第7話《還りみち》

静かな洞窟の中を、

走り抜けているような足音が

そこかしこからこだまして名無しの舞踏家へせまりくる。

何も見えない暗闇を、ひたすら続く深淵を

舞うことすら忘れ、溺れるように逃げる。


はっと目を覚ますと、

みんなで眠るテントの中だった。

ひどく寝汗をかいた舞踏家は一人、

風に当たり呼吸を整えるためにテントを出た。


星が綺麗だった。

今見ていた夢がなんだったのか忘れてしまうくらい綺麗だった。

星空の下で舞踏家は泣いた。

理由はなかった。

ただただ、目覚めた空が美しくて、

胸がいっぱいだった。


『今日は月明かりがないから、星がよく見える』


声がする方を振り返るとそこには

マグカップを2つ持った切手絵師が立っていた。

『茶でも飲もう。

星に呼ばれたもの同士、少し眺めていくのもいいだろう。』

そう言いながら切手絵師は、

お茶の入ったマグカップを1つ舞踏家に手渡した。

2人は草原に腰を下ろし、星を眺めながら

ゆっくりと呼吸した。


『絵師さんも眠れなかったんですか?』

舞踏家が話を切り出す。

光を失くした絵師はゆっくりとお茶を啜った後に、

少し間を置いて話し始めた。

『月明かりのない夜は、光を浴びずにすむからな、

星を楽しめる時を寝ずに待っていただけだ。』

『星が好きなんですね』

『や、別に…』

『えっ…?』


素直にうなされる舞踏家が心配だったといえない切手絵師を、

テントの中の時計師は微笑ましく思いながら

3つ子の毛布をかけ直してやっていた。


『す、少しは落ち着いたか?』

ぶっきらぼうに問いかける切手絵師の言葉で

ようやく、なぜ切手絵師がここにいるのかを察した舞踏家。

すこし迷いながら、静かに話し始めた。


『時折、時折見る夢です。どこなのかなんなのか、誰の足音かわからないけれど、

逃げなくてはいけないような、そんな夢に、

ただただうなされてしまって。

いつも目を覚ますと自分の部屋に一人だけれど、今日はみんなの寝顔と、たくさんの星があって、綺麗だと思ったんです。そしたら…』

続けようとしたらまた涙が出てきてしまった舞踏家。

絵師は『あったかいうちに飲め』と茶を勧めながら、不器用に話した。


『自分には光がない。でも、おまえを描ける。お前をみることができる。目がなくても。

お前が踊ると、空気が変わる。だからすぐ、筆を持って描き始められる。

自分は、目を3度無くしたんだ。』

『3度…?』

『3度。1度目は、見失った。何を見ているのか見失ってそのまま瞳を落とした。

瞳はある人が拾ってそっと手渡してくれて、

再び、何を見るかを思い出せた。

2度目と3度目は自分で無くした。

2度目は右を小さい子どもにあげた。両の目を持たない小さい赤ん坊だった。

3度目は左を猫にやった。人にいじめられて弱って目をやられた猫だった。

自分は、何を見るかをもうちゃんと知っているから、瞳はなくても見えるんだ。

光には弱くなったが、暗くても明るくても自分の見るものは見えるんだ。』

切手絵師の話を静かに聞きながら、

舞踏家は絵師が何を伝えようとしているのかを感じていた。

『おまえには名前がないかもしれない。

でも何者であるかは知っているだろう。』

-おまえは誰だ

-名前もないおまえは

-名前もないおまえは誰だ

沢山の足音からする声たち。

『生き物は何か1つ持てなかった、

ただそれだけで生き延びる上で命取りになる。

でもおまえは何かを持ってなくても生き延びることができる。

ないものを埋めてやれるだけの表現をもっている。

おまえは名前がないかもしれない。でも、

おまえは自分が何者か知っているだろ?

そして、ここにいるみんなも、おまえが何者であるか、知っている。』


舞踏家は言いようのなかった漠然とした不安から解放されていく心が安堵の涙を流すのを感じた。

『うん。自分が誰か、知っている。』

そういって涙を拭った。

『次追いかけられたら、みんなで追い返してやる。』

絵師は少し恥ずかしそうに舞踏家を勇気づけるのだった。


無愛想なあなたにしては100点満点じゃないですか。

なんてことを思いつつも、

テントの中にいながらうっかり話が聞こえてしまったことを反省し、

時計師はパティシエの毛布をかけ直した。

レース編みとフクロウの寝顔を確認した後、

自身も眠ることにした。


朝、パティシエの怒号で全員が起きる。

『こんなところで眠ったら冷えるじゃないか!体を壊したらどうするんだ!』


うっかりそのままテントの外で眠ってしまった切手絵師と舞踏家は、

絶賛反省中。

『まずは、このホットジンジャーを飲め!!』

と、美味しくあたたかく少し刺激的なホットジンジャーを

パティシエから手渡される。

レース編みは毛布を2人に羽織らせる。

『『すみません…』』と、小さくなる2人を3つ子の音楽家が心配している。

『大丈夫…?』

『さむくない…?』

『どこか痛くない…?』

『『大丈夫です…』』と、小さく答える2人を

歳をとらない独立時計師が微笑ましく笑った。

『時計師さん!笑っている場合じゃないですよ!

生き物は体が大事なんだから!大切にしないとダメなんだ!』

プリプリと愛情いっぱいのパティシエの朝食の支度を手伝いながら

『ほんとですね、ごめんなさい。』

時計師はパティシエの怒りを愛おしく思った。

生き物はみんな愛おしい。

パレードが始まってから、

そんな当たり前のことを忘れていた自分にはっとして、少しばかり恥じる独立時計師だった。



純白のフクロウが指揮をとる。

声を持たないレース編みが月の雫と羽ばたきを編みこんでいる。

そのレースを身にまとい舞う名無しの舞踏家を

2.5cm×2.0cmのマティエールに写生する光を失くした切手絵師へ、

迫りくる朝の光がささぬよう、夥しい時計のつるされた番傘を差す

歳をとらない独立時計師の時計の1つを見ながらマカロンとアールグレイをこしらえ続ける涙を忘れた天才パティシエ、の味は絶品残念マカロンをひそかに狙いつつも、名無しの舞踏家へ音楽で風を贈る3つ子の音楽家、

一行は地図にない街を、野原を、道をゆく。



もう少しつづく

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