第6話 俺が始めた物語

 トンネルから出た世界は奇妙な世界だった。

 見えるところすべてが草原で、空には雲が一つもない。乱雑に結晶の形をした堅い物質が僕の肩のあたりの高さで上下に揺れながら浮かぶ。

「ここは?」

 大きく深呼吸して聞いた。空気が受け入れてくれたのが分かった。

「俺の記憶だ。あの結晶には俺の記憶がある」

 どこか遠くを見ているような気がした。

「お前は?」

「俺は記憶を失う前のお前だ。今から一つになる。手をかざせ」

 そう告げるともう一人の僕が結晶に手をかざした。僕もつられるように手をかざす。

 結晶から眩しい光を発し、全身を包む。




 無機質な白壁が囲まれ、腫物の木が一本立っている。木の本で少年が読書をしている。

 見覚えがある、あの時見た景色だ。

 今回は第三者として見ているのか。

「俺は生まれた時から孤独だった。血のつながった人間なんていない。物心がついたときには、被験者二〇号として生活をしていた。俺よりも番号が小さい人間には会ったことはない。俺より後に来た被験者には会ったことがある。国籍はみんなバラバラだったが、一つだけ共通点があった。みんな引き取り先のいない孤児だった」

 あの時見た夢は自分自身だったのか。

「僕はつらかったのか……」

 どこか他人事だった。

「ここはお前が思っている何倍も地獄だ。毎日人間が受け入れることができない物質が体内を駆け巡り、兵器として扱うために偏った英才教育を受けていた。脳の中身も体の形も毎日別人のように変わっていった」

 空気を奪い去ったかのような声だった。このあたりの小動物は殺せるような風貌だった。

「地獄の日々も終わりが告げた。俺は二〇号にして初めての完成体になった。そこからは誰の目にも当てられず、壁に囲まれた庭と幽閉された牢屋を往復する毎日だった。暇つぶしに庭で本を読むようになった。一冊しか支給されなかったが、読んでいる時は新しいことを知っている気がして嬉しかった。セリフを忘れないくらい何度も読み返した。知るという幸せが人一倍強かった。その幸せが人よりも与えられていないことを気づかされた。あの男に」

 冷酷に言葉を伝え、庭に入ってきた一人の男を指さす。

 見覚えのある人間だった。僕が見た夢にいた眼帯を付けた研究員だ。

「もう少し近づいて話を聞こう。お前にも俺の選択は間違っていないことがわかるはずだ」

 心臓の熱を感じ取りながら足を運ぶ。

「その本、面白い?」

 中年男性の油が感じ取れる声だった。

「面白いよ」

 今の僕と比べると少し若い容姿をしている。

「いつも同じ本ばかり読んでいたら飽きない? 新しい本、欲しくないか?」

「新しい本、 読みたいけど……、 いいの?」

「新しい知識を知ることだ。よし、 この本を君に渡そう。 今までは壁の中で生きる少年が働くお話だったが、次の本は違うぞ。壁の外の話だ。君と同じくらいの年の子が、学校で暮らす話だ」

 男は優しい顔で本を渡した。

「壁の外に人は暮らしているの? どうやって?」

 興味津々の顔つきで話かける。

「それは読んでからのお楽しみだな。もう時間だから行くよ。読み終わったら感想を聞かせてくれ。また来るよ」

 後ろめたさと明るさを同時に感じる背中をして去っていった。

「俺はあの本を読んでから変わった。自分が普通でないと気づいてしまった。普通の人生は学校へ行って友達や恋人を作るが、俺は毎日変わってゆく体を見ているだけだった。俺は何でこんな人生を送っているのか考えるようになった。それとともに外の世界への興味から本を読む手が止まらなくなった。一日中本を読んでいた。自分で自分を壊し、悪夢と戦うようになった」

 一つの結晶が地面から上がってくる。

「外の世界を知ってから半年後、俺が外の世界へ行くのを決断する」

 結晶が強く光り、僕が知るべきところへ送ってくれた。




 光が連れてくれた先は薄汚れた牢屋の中だった。

 薄汚れた白が部屋全体を囲み、通路側は鉄格子で自由に出入りすることはできない。寝ることが難しいほど傷んだ寝床に、壁で外から見えないようにしてある洋式トイレがある。

 部屋の隅で座って本に穴が開くくらい読んでいる僕がいた。

 髪は今と同じぐらいの長さで、目の下には油性マジックで黒く塗りつぶされているようだった。

 ここから外の世界に出ようと考える余裕があるとは思えない。

「本当にここから外に出るのか」

 飛ぶことのできない雛鳥のようだったから思わず確認の言葉をかけた。

「ああ、あいつによって知らされる。ここにいても先がないことも。俺がどれだけ欲深く、自由を求めている人間かも」

 薄暗い光で照らされた廊下に地面と靴がぶつかる音が聞こえる。

 その音は時が経つごとに大きくなる。

「貸した本はもう読んだかい?」

 薄暗く照らされた眼帯を付けた研究員だった。

「今回の本も面白かったよ。人間が首輪をつけた人間を飼いならしているところが面白いよ。僕も早く人間を飼ってみたい」

 成熟した人間が発してはいけない倫理のかけた言葉だった。

「この時僕は何歳だ?」

「二〇二〇年だから十八だな」

 五年前の僕はこんなことを考えていたと分かると、握りしめた拳の力加減が分からなくなった。

「次で百八冊目だね。次はどんな話?」

 削り取られながらも宝石のような瞳をしていた。

「残念だけど、もう君に貸せる本はない」

その言葉を聞くと、瞳は黒く塗りつぶし、周りの影も重くなっていった。

「君はもうここで生きることはできない」

「……どうして?」

 壊れた時計のような間が流れる。

「ここで説明しても信用しないだろう、ついてきなさい」

 手綱があるかのように一直線に導かれていった。




 導かれた場所は一人の少年を覆い隠すような装置のある研究室を一望することができる。

 二枚貝のように作られた装置の中に少年はこちらを見つめるようにたたずむ姿が気持ち悪かった。明らかに記憶に介入している僕と目が合う。僕と同じ宝石のような緑色の目をしていた。装置の中は液体で満たされ、不規則に泡が下から上に上がっていく。

 学校で見た退化種とどこか似ている気がした。

 目で追った泡が破裂したとき、記憶にいる僕が話し始めた。

「これは?」

「二五号。君の弟だよ」

「弟? 僕に家族はいないよ」

「血のつながりはない。 けれど君たちは血のつながりも強い何かでつながっている」

「何でつながっているの?」

 返事は返ってこない。

 音を発さないように静かに泣いていた。

「ごめん。もう戻ろうか」

 そう告げると僕たちの体をすり抜けるように通り過ぎていく。

「これから数日間は同じようなことを繰り返した。ここに来ては何も告げずに帰っていく繰り返しだ」

「僕と彼のつながりって?」

 指をさし、二五号と呼ばれる彼の方を見つめる。僕を見つめる目はもう一人の僕の方を見つめていた。

「俺と二五号にはリヒト計画の成功体というつながりがある。まあ、俺よりもあいつのほうが優秀らしいが」

「優秀って?」

「俺達は自分たちでウイルスを作ることが出来たら、どれくらいの性能をもつか人間や小動物を使って実験が行われる。俺は酷い流行風邪くらいにしかならなかったが、あいつは人間を退化させ、操ることも可能だった」

「だから、実験の対象が僕から二五号に移ったってことか」

「ああ、そして兵器は二つもいらない。二つあれば平和ではなく争いが起こるから。なら、性能で劣る俺は処分対象にある」

 どこにも僕の居場所がなかった。

風は吹いていないのに肌が触られている気分だった。

「処分対象にある僕に、どうして本を読ませたり、二五号の存在を教えたりした?」

 少しだけわかっていた気がしたが、気に留めることなく聞いた。

「眼帯を付けた研究員の名はリド・アルゴ。リヒト計画発足時のメンバーにして、研究の指揮を執る人間だ。俺はあいつのせいで兵器になった。この施設には狂った科学者はいくらでもいる。あいつも同じだ。せっかく完成した俺を世に出す前に、処分なんて耐えられなかった。試したかっただけだ。自分の作品がどこまで世界に通用するか」

 冷静さが入り乱れた熱を発するようになった。

 確かにもう一人の僕が考えることも間違いではないが、それが正解だと断定することはできなかった。

「アルゴが泣き、叫び、懇願する記憶を見た。何かを後悔するように。だから、僕たちは兵器じゃない、人間としての道歩んでほしいと思ったからだと思う」

 今まで言われるままに記憶を見てきたが、初めて意見を返した。

「そんな記憶、俺にはないぞ」

 熱は人間の形を作るまでに落ち着いていた。

 逆に僕の頭は考えることを放棄するように白くなった。

「確かに僕は見た。この目で」

 考えることが怖かったから、頭悪く主張した。

 もう一人の僕は相手にする気配はない。

 じゃあ、誰の記憶を僕は見た……。

 大きな泡が割れる音が聞こえた。

 口の中の水分がないことに気づきながらも、ゆっくりと彼の方を見つめる。

 目が合った。

 それよりも強い何かで見透かされるような気がした。

 何かを伝えているようにも見えた。

 何かを悟る前に、強い光が隠すように僕を連れて行った。




 もう一度あの薄汚れた部屋に戻ってきた。

 誰かにつき押されたように部屋を出ていった。

「今日は俺が外の世界へ行く日だ」

 突き進む彼の姿を追いかけることしかできなかった。

 あいつがいた。アルゴだ。

「時間通りによく来てくれた。君の選択を誇りに思うよ。十八時になったらあの部屋の鍵と出口の鍵は開けておく。作戦のとおりに動いてくれ。もしも命の危険を感じたら、自分の心の想いを叫べ。そうすれば求めていた選択になるだろう。健闘を祈る」

 優しく肩を撫で、その場を去っていった。

 片目からこぼれそうだった液体はどこに流れたのか行方は知らない。

「ここからは俺の視点で見してやる」

 そう告げると僕の額ともう一人の僕の額を合わせた。

 熱が伝わってくる。熱で溶けていく体に熱く濃い液体が体に入ってくる。断ることはせず、体が自然と受け入れた。

 僕が人生で選んだ選択は星の数より多いかもしれない。その選択が安いと諭されるようだと僕の体は熱をなくすように笑った。




 物体に魂が乗り移る時はこんな感覚なのだろうと自分の体で体験する。

 アルゴとの別れを告げ、二五号のもとへ体を突き動かす。

 自分で動かしているわけではない。

 プログラムされたロボットのように体が勝手に動くのだ。

 一人称の物語を見ているようだった。

 表情の無さに心と筋肉の無知さを知る。

 笑わないというよりか笑うことを知らない。

 最初に笑ったのはシヲリとあってからだと思う。

 彼女の温かさをもう一度知ることは……。

 思いとは反対に、体は冷酷に進んでいった。

 あの物騒な部屋に入るのは嫌だと思っても、もう着いてしまった。

 二五号と目が合う。お互い考えていることは同じようだ。

 装置のロックは予定通り解除されていた。

 話ではセキュリティ面には金をつぎ込んではないらしい。人体実験を好む奴と何も        知らず人体実験の対象になる奴しかいないからだ。研究員の出入りも激しいらしく、警備員もいないため外に出るのは簡単らしい。

 手すりを握り、装置を引き裂くように体を動かす。

 中にあった液体は滝のようにこぼれだす。オレンジ色の液体だったが、すぐに蒸発した。

 光り輝く黄金の髪の毛が短いせいで逆立っている。

 近くで見ると、鋭い眼光とは裏腹に幼くて小さい。

 同じ目の色が仲間ということを強く協調してくる。

「やっと来たか、俺様をいつまで待たせる。お前が早くしないから、こんなにも遅くなっただろ。早く行くぞ」

 見た目の割には上から目線だったのが腹にたつ。僕の方が年上だろうが。

「……。お前に外の世界へ行く覚悟があるのか?」

 もてはやされてきた自我を否定されることのなかった二五号に、少しでも抵抗するためにくぎを打ってやりたかった。

「馬鹿にするな。俺様はお前よりも優れている。俺様には生まれた時から記憶があった。親に捨てられた時も、外での生活も覚えている。ある日、この施設に送られた。だるい実験も終わった。完全体となった俺様はこうして外に出ようとしているだけだ。そこにお前も同伴させてやるってことだ」

 相変わらず上から目線が鼻につく野郎だ。

 外の世界はどうなっているのか話を聞いてみたかったが、そんな話をすることなかった。

 脱出に向けて動き始める。

 全体に鳴り響く、サイレンの音が耳に飛び込んできた。

 ばれてしまったのか、どこかで問題が起きたのか。

 おそらく前者だと思うが、気にすることなく脱出を始める。

 言われた通りのルートをただ走る。

 体格のせいか僕と二五号の走力の差は歴然だった。仕方なく、彼にペースを合わせる。

 最後の廊下を渡り、最後の扉を開ける。物体を動かすよりも重かった。

 周りは木々で生い茂っていた。

 どこにも壁がないのが、うれしかった。

 これが、外の世界。

 もう陽は沈んでおり、わずかな光しかなかった。一面が白い世界で構成されていた。

 触ると手の感覚が少し遠のいていく、新鮮でうれしかった。

 周りを見渡しても建物らしきものはなかった。

「何をしている、早く行くぞ」

 ペースを合わせてやった恩も知らずに、前へと突き進んでいく。

 少し勾配がある道を走る。平らな道とは違い、走りにくい。

 歩くと冷たい風が体にまとわりつき、体温を奪っていく。息を吸うと肺が冷えあが り、白い息を返してくる。体の限界が来るのは時間の問題だと分かった。

 足が痛い。

 寒い。

 外の世界に足を踏み入れた高揚感よりも体を蝕む重圧が心を満たす。

 人工の光が視界に移りこんできた。

 逃さないように必死でサインを送ろうとする。

 防ぐように二五号が体を押してきた。体制を崩し、お互いが重なるように道のない坂を転がった。体と地面が接しあうたびに体は痛みに襲われた。

 転がるところまで転がりきり、体を起こす。

 言葉を発する前に、手で口をふさがれ小声で話しかけられた。

「何を考えている、もう一度施設に帰りたいのか。あいつらは施設の研究員たちだ。どうやら世界中の資本がつぎ込まれた俺様を探すのに必死なようだ。おそらく、使い方も知らないのに拳銃を持たされているだろう。捕まれば最悪、殺されると考えてもいい」

 年下の冷静な言葉に唖然とされる。

 茂みから漏れ出さないように体を小さくし、気配を消す。

 世界が静まり返り、心臓が生きる音が聞こえる。音とともに血管に血が巡るのを感じる。

 険悪な音が何かのはずみから現れた。

 足音が聞こえる。

 時が流れるとともに心臓の音と足音が大きくなる。

 今から逃げてもどうにもならない。

 ここで、ばれずにやり過ごすしかない。

 体が寒いと訴えているのに手汗をかいているのが分かった。

 足音は僕たちを通過せずに真後ろで聞こえなくなった。

 終わった……。

 青年たちの冒険は旅立ちとともに終わりを告げた。

「……ここで何している。早く逃げなさい」

 忙しく驚く顔と人よりも少ないパーツが象徴的だった。

 白い息と安堵の涙が彼の形を不器用に変える。

「ここはもう研究員であふれかえっている。早く山を降りなさい。そうすれば君たちは自由になる……」

 暖かい風に流されるように再び立ち上がり、山を下りるのを始めた。

「アルゴ、お前はもっと早くに殺すべきだった。」

 銭ゲバな髭をした男が現れた。僕を監禁した男だ。

 五年前にも僕の前に立つ。

「早く行きなさい」

 アルゴの言葉とともに走り出した。振り向くことはしない、最後は自分が大事だから。

 人を殺すには有り余るほどの銃声が聞こえた。

 光につられた虫のように、人が集まってくる。

 名に振りかまわず走り続ける。

 足の感覚はもうない。

 生きたい焦りから呼吸がうまくできない。

 川から海へと出てしまった小魚のように命の保証はない。

 一つの銃声が聞こえた。

 音はこちらを向き、右足に激痛が走った。

 バランスを崩し、その場に崩れこむ。

 二五号はこちらを向き、足を止めたが、僕の目を見て、再び走り始めた。

 傷口から生きるすべが失われているのが分かった。

 痛い……。

 体が生きたいと泣いている。

 見世物のように人が取り囲んでいる。

「二五号はまだ近くにいるはずだ。早く探せ」

 ここにいる僕よりも二五号の心配とはとても悲しいものだ。

 少しずつ人がいなくなる。

 仰向けになり彼の憎たらしいひげを見た。

 目を合わせる。

 人間の情がないことなどすぐに分かった。

「こいつはもういい、殺せ」

 無情な宣告だ。

 目を閉じる。

 生きていたい。僕がまだ知らない話を知りたい。

 教えてくれ……。

 僕を人間に……。

 心に強い振動を感じた。

 スイッチがオフになった。

 機能が少しずつ失われて行く。

 思い出した、今まで失っていたものを。

 自分で選択した。

 世界を知るために自由になると。

 兵器から人間になると。

 誰か僕に名前を付けてくれないか……。

 目を開く。

 全身が逆立つようだ。

 すべての力を使い、叫ぶ。

 僕が生きたいと証明するために。

 すべての生命が僕の存在を知る。

 未来を見通す王冠をかぶり、現在を包み込むマントを羽織る。

 過去が詰め込まれた玉座に座る。

 見透かすように足を組み、見下すように頬杖を突く。

「終わった。早く事態を鎮火しろ」

「そんな命令をしても無駄だ。もうお前の命令を聴く者はいない」

 銭ゲバな髭に撫で殺すように心に直接語り掛ける。

 言葉とともに体が静まり返った。

 世界はもう僕を無視することはできない。

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