第218話 ファマトラ・インフェルノ

 白い髪をした褐色の少年が平野を歩く。眩い太陽に照らされ、手にはスケッチブックを持っていた。そのままいつものお気に入りの場所まで移動する。そこは小さいが決して子供が入るような場所ではない山。そのまま歩みを止めず少年は歩く。そして慎重に周りを見渡し探していたものを発見した。



「見つけた」



 そこにいたのは4つ足の小さなウサギ。頭に小さな角があり、可愛らしい見た目とは裏腹に獲物を見つけたらその角を伸ばし、突進してくる。だが幸いにもこの角ウサギは視力が弱く、大きな音にさえ注意していれば基本は大人しい魔物だ。



 白い髪の少年は嬉しそうに笑い、近くの茂みに隠れスケッチを始める。




【なんだ、これは……どうなっているんだ? 僕は過去の記憶を見ている?】




 少年は夢中でスケッチをしている。目の前の魔物の一瞬の挙動を見逃すまいと、その毛皮の中にある筋肉や骨、血管の位置などを想像し瞬きも忘れ夢中になっていた。



【懐かしい記憶だねぇ。あの頃は魔物という生体に興味を持ち始めた頃だったかな。これが本当に過去の記憶通りならそろそろ――】



「ぐあぁあ!」



 突然少年が苦痛に満ちた声を上げる。突然起きた衝撃と痛みに襲われ混乱しながら周囲を見るともう一体の角ウサギがいた。小さかった角が変形し鋭く長い角へと変わり、その角が少年の腹部を貫いている。



「ひぃ、ひぃ」



 出血カ所を抑えながら少年は必死に走る。血にまみれたスケッチブックを片手で持ちながら懸命に走った。だが血をたらし既に重傷とも呼べる傷を負った少年には魔物から逃げるにはあまりにも困難であった。



【――我ながら情けなくて反吐がでそうだよ。とはいえこれが切っ掛けだったかな】



 2体の魔物に襲われ必死に逃げる。枝で腕を切り、草などで足を切り、大粒の涙を浮かべながら必死で逃げた。だが既に残虐な狩人となった魔物は容赦なく少年の足を狙う。必死にそれを躱しながらなんとか人里を目指し走った時、さらなる激痛が襲った。


 思わず転び、自分の足を見ると肉の一部が抉れている。骨まで見えそうなほどの傷に少年はもう走る気力を失ってしまった。激しい痛みと出血によって意識が朦朧とし始めた時、少年の首を狙い突進してきた2体の魔物の身体がバラバラになった。



「はぁ、はぁ……今のは――魔法?」

「よお。大丈夫かファマトラ」


 声のする方へ視線を向ける。そこには肩まで伸びた長い銀色の髪をなびかせた1人の少年が立っていた。



「君は……誰?」

「あんだよ。同じ学級だろうが。お前ほんとに魔人に興味ねぇんだな」


 そういうと銀髪の少年は手にもった液体をファマトラへ振りかけた。突然液体をかけられ混乱するファマトラだったが次の瞬間身体の痛みが消え、朦朧としていた意識が回復したことに驚く。


「これって回復薬だよね。しかもかなり高価なものじゃない?」

「ああ。ちょうど手持ちにあったからな。ほらもう起きれんだろ」

「あの、こんな高いものを使ってくれてありがとう。でも僕お金なんて……」


 そう少し困惑した様子で目の前の少年に話すと、口角を上げて少年は笑う。



「気にすんな。どうせ貰い物だしな。俺はオルダート。一応おなじ学級なんだ少しは覚えろって」

「ごめんね――でもどうして助けてくれたの?」

「は? 何言ってんだ。知り合いが魔物のいる山へ入って行ったらそりゃ心配くらいするだろ?」

「知り合いって話したことなかったじゃん」

「お前結構卑屈だな。はははッ名前知ってて、同じ学び舎で勉強してんだ。十分知り合いだろうがよ」


【そうだオルダート。君はそうやって僕に笑いかけてくれたんだったねぇ。魔法がまったく使えず、人間以下のゴミだと馬鹿にされ、周囲から孤立していた僕に初めて出来た友人だ】

 



 あれから数年が経過。少し成長したファマトラは変わらず孤立している。だが以前程それは苦ではない。彼に友人が出来たからだ。



「お前なんの実験してんだ?」

「魔物の解剖実験だ。生態系を理解するにはこれが一番早いんだよ」

「解剖ってお前……また根暗なことやってんだな」

「うるさい。いいだろ別に――って何をするんだね!?」


 オルダートはファマトラの襟首を掴み研究室から出ていく。暴れるファマトラだが僅か20歳で既に魔人上位の力を持つオルダートに叶うはずもなくそのまま外へ連れ出されていった。



「あんな所で不味い空気ばっかり吸ってるから暗くなるんだ。外行こうぜ」

「待てと言っている! 僕にはまだ研究がだねぇ」

「ほら行くぞ。ちょっとお気に入りの場所が出来たんだ」



 

【これは――そうか。あの日のことか。随分懐かしい記憶を思い出すもんだよ】



 


「おいどこへ連れていく!?」

「すぐ隣のミルトニア山岳だ。中々いい場所があってな」

「待て、なんていった。ミルトニアだと!? 正気かオルダート。あそこは人間領との境だぞ!」


 魔人の国は先代魔王リオネが敗北してから各地で急激にその規模を小さくしていっている。ファマトラがいる場所もその1つだ。小規模の村であり、隠れて住んでいる状況である。そんな時に人間領と隣接しているミルトニアへ行くなど正気を疑うのも無理はなかった。



「何度か行ってるが会った事ないぜ? なあに大丈夫だろ」



 そうして引きずられ連れてこられたのはミルトニア山岳の頂上だった。周囲を見下ろせる絶景であり、ファマトラでさえ見たことがない花たちも咲いている。



「なるほどねぇ。確かに絶景だ」



 眼下に見える街が人間の国じゃなければ。その言葉を飲み込み、ファマトラはもう帰ろうと促そうと振りむこうとして気がついた。



 

「あら、先客ね」




 聞いたことがない女の声。急ぎ振り向くとそこに長い髪をなびかせた人間の女が立っていた。ファマトラはすぐに懐に手を入れ魔道具を取り出す。魔法は使えずとも魔力は使える。こうした事態にそなえ戦闘用の魔道具の開発も行っていた。



「オルダート。すぐにやるよ。見られた以上迅速に――」

「待てファマトラ」


 強い力で腕を掴まれる。ファマトラは意味が分からずオルダートを睨みつけた。



「何をしている。さっさと殺さなければ!」

「だからやめろ。あれは俺の知り合いだ」



 オルダートの言葉の意味が分からずファマトラは硬直する。



「待て、相手は人間だぞ?」

「だからなんだ。話が通じ、意思疎通できるなら相手が誰であろうと問題じゃない。すまないなリア、驚かせてしまって」


 立ち止まっていた女は幾重かの瞬きをしてからゆっくり歩き始めた。



「いいわ。それより私たちの秘密の場所に他人を連れてくるなんて酷いんじゃないの?」

「すまんな。友人が随分息苦しそうにしてるからちょっとした息抜きをさせたかったんだ。ファマトラ、彼女はリア。人間領で冒険者活動をしてる」



 ファマトラは用心しながら距離を取った。



「ファマトラ。研究者だ」

「そう。リアよ、よろしくね」

「そうか。質問してもいいかね?」

「あら何かしら」


 そう言いながら腕を組むリアから視線を逸らさず質問を重ねる。



「オルダートと親しいのかい?」

「え? そうね。なんて言ったらいいのかしら。私がここで薬草の採取をしていた際に上位の魔物に襲われた所をオルダートに助けられたの。そこからの親交だからもう1年になるかしら」



 その話を聞きファマトラはオルダートへ視線を移す。するとオルダートは気まずそうに視線を逸らしていた。



「僕に嘘を吐いたのか」

「悪かったって! でもリアはいいやつだ。問題はないさ」

「そういう意味じゃない。彼女がもし僕たちのことをギルドへ報告してみろ。僕たちの村はッ!」


 そうファマトラが激昂するとリアから口を挟んできた。



「しないわよ。私だって分別くらいあるわ。それに魔人だからって毛嫌いするような性格でもないし、何より彼は命の恩人なのよ。無下にするわけないでしょ」

「どうだかね。欲深い人間だ。少し褒美をチラつかされれば、そんな感情は――って痛いじゃないか」


 後頭部を殴られ手で頭を抑えるファマトラ。そのファマトラを少し怒った様子で見るオルダート。



「それ以上はやめろ。さっきも言っただろう。言葉が通じ、意思疎通が出来るなら相手が誰なんて問題じゃない。もうリアとは友人なんだ。あまり侮辱するような言葉は言わないでくれ」

「随分庇うじゃないか」

「庇うさ。友人が悪口を言われてるんだ。しかも同じ友人が言ってるなそれを止めるのも俺の役目だ。違うか?」



【そうだ。オルダートは変わってない。名前を知り、言葉を交わした相手は既に友だとよく言っていたね。そうやってオルダートを慕う者は多かった】

 



「はあ。もういいよ。君の性格は僕もよく知っているからねぇ。安心したまえよ。このことは誰にも言わないし、言及もしない」

「あらそんな簡単に納得していいのかしら? 私が言うのもなんだけど色々覚悟しているのよ」

「僕はオルダートの交友を破壊するような事はしない。魔人の村よりも僕としても友人の方が大切だからね」

「そう。思ったより話の分かる人でよかったわ。また会うか分からないけれど宜しくねファマトラ」




 そうしてリアという人間の女と出会った。基本的にファマトラがリアと出会う事は少ない。極まれにオルダートに連れられ密会場所となったミルトニア山岳へ連れていかれる時くらいだ。


 そうして日々実験を繰り返し、魔物を改造し操るすべを見つけだした頃。ちょうど魔王選定の刻限が近づいていた頃だった。




「待てオルダート。もう一度言ってくれないか?」

「なんだ。実験のし過ぎで耳まで悪くなったのか? だから何度も言ってるだろ。

 


 ファマトラは自分の机から錬成した頭痛薬を取り出しそのまま飲み干す。



「いや、待て。相手は人間だろう――って言っても聞かないか」

「ああ。そんなもん関係ない。俺はリアを愛している。それにもう子供も生まれるしな」

「はぁ!? おいおい僕の知らない間に随分と進んでたんだな」




【本当にあの時は驚いた。まさかオルダートが人間と婚姻を結ぶとはね。でもこの後を考えるとこれも切っ掛けだったのかもしれないねぇ。確かこの後すぐにカリオンが生まれるんだったかなぁ。顔は似ているくせに性格が随分暗いカリオンはまるで昔の自分を見ているようで正直最後まで好きになれなかったねぇ】




 それからは早かった。オルダートは村から住処を離れ、あのミルトニア山岳に家を建てた。そして周囲を結界で覆い、知り合い以外は入れない結界へと構築した。普段研究室にこもっているファマトラでもオルダートへ会うためによく出かけるようになった。



「あらいらっしゃいファマトラ」

「やあ。リア。カリオンは?」

「もう寝てるわ」


 

【――待て。なんだこれは。

 






 ファマトラはゆっくりリアの隣に座る。



「オルダートは? いないみたいだが」

「ええ。そろそろ貴方が来る頃だろうって狩りに行ったわ。そろそろ戻ってくるんじゃないかしら」

「そうか。なら早くしないとね」



 そういうとファマトラは近くに座っていたリアを押し倒し、拘束する。



「な、何をするの!?」

「何すぐに済むよ。ちょっとこれを飲んでくれればいい」


 そうして懐から手のひら程度の大きさの幼虫を取り出した。



「ひぃ、い、いやああああッ!!」

「騒ぐなよ。これもオルダートのためなんだ。いいかい? リア。オルダートは本当にすごいやつだ。魔力量も村で一番強くてさ。いや村だけじゃない多分今までの魔人なんかよりもずっと強い。きっとオルダートは魔王に選ばれる。そうなったとき、リア。君は邪魔なんだよ」



 そういって幼虫をリアの口に押し込んだ。必死に口を閉じるリアの顔を殴り、僅かに開いた口を無理やり開かせ蟲を体内に入れていく。



【待て! 僕は何をしている!? こんな記憶は知らない! 確かにリアは人間に殺されるがそれは僕が手引きしたものじゃない! あれは確かオルダートへプレゼントを贈るために街へ降りた時に強盗へ襲われ、弄ばれて殺されたはずだ! 実際その犯人を見つけ殺したのは僕とオルダートだぞ】



「これは僕が開発した魔造蟲でね。名前は今考え中だ。何か面白い名前にしたいなぁ。これに寄生されるとね。簡単な命令だけになるけど操れるようになる。これで今からリアには街に降りて貰って適当に死んで貰えるとありがたい」


【違う! 僕が、この僕がオルダートが愛した女を殺すわけがない! たった一人の大切な友人なんだぞ! やめろ、なんだこれは! 幻覚? そうか幻覚かッ!?】



「ほらさっさと飲み込めよリア。そして出来れば無残に死んでくれ。そうすればオルダートはきっと人間を憎んだ立派な魔王になってくれるはずなんだ!」


【違う、違う! 結果は一緒だが過程が違う! 僕はそんなことをしない! 断じてしない!】




 蟲が半分ほど口の中へ入った時、凄まじい魔力が後ろから放たれた。ファマトラは手を止め後ろを振り向く。そして顔面に凄まじい衝撃が走り、壁を破壊し外へ吹き飛ばされた。



「おい。何しているファマトラ。俺の女に何をしていると聞いているッ!!!」



 歩くだけで綺麗な花たちが舞い散り、燃えて消える。オルダートの魔力に耐えられないのだろう。



「痛いじゃないか何をするんだいオルダート」

「それはこっちの台詞だ! ファマトラッ! 何故だ。何故リアを殺そうとした!?」


【オルダート! 僕じゃない。僕は何もしてない! 糞ッ! どうすればこの幻覚が消えるんだ! 意識だけの状態でどうすれば!!】



「必要なんだオルダート。分かるだろう。もうじき魔王の選定が始まる。次の魔王は間違いなく君だオルダート。ならその次に始まるのはなんだ? そう戦争だ。きっと先代魔王を殺したあの悪夢の勇者レイド・ゲルニカが来る。そうなったとき、今の君じゃだめだ。人間への憎しみを持たない君じゃだめなんだよ」

「何を言っている。そもそもなぜ争う事が前提なんだ。もし俺が魔王になったらそのまま勇者と和解しこの下らない歴史を終わらせる。お前にはそう言っただろう!?」


 胸倉を掴まれ持ち上げられるファマトラは鼻が潰れ、頬骨が砕けたためうまく話せない。だがそれでも続ける。


「知っているよ。だからさ。それじゃ何も面白くないだろう?」


【――確かにそう思っていた。魔王となり絶対的な強さをもったオルダートを見て見たいと。彼が戦う雄姿をみたいと思った。そのための準備もしていた】


「何度言えば分かる。戦争なんだ。魔人も人間も命を消耗するくだらない争いだ。どこかで止めなきゃダメなんだ。何故それが分からない!」

「いいじゃないか。人間なんてどうでもいい。僕はねオルダート。君が魔王となりすべてを蹂躙するその姿がみたいんだ」


 また顔面に痛みが走る。だがそれ以上にオルダートの顔はファマトラが今まで一度も見た事がないほど冷たい表情をしていた。



「……オルダート?」

「――よくわかった。お前はやはり屑でしかない」


【ッ! やめろ! オルダートが僕にそんな事を言う訳がない!!】



「屑だって?」

「そうだ。話せばわかるやつだと思っていた。だがそれは間違いだ。他の魔人に馴染めず孤独で研究していた根暗野郎に少しでも周りに溶け込めるようにと思った俺が馬鹿だった」


【やめろ! オルダートにそんな事を言わせるな!】



「お前はどうしようもない屑だ。人の心が分からずただ魔物の解剖と実験だけを繰り返す異常者だ。そんな奴を少しでも友人だと思った俺が馬鹿だったよ。所詮は――」



【やめろぉぉおおおおおお!!! これ以上聞かせるなッ!】








「魔法が全く使えない、人間以下のゴミ屑だな。さっさと死ね蟲野郎」





【あ……あ……アアアアアアアアアアアアアアア】




 まるで蟲を潰すかのように振り上げられた足。そのままファマトラの頭部はたやすく潰された。

 





ーーーー

長くなったため分けようと思いましたが、一度に読んでほしかったため長文のまま掲載しました。

もう少しで終了です。後少しお付き合いください。

 

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