僕らならやればできるよ

 僕らふたりだけで…」


 僕の頭の中で、ビル・ウィザースの声がしつこく回っていた。

 そうだよ、やればできるんだよ。やらなければ、何だってできない。

 みんなと一緒にいるうちに、僕の女子恐怖症も徐々に無くなっていった。


 しばらくすると、誰が言い出したのか、みんなでディスコに行こうということになった。僕はディスコに行くのも初めてだった。

 そのディスコは、二次会の店のすぐ近くにあった。店内は映画サタデーナイトフィーバーから僕が想像していたディスコのイメージより、こじんまりとした狭い印象であった。中央にダンスホールがあり、その周りを囲むようにテーブル席があった。店内は混雑していて、大音量の音楽に点滅する色とりどりのスポットライトやミラーボールの光がぐるぐる回っていて混沌としていた。僕は勿論踊ったことなど無かったが、周りの客たちの見様見真似で踊っていると、とても爽快な気分になれた。踊り疲れてテーブル席に戻ると、河東さんが既に休んでいた。

 「はあ〜疲れた〜。でも気持ちいいネ〜」

 僕は自分でも不思議なくらい自然に彼女に声をかけてしまった。

 「うん、ホント。楽しい〜」

 「河東さんはディスコとか、よく行くの?」

 「ううん、初めてだよ〜。たっちゃんは?」

 「オレも、初めてだよ。」

 「えーっ?ホントに?でも、フツーに踊ってたから…よく来てるのかと思った。」

 「えー?テキトーだよ〜。」

 僕は恥ずかしくなった。たぶんお世辞だろう。


 ちょうどその時、ドゥービー・ブラザースの「ロング・トレイン・ランニン」が大音響でいきなり流れ出した。あのお馴染みのギターのイントロがまるでフロアを切り裂くように入ってきて、僕は思わず

 「おおっ!ドゥービーじゃん!カッコイイ!」と叫んでしまった。

 すると河東さんも

 「私もコレ大好き〜!たっちゃん、踊ろ~!」

と立ち上がり、僕の手を引いて、ホールに向かって走り出した。

 僕は驚きつつも嬉しくなり、彼女と向き合って無我夢中で踊った。

 …と、その時、突然僕のズボンのベルトが切れてしまった。

 僕は踊りながら、少しづつずり落ちるジーンズを持ち上げ、しばらく踊っているとまた徐々に下がってくるので、また持ち上げつつ踊り続けていると、なんとDJが

 「ヘイ!ボーイ!ズボンを上げながら踊るのは止めようぜ〜」

 と、マイクで言って来たのだった。

 僕は、こんなにたくさんの人が踊っているのに、よく見てるな〜と驚きつつも、せっかく人が気分良く踊っているのに、なんだか冷水を浴びせられた気がして、腹が立って来た。


 「みんな思い思いに身体を動かしてるんだ。ほっとけよ!」

 僕はその場でDJブースを睨みつけた。DJはよくありがちな黒いサングラスに汚い無精髭を生やし野球帽をかぶったパッとしない男だった。

 僕は両手を広げ肩をすくめ、首を傾げてWhy?という仕草をして、

 「しらけるんだよ!馬鹿野郎!」と怒鳴りつけ、そのまま店を出た。


 …というような度胸が僕にあるわけも無く、DJに言われた瞬間、河東さんに

 「クッソ〜、オレだよ〜。ベルトが切れちゃって…」

 と、頭をかいて苦笑いした。

 彼女は、

 「えー?たっちゃんの事だったの?大丈夫?」

と笑った。

 「仕方ない。退場だな…」

 僕は恥ずかしいのと、なんだかすっかり興ざめして、河東さんの顔もまともに見ることが出来ず、そのままテーブルに戻ると、かっちゃんが

 「たっちゃん、どうした?なんかいい雰囲気だったジャン。」と、声をかけて来た。

 「ズボンのベルトが切れた。あのDJのせいでシラケちゃったよ。ドゥービーかけたからセンスいいヤツだなと思ったんだけど…アハハ」と照れ笑いした。


 僕はみんなと別れてから、帰りの電車の中で、ディスコでのことをずっと考えていた。

 まあ、確かにズボン押さえながら踊るのもダサいよナ。ハタから見ると、自分が思っている以上にダサく見えたんだろう。河東さんだってそう思っていたのかもしれない。もし自分が河東さんの立場だったら、たとえダサいと思っても言えないよナ。そう考えると、DJは客観的に僕を見て冷静に判断し、極めて適切な対応をしてくれたのかもしれない。

 それに、ディスコでドゥービーの曲がかかるなんて。しかもあんなにカッコよく、見事にハマっていたなんて… 

 僕は勿論ドゥービーのレコードも持っているし、大好きなナンバーだから今まで何度も聴いてきた。でも、今日ディスコで大音量で聴いた「ロング・トレイン・ランニン」は、自分の部屋で聴くものとは全く別の、特に重低音がパワーアップしたバージョンのようにも聴こえた。僕は感動した。河東さんもおそらく感動して思わず立ち上がったのだと思う。そういう意味では、あのDJの選曲は客を躍らせる選曲だったのだ。

 僕はディスコ=ブラックミュージックだと、ずっと思い込んでいた。でも、考えてみれば、僕の好きなウエストコーストの爽やかなサウンドにも、踊れるようなカッコイイ曲はいろいろある。これは僕にとって新発見だった。そのことを、あのDJは、僕に気付かせてくれた。誰が決めたのかわからない既成のジャンル分けやイメージにとらわれずに、自分がどう感じるか…だ。そしてそれは音楽だけに限らないような気がした。


 かっちゃんたちと知り合ってからの僕は、どうも周りに流されてしまっているように、自分でも薄々感じていた。

 確かにエイちゃんやかっちゃんたちは、しっかりしていて頼りになるし、何でも彼ら任せにして、後に付いて行くのは楽だけど、自分では何も気づくことができないし、自分で新しい何かを見つけることもできない。いつも彼らの言いなりになって、それに甘えていては、自分では何もできない男になってしまう。

 どうも彼らと行動するようになってから、僕は依存症になっていたのかもしれない。女子恐怖症の次は年上依存症か?…


 懇親会から初カフェバーに初ディスコ。クラスのたくさんの人たちと接して、とても有意義な時間を過ごした。実際はただ遊んでお金を使っただけかもしれないし、本当に有意義だったかどうかは、勿論わからない。でも、少なくとも、僕自身がそう思えたのだから、とりあえずはそれでいいじゃないか。

 そう、とりあえずは…

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