第8話《僕は君の時》
森の中の泉のそばで木漏れ日の中、
一休み。
『ペパーミントティーと食感の残念なフォンダンショコラですが、どうぞ…』
相変わらず、自信のないパティシエの美味しいおやつが振る舞われる。
『相変わらず、おいしいー!』
と、舞踏家。
そこからさらにいつもの3段誉め殺しの3つ子の音楽家は割愛。
『そういえば、海まで後どのくらいなんだろうね?』
ふと、舞踏家がフクロウを労っているレース編みに問いかける。
『『『『『『海…??』』』』』』
そうです、なんと、
フクロウ、レース編み、舞踏家以外は
目的地があることすら知らなかったのです。
『海に向かってたの?』
『水着持ってない…』
『お魚つかまえよう!』
と3つ子の音楽家。
『『こっちの方面に海ある?いや、知らない…。』』
と、切手絵師とパティシエ。
『そうなんだよ、地図にはない海を目指していて、
場所を知ってるのはフクロウさんだけみたいなんだ。』
と、レース編みの言葉を声にする舞踏家。
『誰も知らない海、誰も知らない道、この泉は、誰か知っているのかな。』
泉の水をすくいながら、時計師がぼんやり楽しんでいる。
『時計師さんって、いつもゆっくり時間が流れていて、
一緒にいると心が落ち着く。』
と、音楽家の上の子が言った。
時計師は少し考えてから
『時間が止まっているからかな??』
と、つぶやいた。
そう、みんな忘れがちですが、
独立時計師は歳を取りません。
『なぜ時が止まってるの?』
好奇心いっぱいの音楽家の下の子が訊きます。
『あ、あの、無理に言わないでね』
心配になった真ん中の子がそっと付け足すのでした。
『原因は2つあるんです。1つは自分の時計が存在しないこと。
もう1つは自分の時間に関する記憶が消えてしまう事です。』
いまいちピンとこない顔をしているみんなにもう少し話そうと、
独立時計師は続ける。
『生き物にはひとつ必ず時計が存在します。
レース編みさんには編み棒のリズムの中に、
舞踏家さんはステップの中に、
それぞれどんな形であっても時計が存在する。私はそれがありません。
作ろうとしても自分の時間に関する記憶が消えてしまうので
自分の時計を作ることができません。
記憶が消えてしまうのは、ある日突然目が覚めたらやってきた事実です。
もう覚えていませんが、その日から自分の時間に関わってくるものは
記憶が消えてしまいます。それは、選べない事だったんです。』
『病気ってこと…??』
心配そうに舞踏家が訊いた。
『そうですね。
時間とは本来空間の羅列をつなぐ記憶のような部分を言うので、
その記憶が消えてしまう自分は、
自分の時計が作れず歳を取ることができなくなりました。』
時に関する記憶が消える病気。
『どうしたら治る…??』
不安になった下の子に、
『治らないかもしれない。でも、歳を取れない自分を
今はちゃんとわかっているから、大丈夫ですよ』
泉の水面と戯れながら穏やかな顔をしている独立時計師。
『めずらしいな、お前が自分の話をするのは。』
と、切手絵師。
『すべての人に知って欲しいことでもないけど、
ここのみんなに隠すことでもないですからね。』
と、いいながら、
ふと泉から3つ子に目を移すと心配そうに目を潤ませていた。
『えっ、えっと、ほんとに、心配ないですよ。
泣かないでくださいね。大丈夫ですから。』
3つ子を慰めようとそばへ寄った時計師の後ろに
この世の終わりのような悲壮な顔をしたパティシエが
『時計師さん…1人でずっと生きてきたってことだろ?!
俺たちは1人にしない!!』
と、抱きついてきた。
突然のことに更に慌てる時計師に続いて3つ子が抱きついてきた。
『時計師さんが覚えてられないなら!』
『僕らが時計師さんの分も覚えてる!』
『僕らみんなが時計師さんの時計になる!』
気付くと時計師の着物は
3つ子の涙とパティシエの決意でぐしゃぐしゃだった。
レース編みと舞踏家はハンカチで3つ子の顔をふきふきしつつ、
『これで一緒に歳を取れますね。』と、
3つ子のズビズビの鼻をかませた。
『歳をとる…ですか。』
まさか、泉での平穏なひとときがこんな騒ぎになると予測できなかった時計師は実感のない想いをそのまま呟いた。
『今日は久しぶりの誕生日だな。』
切手絵師のその声でパティシエのパティシエ魂と3つ子の音楽魂に火がつく。
『『『『誕生日パーティーだ!!』』』』
お料理もスイーツも音楽も
静かな泉でゼロから始まる誕生日会。
『あぁこの事をどうか、忘れませんように』
独立時計師は笑顔の裏でぐっと、記憶を噛み締めるのでした。
つづく
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