アリス 3
私が夜に目を覚ます時、ほぼピーターは横にいない。
それは私たちに内緒で鍛錬をしていたり、外で灯りをつけて本を読んでいたりするからだ。
今日くらいは横に寝顔があると思っていたのに、いつもと変わらなかった。
「はぁ……」
ちょっと残念な気持ちもありつつ、私は浴場へと向かう。
流石に今の状態だとキスは無理。
眠たいままの目をこすりながら、歯を磨き、ちょうどいいからと服も脱いでシャワーを浴びた。
体の水滴を拭きつつ、鏡を見るとそこに映し出されているのは凹凸の無い体と幼くなった私の顔。
この頃の私はあんまり思い出したくない。
それでもあの時にはこうするしかなかった。
身体を小さくしてでも逃げないと、本当に死にかねなかった。
そんな事を思いながら、ふと自分のお腹に視線を移すがそこには“傷一つない肌”があった。
「お腹、貫かれてたはずなんですよね」
ぼそりと口から出たのは抗いようのない事実。
悪魔の森で確かに私はミノタウロスの爪で貫かれた。
全身から血の抜ける感覚も、死が近づいてくる恐怖も、空虚になったお腹の穴でさえ私は覚えている。
だけど、私のお腹にその大怪我の痕はまったく残っていない。
これはどんな回復魔術でもあり得ない事だ。
傷口を治療するならともかく、最善の状態に戻すなんて魔術は見たことがない。
回復魔術と称していても所詮は既存治療の延長でしかない。
だから、出来ない事は出来ないはず……。
得体の知れない人間。
理解のできない人間。
魔術を修めたと勘違いしていた私でさえ、あの人の足元にも及ばなかった。
そんな事を思いながら、濡れた髪をフワフワのタオルで優しく拭う。
寝間着を着たりだとか全部終わる事にはすっかり頭が冴えてしまい、ベッドにダイブしてもスッと眠気は降りてこない。
「ピーター」
好きな人の名前を口に出すと、わかりやすく心がトクンと跳ねた。
もう十分なほどに自覚している。
私はああいう男に惚れたんだ。
最初は強い者に惹かれる想いから来た勘違いだと思っていた。
なんせピーターはパッと見は強くなさそうに見えるし、実際に戦っている姿を見てもパッとしない。
軽口は叩くし、失礼な言動は多いし、初対面のはずの私をいつもからかっていた。
悪魔の森を抜けた後はそれらが顕著になって、徐々に私の中に芽生えたと思っていた感情は枯れていった。
明確に変わったのはあの兄弟との戦闘後。
助けてくれた事とか関係なく、ピーターを本気で失いたくないと思った。
この人と一緒にいられるならあの場で死んでもいいと思ってしまった。
「知りたい。知りたい。知りたい」
ピーターの事を知りたい。
昔の事とか。
好きなモノとか。
嫌いなモノとか。
好みの女性のタイプだとか……。
枕に顔を埋めて何度も何度も欲望を口に出す。
「ずっと触れていたい。ずっと一緒にいたい。ずっとそばで笑ってたい」
デートの時に握っていた手の感触が好きだ。
優しく握りしめ、それでも離れない様にしてくれていた優しさが好きだ。
頼りになるのに、厚かましく恩を着せてくるところが好きだ。
追いつきたくなるほどの圧倒的な強さが好きだ。
馬鹿みたいなことばかり言って、大切な事をはぐらかすところが嫌いだ。
「あの人、絶対に私の気持ち……気づいてるんですよね?」
そんな確信めいたカンに突き動かされ、私は妄想を広げる。
何もかも……自分のやるべきことに片がついたら、本気で誘ってみよう。
魔族領に行こうだとか。
一緒の家に住もうだとか。
同じベッドで向かい合って寝ようだとか。
その……後の事も……。
「あぁ、もう!エロ娘とか……否定できなくなっちゃったじゃないですか」
そこでハッと嫌な事を想像してしまう。
「もし……この姿の方が好きとか言われたらどうしよう」
子供には興味ないって言ってるし、実際私を見る時の視線にイヤらしさなんて欠片もない。
ドキッとした表情を見せたのはさっきのお酒を飲んだ時だけだ。
「今は薬で小さくなってますけど……」
これは少し攻勢に出る必要がある。
ピーターの好みをちゃんと把握して、キチンと対処方法を考えないとしかるべき時に動けない。
とは言ってもあの人の場合、道行く女性に目を奪われるという事もなかった気がする。
そもそも女性に興味なかったらどうしよう……。
いや、少女然としたティリスや筋肉質のマットに向ける視線にもイヤらしさなんて感じなかった。
そんな事をモヤモヤと考え、うだうだと悩んでいる間に私の意識は夢の中へと落ちていった。
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