第7話 姿を写さない鏡
記憶が戻るとまたトンネルの出口か入口か、わからない場所だった。
「俺がどういう人間か分かったか?」
僕が知りたかった記憶は汚くてもろいものだった。
「僕が始めたのか……」
苦しみが喉をきつく閉まらせる。
「あそこで俺が生きることを選んだから、二〇二〇年にパンデミックが始まった。俺は間違えてなんかいない。生き残るためには仕方なかった。大事なのは赤の他人よりも自分だ」
乱立した輝きが目に飛び込み、血の涙を流そうとさせる。
「どうして僕は生きている? 殺されなければならない罪を犯したのに」
「俺は誰にも殺されない。最強の人工殺戮兵器、二五号を殺すことが出来るのは二〇号だけだから。俺はあの後、身柄を確保され東京に五年間眠っていた。感染症対策機構防衛課は俺を守るために作られた組織だ。そして、俺の記憶を抹消して二五号に対抗できるようにもしていた。だからお前には二〇号の記憶はなく、奏斗カエデとしての記憶があった」
僕の物語が始まる前に、真実は語られていた。
覚えていたわけじゃない。もとからあった気がする。
奏斗カエデ、彼を僕はそんな人じゃないと知っている。
「もうあいつらに利用されるのは終わった。二五号はもう少しで俺を迎えに来る。世界の真実も自由もすべて手に入れることが出来る。行こう、俺は自由だ」
背中に羽が生えているように見えた。
手を差し出された。光がさしているかのように眩しかった。
体はおのずとひかれていった。
頭ではトンネルの先が入口か出口か判別することを迷っている。
五年間、首輪をつけられていた気分だった。
何の用もないのに、ある一定の範囲を誰の目にもさらされず、歩いていた。
生きた心地がしない。あの研究室でいた日々と同じように。
一度だけ自由になれた時がある。
無能な下僕を殺していた時だ。あいつらは無様にも、俺を仲間と認識していた。
人間を見つけた。興味本位なのか恨みなのか殺してみたいと思った。
無能な下僕たちもそう思ったらしい。一斉に走り出した。
押しのけて先頭を走った。
殺そうと思っていた。体が言うことを聞かなかった。
あいつが意識を吹き返した。その流れに押し戻され、体の操縦権を失った。
失ったのはまだいい、取り返せばいいだけだから。
問題なのは、あいつの叫びで下僕が人間に戻ったことだ。
幸い、あいつはまだその力があることを認識していない。
早いうちにあいつを殺して、俺の体の一部にしなければ……。
別人になった体を操縦している気分だ。
五感がリアルタイムで数多な情報を脳に送る。
心臓は笑い、体は叫ぶ。
上から聞こえる騒音を背に処理しなければならないことがある。
鉄格子を境に一人の女性が立ちすくんでいる。
名前は憶えている。
渚シヲリだ。
「大丈夫? 痛いこと、何もされてない?」
鉄格子をか弱い力で揺らし、目に涙を溜め、話しかける。
痛いことなら、生きてきた二十三年間で人が死ぬ数よりもされてきた。
拘束されることは苦じゃない。俺が生きたいと強く思わせるだけだ。
本当の苦は、自由が奪われていると分かっていても奪い返せないことだ。
「早くここを開けてくれないか?」
熱のない言葉を女がどう捉えたかわからない。
言葉を聞くと操られるように働いた。
ない頭を振り絞り、どうにか開ける方法を考え、実行している。
揺らしたり、叩いたりして。女は鍵穴を見つけると喜びの笑みを見せた。
「急いで鍵、探してくるね」
言葉に明るさがあった。
いつ死ぬかわからない状況で、どうしてそんな心でいられる。初めて食べた食べ物のように新鮮だった。かみ砕いてもどう触感を表現したらいいかわからない。
「もういい。探しても見つからない。ここにいろ」
女一人で鍵を探すなんて、砂漠の中で探し物をするのと変わらない。
「どうして、お前がここにいる」
女に興味があったわけじゃない、ただ疑問に思っただけだ。
「あなたとここから逃げるために」
背筋をまっすぐにした女の姿はクレオパトラのようだった。
「俺は奏斗カエデではない……。 それを知っているだろ」
「知っているよ」
女は微笑んだ。
「なら、どうして。俺はお前に嘘をついていた人間だぞ」
「確かに嘘は良くないけど、私はあなたのおかげで今生きている。私、すごくメンタル弱くて、プレゼンの前の日とか緊張で眠れないくらいでさ。けど、あなたと出会ってからは毎日がいいほうに向いてね、楽しかった。こんな世の中になっても、あなたが生きていると思ったら生きていこうって強く思えた。実際に出会った彼氏はユニークで何も覚えてなくておまけに偽物。こんなのありえないって思った。あなたと交わした短い時間は地獄を忘れるように楽しくて、私を強くさせた。だから、始まりは偽物でも私はいいと思っている」
女は顔を赤くさせながらも語る。蛹が蝶になるように。
この時、俺はどんな顔をして、どんな感情を抱いているかわからなかった。
人よりも知識は手に入れているはずなのに、心の変化をつかむことが出来ない。
「ねぇ、 本当はなんていう名前なの?」
黙り込んだ間をつなぎ合わせるように語りかけてくる。
「俺に名前などない。人は俺を二〇号と呼ぶだけだ」
今思えば、俺に名前がない。人間ではなかったことを証明しているようだった。
「じゃあ、名前が決まったら私に教えて。私が名前を読んであげる」
「俺に名前などいらない。俺の名前を呼ぶ人はいないから」
この世界の人間はいずれ滅ぶ。俺は名前がなくても人間になれる。
「なんでそんなこと言うの……。私が何度でも呼ぶから。もう一度始めよう、はじめから」
止めていた涙こぼしながら、鉄格子を強くたたき、声を強く出す。
女には俺がどんなふうに見えているのか教えてほしかった。
頭が虚無になるほどの強い衝撃だった。
気付くのに少し遅れた。彼の存在に。
音が出ないよう姿を現した。主張の激しいブーツに膨らみのきいたカーキのズボンをベルトで固定し、白のタンクトップ、オールバックになった金髪は相変わらずだった。
俺を唯一の仲間と認めるように緑色の瞳をしている。
出会ったのは五年前と昨日すれ違っただけだが、いつもそばにいてくれた存在に感じる。
「よう、二〇号。お前は相変わらず豚箱にぶち込まれているのがお似合いの面をしているな」
変わらない口調だった。
「お前がもっと早く来ないからだろ」
「おいおい、俺様は何度もお前を助けたぜ。お前が俺から逃げるからだろ」
鬱憤を溜めた顔をして、近寄ってくる。
女を払い飛ばすと鍵を取り出し、鍵穴に優しく通す。
「日本はどうだった?」
「くそみたいな国だ。偽善を振りまき、自分の利益のことしか考えてない。俺を兵器にまで仕立て上げたのに用が終われば切り捨て、また用ができれば自分のいいように改造する」
「つらかったな。すまない」
二五号からそんな言葉が出るとは思わなかった。
鍵を開け、拘束具から解放された。体は既知感のある解放に包まれた。
体の関節を少しずつ慣らし、体を大きく伸ばす。なりふり構わずに立ち上がった。
「この女はどうする」
尻もちをつき、何か物言いたそうにこちらを見つめていた。
「俺たちが手を下さなくてももうじき死ぬ。放っておけ」
女の目を見つめ、釘で打ち付けるように言い放った。
口を開こうとした女の口を手で塞ぎ、腕にあったヘアゴムを強引に引っ張った。
髪を前から後ろへと手で集め、団子になるように髪を結んだ。
なぜこの動作をしたのか、説明できなかった。
「こんな薄暗い部屋は嫌いだ。外に行こう。俺たちが始めた物語の終わりを見に行こう」
壁が築きあがっていた。己を自由へと向かうためなのか、誰かを守るためなのか。
その目的はまだ決まっていない。
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