第4話 噓つき者の覚悟
過剰に呼吸をした。息の粗さに顔を上げた。
僕がいた場所じゃない。
あそこだ……。 あのトンネルだ。
「どうした、なんかあった?」
さっきトンネルと同じ人だ。
「おじさん、まだいたの?」
「おじさんって、つらいなあー」
嬉しそうに苦笑いした。
「じゃあ お兄さん? まだいたの?」
「僕は当分の間ここにいると思うな」
絵にかいたような笑顔で答えてくれた。
「っ……」
永井さんの死が切り刻まれたように思いだした。
呼吸が荒くなる。
身体が握られている気分だった。
「浮かない顔だなあ。何かあったか?」
優しく聞いてくれた。
優しさに流されるままにあったことを話した。
「それはつらかったなあ」
「これからどうしたらいいかわからない」
「その人も死んだとき、君が涙を流してくれて嬉しかったと思うよ。けれど、僕だったらいつまでも泣いてほしくはないな。その人のためにできることをやればいいと思うよ」
優しい言葉でできた糸がほころび始めた心を縫い合わせた。
心臓の音、体を流れる血液の熱。落ち着きと生きる証を教えてくれた。
不自由のない呼吸ができるようになった。周りがよく見える。
初めからできることは一つしかなかった。永井さんのために。
「僕はこの世界の真実が知りたい。大切なもののためにも」
「そうかあ。その選択は君を苦しませるかもしれない。けれど、僕は君を応援するよ」
そう告げると手を差し出してきた。
握手を求めているようだ。
答えるように握手をした。
「最後に一つ約束してほしい。この世界は敵だけじゃない。君を慕ってくれる人もいる」
言っている意味が分からなかったが、誓うという意味も込めて強く手を握った。
「あっ、すみません。出口ってどっちですか?」
聞くのが恥ずかしかったから、視界から外すように顔向け、後頭部をかいた。
「出口は君が決めるんだよ」
優しく伝えてくれた。
礼を言おうと顔振り向くともういなかった。
「―早く来い」
気が付くと、三河がいた。
必死な表情で手招きをしている。
ここは地下シェルターの入り口だ。
心と体が理解するのに少々時間がかかった。
中は、三人で使うには少し贅沢な広さだった。
使われていないせいか埃が舞っているのが目で見てわかる。
扉が閉まると、天井近くに刑務所にある窓に近しいものが、外からかすかな光を届けていた。人を認識するのが限界な明るさだった。
人間が住むには適さない環境、薄気味悪い声が遠くで鳴り響いている。
落ち着かなかったため、周りの物色を始めた。
力のない棚には飲料水に味気のない非常食が陳列されていた。
現実を面白いくらいに教えてくれる。
「永井さんは?」
三河が聞いてきた。
「……死んだよ」
言葉にしたら現実になってしまうような気がして苦しかった。
気まずかったから背を向けて話した。
「お前が、殺したのか?」
鈍器のように重い声。つぶされないように体を大きく見せた。
「きっかけは僕かもしれない……、 最後は永井さんが選んだ……」
強い足跡とともに胸倉をつかまれ、棚に押し当てられた。
頭を強く打ったが、負けないようににらみつけた。
場を鎮めるようにシヲリが間に入ってきた。女性の力では何も変えることはできない。
「やっぱ、お前は救世主なんかじゃねえ。 ただの化け物だ」
体を強く揺らされる。こぼれていくのは飲料水や非常食だけだった。
「もう僕は迷わない。決めた。すべてを知って、このくそみたいな世界を変えるって」
腕を振り払い、強く突き飛ばす。
三河は舌打ちをして、近くの椅子に座り込んだ。
「血」
首筋あたりから血が流れているのをシヲリが教えてくれた。
どのくらい出ているか確認するために傷口に手を当てた。
「あっ、ごめん」
シヲリの手が当たった。暖かくて優しい手だった。
手が触れた瞬間、シヲリは手を引っ込めた。
「大丈夫だよ。教えてくれてありがとう」
屋上の時と比べると自信なさげで弱弱しい。
今思えば、話をしたのはあの時以来だ。
「あの時は冷たい態度取って、ごめんね」
謝りたかった。切り裂くようなことをしてしまったことに。
「ううん、大丈夫。けどね、ほんと心配したから」
彼女の温かい声が心に響く。
心配してくれて嬉しかった。
心が温まる。彼女といると落ち着く。
大切なものが生きていると知った。心の熱が目頭まで熱くさせる。
それから、現実を忘れさせるようなたわいのない話をした。
いつかは起きようと思いながらも、ずっと夢を見ていたいそんな気分だった。
窓から入る日の角度が変わったと錯覚するくらい時間が経った。
「永井さんは最後に何を言っていた」
三河がふと話しかけた。
背を向けられているせいでどんな感情を表しているかわからない。
「お前のこと、心配していたよ」
何でこんなことを言ったかわからなかった。いや、言っていたような気がしたからかもしれない。今思いだすと恥ずかしくなり耳が赤くなった。
「ごめん、冗談。真実を見つけてくれ。お前に合えたおかげで少しは報われたって」
「そっか……」
どんな表情をしていたかわからなかったが少し笑っている気がした。
三河は拳銃を撫でまわすと懐に何か思いつくようにしまった。
ドンッ
鼓膜を引きちぎる音が外から聞こえた。
音とともに体に衝撃が伝わってくる。
怖さから体を小さくした。
ドドドン
次は射撃音、呻き声や走る足音も聞こえる。
確実に状況が変わっていることを空気が肌を通して教えてくれる。
シヲリが服を強くつかんだ。目からは恐怖におびえる涙がこぼれている。
「大丈夫」
そう言って頭を守るように撫でた。
安心したのか、涙が顔から少しずつ消えていった。
足音と射撃音は時間とともに大きくなるばかりだった。
足音が一番大きくなった時、嵐が去ったかのように音が消えた。
同時に地下シェルターの扉が少し開いた。
「自衛隊です。身柄の保護に来ました」
希望に満ちた言葉を他人から振りかけられるとは思っていなかった。
安堵から全身の力が抜け落ちていった。
扉が完全に開き、陽の光を眩しいと感じるとともに、自衛隊員が詰め込まれるように入ってくる。
「自衛隊員の槇島です。身柄確認のため名前のほうをお願いします」
一人だけ明らかに容姿が違う自衛隊員だった。黒髪ショートカットの女性自衛隊員だからではない。階級が見るからに高いバッチを身に付け、帽子のデザインも違う。自衛隊員にしては逞しさよりも可憐さが勝っている。
「お名前は?」
気が付けば三河の番は終わっていた。
近くで見るときれいだと感じたが、我が強そうだ。あまりタイプではない。
「奏斗カエデです。」
「奏斗……カエデ……」
自分の名前を怪しそうに復唱された。
ただでさえ変わった名前なのに繰り返し言われると恥ずかしい気持ちになってくる。
「職業は?」
まさかこんなところで職務質問されるとは思わなかった。
「感染症対策機構防衛課です」
その言葉を聞くと同時に僕から少し距離をとり、胸元のマイクのようなもので誰かと連絡を取り始めた。
場は少しずつ重たい空気が流れ始めた。
話が終わると黒い眼をして僕の方へ歩み寄った。
「奏斗カエデはもう死にました」
意味の分からない言葉が飛んできた。
意味を理解するために何度もかみ砕いた。でも、無理だった。
疲れているのかもしれない、幻聴が聞こえているなんて。
「何を言っているのですか。僕は奏斗カエデです。誰かと間違えているんじゃないですか?」
慌てている。言葉が安定しなかった。
「いえ、感染症対策機構の奏斗カエデは一人しか存在しておらず、死体も確認済みと上から連絡が入ってきました」
現実に足を踏み出した気分になった。
今思えば、僕が奏斗カエデという確証はなかった。あのカードを持っていたから、自分の名前にしただけだ。
奏斗カエデじゃないのなら、どうしてカードを持っていた。
僕の本当の名前は?
僕は何者だ?
かいたことのない汗をかいた。妙にのどが渇く。
拳銃を引き抜き、僕の頭に照準をあわせる。
「あなたは一体……何者?」
「やめて、お願い」
感情が詰まった声だった。止まっていた涙がまたあふれていた。腰が抜けているようで立とうとしても立てなかった。
僕はシヲリもだましていた。彼女の顔を見ると心が黒くなっていった。苦しくて途中で見ることができなくなった。
「緑色の目……、 二〇号、それとも二五号?」
鼓動が高まっている。死ぬと分かっているから体が生きたいと感じている。
心臓の熱と汗のせいで呼吸が荒くなる。
二〇号と二五号。
謎の言葉が頭をめぐるが何もわからない。
真実へのキーワードだとしてももうわかることはないだろう。
永井さんが願っていた理想になれなかった。
心の奥で誰かが僕を見つめている。どんな顔をしているのかどこにいるのかわからない。
その存在に気づいてすぐ、地面に強く頭を打ち横たわった。
銃声を聞く余裕もなく、全身の力が入らなくなった。
残ったのは瞼が落ちてきた感覚だった。
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