第14話 葛藤と苦悩


「おはよう」

「あ、ああ……おはよう」

「? どうしたんだい?」


 朝。

 普段通りなティナに戸惑いながら、俺も平静を装う。

 ショックな出来事ではあったが、二人の恋愛事情に口を出す権利は俺にない。


 むしろ、今になってティナへの気持ちを自覚した俺が愚かなのだ。

 ナーシャを想いながらティナへも恋慕していたなんて、自分の愚かしさには反吐が出る。


「何でもないんだ。すまない」

「また何か悩んでるね?」


 心配げなティナの顔に、喉まで言葉が出かかる。

 ……が、俺はそれをすんでのところで飲み込むことに成功した。


「いや、問題ない。『水の試練』で手に入れた魔法がまだうまく使えなくてな。少しナーバスになっているんだ」

「魔法は慣れだよ。たくさん使って、自分の力にしていくしかないさ」


 咄嗟に出た誤魔化しの言葉は意外と答えになっていたようで、ティナは納得した様子でアドバイスを口にする。

 こうしていると、いつも通りのティナだ。

 やはり、ことさらアシュレイとのことを尋ねるのはやめておこう。

 そう考えて思い直して出立の準備を二人で進めていると、髪を湿らせたリズとナーシャが温泉から戻ってきた。


「ただいまなのです!」

「お待たせ」

「おかえり、二人とも。ゆっくりできたか?」


 俺の言葉に、うなずく二人。


「準備を任せちゃってごめんね」

「いいさ」


 二人は、出発前に湯あみに行きたいと言ったので、俺が準備を引き受けた。

 そう大した荷物ではないし、サルナーンは宿が少ない。

 過酷な旅に付き合わせているのだ、こういう要望はできるだけかなえてやりたい。

 もしかすると、アシュレイの地図にある温泉の記載は、そのために準備されたものなのだろうか。


「ティナはよかったのです?」

「ボクは、夜が明ける前に楽しませてもらったからね」


 ティナの言葉に心臓がちいさく跳ねて痛む。

 あの甘い声が残響のように耳の奥に甦って、背中を冷たくした。


「戻ったようだな。では、行くとしようか」


 立ちつく俺の背後から、黒騎士の声がかけられる。

 朝に聞いた生の男の声ではなく、鉄仮面にさえぎられた無機質な声だ。


「元気満タンなのです!」

「とても気持ちよかったです」

「それは結構なことだ。温泉が近くにある野営地もいくつかピックアップしてある。サルナーンを行く間は、できるだけ立ち寄るようにしよう」

「やったのです!」


 ご機嫌な様子で馬車に乗り込むリズ。

 その後ろに、ティナとナーシャ続く。


「なあ、アシュレイ……」

「どうした、勇者殿」


 声をかけたものの、何を伝えるかわからなくなってしまった。


 ──「ティナのことをよろしく」


 ──「お楽しみだったな」


 ──「どういうつもりだ」


 いずれも、違う。

 どれも俺が言うべき言葉ではない。

 つまり、俺が言えることなど何もありはしないのだ。


「いや、何でもない。今日もよろしく頼むよ」

「ああ、任された。何かあれば声をかけてくれ」


 そう告げて御者台へ去る黒騎士の背を見送って、俺は心の中で自嘲する。


(……何を言うつもりだったんだ、俺は)


 ティナが自分のものだなんて思っていない。

 いや、そうであればよかったなどと思ってはいた。

 俺に甘い彼女に、何もかも委ねてしまいたいと。


 ……もしナーシャが俺を拒んでも、ティナがいる。


 そんなクズのようなことを考えていたのだ。

 世界を救う勇者などに選ばれたところで、俺の性根というのはどうも腐っているらしい。

 『試練』は俺に勇者の力を与えてくれるが、その力をふるう者がこんなことでいいのだろうか?


「ヨシュア、行くよー」


 馬車の中からかけられたナーシャの声に、はっとして俺はうなずく。

 考えても詮無いことだ。かの英雄がごとき誇り高い黒騎士は勇者でなく、紋章を神より与えられたのは俺なのだから。


 そう思いなおした俺は、仲間の待つ馬車へ飛び乗った。



 サルナーン地方の旅は、これまでよりもなかなか厳しいものとなった。

 俺たちが動きやすということは、魔物にとっても動きやすいということであり、これまでの道中にないほどの襲撃に遭遇した。


 しかし、これは俺たちにとって必要なことだったようにも思う。


 いまだ本調子とは言えないアシュレイに代わって、戦闘での比重は俺たちに傾く。

 これまでずっと守られていた俺たちにとって、これはいい実戦経験となった。


「よし、終わったぞ」


 剣についた血を払って、振り返ればそこには魔物の死骸の山。


 勇者として戦う。

 課せられた使命に没頭することで、俺は悩みを遠ざけた。

 これをしたところで何も解決しないとは理解しながらも、目の前に解決可能な課題があれば、気晴らしにもなる。


「ヨシュア。かなりできるようになったな」

「これくらいは、俺だってやってみせる」

「だが、突っ込みすぎだ。次からは仲間との連携も考えたほうがいい」


 見れば、俺は仲間たちから随分と離れてしまっていた。

 そのカバーをしてくれていたのは、アシュレイだ。


「……悪い」

「責めてはいない。君のそれは伸び代だ」


 大人の対応をするアシュレイに、心の中で舌打ちをする。

 どうやっても、勝てない。そう思ってしまうと、吹き飛ばしたもやもやがまた心に戻ってきてしまうのだ。


「ヨシュア。時間はないが、焦らないでいい」

「……?」


 珍しく俺の名を呼んだアシュレイに、少し戸惑う。


「君は、きっと最優の勇者になれる」

「ああ、善処するよ」


 アシュレイの励ましに少し驚きながら、俺はこの黒騎士の真意はなんなのか……と、再び思考の渦にとらわれてしまうのだった。

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