第255話 SS 新春地獄界域”福袋売場”
「あっけおめぇ!!!」
朝目が覚め、リビングへ行くと、既に起きていたネムが元気よくそう挨拶してきた。
「あ、あけおめ?」
「うん! ことよろ!」
「ん? ことよろ?」
そんなやり取りをした後、ネムは嬉しそうな顔でこちらへ駆けてきた。そして俺の目の前で止まると両手を皿のようにして出してくる。ふむ、これは何だろうか。そう思いその手に自分の手を重ねた。
「ちょ、違うよ! 分かるでしょ!?」
「え? ああ、お手って事か」
「ちっがーう!!」
そういうと俺の手を叩く。朝から何だというのだ。そもそもさっきの謎の言葉は……いやどこかで聞いたことがあるような気も。
「もう! お正月なんだからこの家の家長である礼土はアタシに対してアレを渡す義務があるでしょ?」
「アレ?」
「そ、ほらこれよこれ」
そういうとネムはニヤっと笑いながら親指と人差し指で輪っかを作り始めた。まさかこの女……。
「玉を寄越せと?」
「分かってるじゃん。ね、ちょーだい!」
そしてまた手を皿のようにして出してきた。珍しく朝から部屋の外にいると思ったらこのためだったか。とはいえ今手元に物はない。仕方あるまい。
「――待っていろ。用意してやる」
「お! 期待してるよ! これで限定引ける~♪」
嬉しそうに身体を回転させ赤く長い髪をなびかせながらネムは部屋へ戻っていった。嵐のような騒がしさと、それが去ったような静けさがリビングを包む。
「ってあれ、アーデがいない?」
いつもであれば、リビングで紅茶を飲んでいるアーデがいない。いやよく見ればテレビでアニメをガン見しているケスカもいないようだ。
「まあいいか。俺も出かけないとな」
一度自室へ戻り寝巻から私服へ着替える。そしてマンションから外へ出た。日本の冬は中々寒い。温度が寒いというよりビルの間を通る風が冷たいという感じだ。思わず魔力で身体を覆いたくなる。マンションから歩き目的地を目指す。時計を見れば時間は朝10時20分頃。問題なく開いているはずだ。口から吐く息の白さを感じながら歩く。
「ん、なんだありゃ……」
目的地へ着いた。着いたのだが……凄まじい人だかりだ。まるで群がる蟻のように一か所に集まっている。一目見ただけであそこに行く気力をそがれる。一体何をしているんだ? そう疑問に思いながらよくよく観察してみると『新春福袋2023』と書かれている。その福袋の奪い合いをしているようだ。
ある者は前の人物の襟を掴み、またある者は服を引っ張る者を張り倒し、ある者はまるで戦士の咆哮を上げている。
あれは地獄だろうか。いやというか寄りによって何で店の入り口であんな修羅場が?
「どうやら……心していく必要があるようだな」
俺はすぐに感じ取った。あそこは死地であると。油断したものから死ぬ戦場なのだ。冷たい空気を鼻から吸い込み、ゆっくりと吐く。
――行こう。
俺は歩き出す。目的地へたどり着くためにはあの戦場を超える必要があるのだ。
一歩踏み出す。先ほどまでの冷たい空気はもうそこにはない。ねっとりとしたべた付く空気、肌を刺すような殺気。俺は少しだけ魔力を纏い、さらに一歩踏み出した。
「ちょっと兄さん邪魔よッ!」
「ぬぅ!」
後ろから低い女性の声が響き、俺は咄嗟に横へ避ける。先ほどまで俺がいた場所に突如後ろから腕が伸びてきたのだ。あのままあそこへいたら間違いなく掴まれていただろう。だが俺の判断は甘かった。
「ちょっとこっちに来ないでよ、邪魔だったら!」
「くッ」
俺が横へ避けた影響で別のご婦人とぶつかってしまった。だが彼女は俺へ視線も向けず、ただ右の肘を的確に俺の顎を狙って攻撃を仕掛けてくる。俺はそれをギリギリの所で躱す。先ほどのように少しオーバーに躱すと別の被害が出るという事をこの時既に学んだからだ。しかし――。
「もうぼーっと突っ立ってないでよ、ほらどいて!」
「ちょっと、それは私が狙ってたのよ! 離しなさいッ!」
新たな伏兵。
「す、すみません。ちょっと店の方へ――」
「アンタ邪魔! 買わないならよそへ行って頂戴ッ!」
「いや、そうじゃなくて」
「うっさいわね!」
今度は鞄だ。腕を振るった軌道から少し後を追うように鞄が俺の顔へ飛んでくる。躱さなくては。
上体を逸らし、首をひねって躱す。だがそれは誤りだった。
「ちょ、そこのデカいあんちゃんどいてよ」
さらに後ろにいたご婦人が無理やり割りこもうとした結果、俺の膝の裏が何かにあたった。その結果、さらにバランスを崩してしまう。
(膝カックンだと? ばかな。この俺に!?)
だがこの程度で転倒するほど俺のバランス感覚は悪くない。こんな状況であろうとも冷静に考えろ。まずは周囲を把握する。どこにご婦人がいるのか、どのような攻撃をしてくるのかを。まずは撤退だ。別の入り口を探そう。ここは人のいていい場所ではない。
繰り出される拳を、鞄を、肘を躱し、周囲を見る。
そしてその様子に俺は心が悲鳴を上げる音を聞いた。
俺の周囲には20人を超えるご婦人に囲まれている。しかもどういう訳か、彼女たちの目的の物であろう福袋の近くへ不本意にも近づいており、出口から遠のいていた。かつて数千以上の魔物に囲まれていようとも、数百体の龍種に囲まれようとも決して挫けなかった俺ですら挫けてしまう程の絶望がそこにある。
狂気の目でただ一心にこちらへ迫るご婦人たち。周囲を見ても逃げ出せる場所は既にない。どうすればいい? どうすればここから、この地獄から逃げ出せる?
そう考えた時だ。周囲を眩い閃光が包んだ。
「礼土!」
「ッ!」
その声へ反応し、俺は即座に転移魔法を使う。周囲のご婦人たちが一瞬の閃光で目を瞑った瞬間、俺は近くの路地へ避難していた。
「はぁはぁ。なんだ……なんだあれは?」
壁に手を付き、先ほどの光景を必死に忘れようとしていた。
なんだあの地獄は。どこへ行ってもご婦人だらけ。どうしてあそこまで強気になれる? 普通見知らぬ人に殴ったり、掴んだりするか? そんな疑問が頭を埋め尽くしていると後ろから人の気配がした。
「――済まない。助かったよアーデ」
そこにはケスカを連れたアーデの姿であった。手にはいくつか大きな荷物を抱えている。
「なんであのような魔境にいたのですか?」
「店に入ろうとしただけだんだ。なんで入口であんな状況が……」
「なるほど。であれば店の方へは余計行かない方がいいでしょう。私も少し覗きましたが……アレと同じことが店の中全体で行われております」
「なに……馬鹿な! 自殺行為だ!」
「ええ。ですが事実です。驚きました日本人のタフさに。そして福袋の恐ろしさに……」
なんなんだ。そこまでしてほしい福袋って……一体中に何が……。
「ところで礼土はここで何を買おうと?」
「あ、ああ。ネムから玉を寄越せって言われたからな。ちょっと特大チョコボールを買おうかなって思って……」
あれコンビニで売ってないんだよなぁ。
「玉? なんですそれ」
「いや、こうやって指でな?」
俺はネムがやったように指を丸めた。するとそれを見たアーデは少し考え、口を開いた。
「礼土。恐らくお年玉です。ようするにお金が欲しいという事ですよ」
「金? なんでだ」
「それは――今日はお正月でしょう?」
ああ。そうか。色々バタバタしてたからあんまりその手の行事は意識してなかったけど、もう正月か。
「ああ。そうだ。礼土」
「なんだ?」
「明けましておめでとうございます」
「……ああ。明けましておめでとう、アーデ」
するとケスカが俺の服を引っ張っている。どうしたんだと思い視線を向けると、俺を見上げていたケスカが口を開く。
「あけおめ」
ああ。あけおめって略語だったんだ。
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明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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