第250話 恐慌禁死のかくれんぼ3

 一度心が折れたものは元に戻る事はない。



 立ち直る事はあるだろう。だが、それは決して元の形ではない。例えば針金が一本あったとする。それを折り曲げてから元に戻そうとする。だが元のまっすぐには戻れない。折れた部分が歪な形となり残ってしまう。

 では人の心はどうだろうか。針金のような物体ではない目に見えず、触れないもの。それが折れた時、果たして立ち直った心は同じなんだろうか。




 焼けるような痛み。



 それが自分の身体を襲ってくる。ふらふらと歩いて家に戻った時、父は酒を飲んで起きていた。こちらを見て最初に手に持っていたビール缶を投げてきた。その後、いくつかの罵声。そして頬の骨が焼けるように痛み、床に倒れる。そこから耳、頬、頭、背中、お腹、足と目に付く場所は大体殴られた。それをどこか俯瞰的な場所で見ていた。

 痛みはある。だがそれに対する恐怖心がなかった。ただ、「ああ、殴られてるな」と思う程度であった。でもそれもそこまでだ。息を切らせながら僕を殴る父は肩で息をしながら僕を見下ろし乾いた喉をアルコールで潤しながら言った。



「まったく、今日の躾はここまでにしてやる。――ああそうだ。お前バイトやってたよな。あそこ辞めろ」



 痛みに悶えながら、父が話す言葉がゆっくりと頭の中に入ってくる。辞めろって……まさかお化け屋敷のバイトの事だろうか。



「ちっと調べたがあそこは時給が安い。もっと時給の高いバイトがあんだからそこへいけ。このままじゃ飯代はおろか酒代もなくなっちまう」




 父の言っている意味が分からない。



「な、なんで辞めなきゃだめなの。父さんのお給料は……」

「うるせぇんだよぉ!!」

「ぐっ」



 手に持っていた折れたハンガーの僕の腕に差してくる。もう何カ所も刺されているため、血が斑点模様のように服に染みになっていた。




「何が君には失望しただ。俺の方があいつらに失望したぜ。こっちから願い下げだ!」



 そう叫ぶとまた何度も折れたハンガーで刺してくる。




「てめぇが稼いだ金だってもう10万もねぇんだ。今月は我慢してやるが来月はもっと金が要る!」

「……待って、どういう事……」

「うるせぇ!」


 顔を真っ赤にして僕の顔を蹴り上げた。意識が遠くなる。でもだめだ。父は今なんていった? 僕が稼いだ金だって?



「と、とうさん。お金ってまさか……僕の……」

「僕のじゃねぇよ、俺んだろうが。誰がお前を育てたと思ってんだ、あ˝? 金がかかってんだ。返して貰うのは当然だろうが」




 いつからだ。箪笥の引き出しの底に隠していたのに何でバレたんだ。視界が歪む。さっきまで身体の痛みでも泣かなかったのに、涙が溢れてくる。呼吸が荒くなり、床で蹲っていると父はそのまま寝室へ移動していった。




 なんでいつもこうなるんだろう。



 ――なんでだろうね。

 


 僕の何が悪いんだろう。




 ――君は悪くないよ。




 

 じゃあどうしてこうなるの。




 ――君が悪くないなら周りが悪いんじゃない。





 周りが悪いの。ならどうすればいいの。





 ――君はどうしたい?





 みんなと一緒になりたい。笑ったり泣いたり、怒ったりする友達がほしい。





 ――なら簡単だ。同じになろう。





 同じ?




 ――そう。君もみんなと同じ悪い子になればいいんじゃない。




 

 でも悪いことしたことないな。

 




 ――そういう時は親を見習えばいいんじゃない?





 「ああ。そうか。そうしよう」


 







 赤い。

 白いシーツは赤く染まり、異臭が漂っている。窓から刺す光が暗い室内を照らす。その朝日を見て僕は思った。


 


 「――バイト行かなきゃ」





 跨っていたモノから立ちあがる。いつもと同じように着替え始めた。帽子を被り、マスクをする。幸いマスクをすれば目立った汚れは隠せそうだ。手に着いたものは手袋をすれば隠せるだろう。




『アアアアアア』





 後ろから何か聞こえ振り返る。ああそうか。そっちも片付けないといけないんだ。












 

「あれ、端野。もうメイクしてきたの?」



 

 アルバイト先のお化け屋敷の更衣室で着替えていると幸田さんが話しかけてきた。



「はい。ネットで見て家でやってみました」

「その血とかすげぇリアルじゃん。気合入ってんね! 端野の顔も合わさってめっちゃこえぇわ」

「ええ。きっとお客様も喜んでくれますよね」



 僕は笑顔で幸田さんにそう言った。



「え……あ、ああ。まあ頑張って」

「はい」




 何故か分からないけど少し引き攣ったような顔で幸田さんは更衣室から出て行った。僕は着替えを終え、鞄から今回のために用意した道具を取り出す。さあ。準備は出来た。












 

 


 ――幸田正人 視点――







『おい。正人』

「あ、店長なんすか」

『さっき入った客が出てこない。迷子かもしんないし探して誘導だけかけといて』

「あ――了解です」

 


 またかと思った。偶にいるのだ。配布されたタブレットに制限時間が過ぎ、出口へ行くように誘導の画像が表示されても粘る客。今日はスタッフも少ない。徘徊スタッフは俺含めて5人。常駐している脅かし役は3人。モニターなどの管理を店長がしていて、受付は今日は1人のはず。だから受付とかのスタッフが少ない場合、こういったお客さんの誘導は比較的簡単に着替えられる徘徊スタッフが担当することがある。一々着替えるのは面倒だけど仕方ないと割り切り、急いで裏に行って被り物を外し、衣装の上からスタッフのTシャツを着る。そのまま中へ入り、耳につけているワイヤレスイヤホンに向かって話しかけた。



「店長。お客さんの場所どこですか?」

『監視カメラで見た感じだと霊安室エリアの近くだな。歩いてる客がいる』

「俺に連絡が来たって事はその辺ですもんね。了解ですっと」




 暗いフロアを足元の間接照明を頼りに走る。道は複雑だが慣れているため迷う事はない。そのまま幾つかの部屋を抜けて、階段を降り地下へ。通路を複雑化させるために廊下は色んな病院の道具を置いてあるため、基本的な移動は各部屋を通る必要がある。

 複雑な道だが決して迷路のようになっているわけじゃない。だからすぐ見つかると思っていたんだけど――。




「あれ、店長。霊安室エリアに来ましたけどいませんよ」

『は? 何言ってんだ。こっちのモニターだとずっとそこに立ってるぞ。っていうか正人お前こそどこにいんの? カメラに映ってないけど』

「は? なんすかそれ」



 そういうと俺は天井の隅に設置されているカメラを見る。



「今カメラに向かって手を振ってますが」

『は? 霊安室エリアだよな?』

「はい。すぐそこの扉をあければ端野がいる場所ですよ」

『あれ? 故障か? ちょっと端野にも聞いてみてくんね? なんか他のスタッフとも連絡取れないし俺も現場行くわ』

「わかりました」



 何かトラブルが起きているらしい。こういうのは初めてだ。機材的な問題だろうか。そう思い霊安室の扉を開けた。




 薄緑色のライトに照らされた霊安室。遺体が安置されているこの場所にはシーツで隠された死体がいくつも置いてある。もちろんダミーなのだが、その中に端野が隠れており、お客さんがこの部屋に入り、少し進むと起き上がるという仕組みだ。単純だが端野の容姿も相まってこれがなかなか怖い。



「おい、端野。ちっと聞きたい事があんだけどさ」




 返事がない。




「おい、端野? 便所にでも行ったんか」




 そう思って中へ進むと突如暗闇に変わった。一瞬何が起きたのか分からず心臓が飛び跳ねるように鼓動する。



「は? 停電? おい! 端野ォ! てめぇの仕業か!!」



 というか犯人は端野しかありえない。どうやったのか知らないが俺を脅かそうとしているんだ。




「てめぇふざけてる場合じゃねぇんだよ。さっさと出てこい。聞きたい事が――」




 そう言った瞬間、照明が付いた。思わず目を閉じてしまい、ゆっくりと開く。




「――は?」





 安置されていた死体を覆っている布が床に落ちていた。そしてそこには……。






 

 顔を何かでズタズタにされた真っ赤な3つの死体があった。むせ返る血の匂いに思わず吐き気が出る。




 間違いない。あの服は同じ徘徊スタッフだった佐藤、田中、木村だ。



 

「あ、ああ、ああああ」




 口から洩れる声。ズボンが濡れる感覚を感じながら俺は必死に霊安室の外へ出ようとしてその扉が閉まっていることに気付いた。俺は閉めてない! 開けたままにしたはずなのに。



 急いで扉をあけようと取っ手に力を込めるが開かない。おかしい、ここに鍵なんてないはずなのに!



「くそ、くそくそくそくそ! さっさと開けっての!!!」




 心臓の鼓動がどんどん早くなる。本能で分かるここにいちゃまずい。どうやっても開かない扉に俺は拳を握り何度も叩く。鈍い音が何度も響くが壊れる気配もしない。




「くっそ! なんなんだよ!! 俺のしょぼい霊能力じゃ扉を壊せねぇし糞!!」




 思いっきり扉を蹴ってみたが同様だった。次にイヤホンに向かって声をかけた。



「店長! 店長聞こえてますか!? 聞こえてますよね!? なんか閉じ込められてて、いやっていうか死体みたいなのが!!」



 必死に叫ぶ。でも何の反応もない。さっきまで確かに通話出来てたはずなのにおかしい。混乱する頭、滝のように流れる汗。この異常事態ともいえる状況が理解できずただ現実として脳が受け入れる事を拒否している。




 ポタ。





「――は?」




 何か音がした。すぐ真下からだ。ゆっくり下を見る。





 ポタポタポタ。





 赤黒いどろっとしたものが床に落ちている。思わず天井を見る。でもそこに何もない。





 ポタ。




 また落ちた。一体どこからこの赤い血のようなものが落ちてるんだと思い、目の前の霊安室の扉に反射する自分の顔を見た。





「……なんなんだよ。これ――」




 そこには刃物で切り刻まれたような傷だらけの自分の顔があった。瞼も落ちそうになり、鼻がなく、唇も千切れかけている。露出した歯茎から色々な液体がどんどん流れていき、それが床へ落ちている。




 ゆっくりと顔に触れる。その瞬間、忘れていたかのように激しい痛みが顔を襲った。





「あ――あああああああああッ!!!!!」




 



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