第2話 未知が嘲笑い、人は戦う
朝が来ると、一本だけ腫物のように立っている木があった。床は芝生で、バスケットボールコートくらいの広さがある。周りは無機質な白い壁で囲われており、外の様子を覗くことはできない。
誰かに操られているように歩いた。
腫物の木に近づくと、背もたれにするように座り込んだ。
僕の姿が変わっていることに気づいた。いや、これは僕なのだろうか。
自分で体を動かすことはできない。魂だけが宿っているような感じがする。
深いことは考えず、彼を少年Aと名付けることにした。
少年Aは長袖のシャツにズボンを着ており、両方とも白色で少しサイズが大きい。髪型は今よりも短い。肌も生まれたてのようにつやつやだった。
血の匂いがする服に比べれば、いくつかましで、ありがたいと思った。
靴は履いておらず裸足だったが、芝生を踏みしめる感覚がなく気持ち悪かった。
腕が他人のように動き、本を読み始めた。本を持っている感覚がなかった。
僕に触角をないことに気づいた。
人をあれだけ殺したから、罪としては釣り合っているだろうと感じた。
本の内容は、町で嫌われている二人の少年がある革命的な力を使って人々を報復し、大帝国を築き上げるという話だった。
一度読んでいるような感覚だった。
本を読むのに飽きたのか空を見上げた。雲を貫いて太陽の光が目に届いた。あまりのまぶしさに目を細くさせた。
何秒か眺めていたが、首が痛くなったのか目線を下した。
地面がガラスのように割れた。暗闇に吸い込まれないようにあがこうとしたが、体は受け入れるように飲み込まれていった。
体の中に入った異物を吐き出すように意識が目覚める。
薄暗い研究室のような場所だった。知らない言語で書かれた書類が散乱している。理科の実験道具のようなものが棚いっぱいに並べてあった。
目の前には照明のせいで薄暗く照らされたおじさんがいた。眼帯をかけて白衣を着、ストレスのせいか所々が入り乱れていた容姿だった。おそらくこの部屋の研究員だろう。
肩をつかみ何かを話している。というかは嘆いているようだった。
息が切れるように言葉を吐き出し、涙を流す。残念ながら声が聞こえない。これが怒りなのか謝罪なのか願いなのかわからないまま、また暗闇に吸い込まれていった。
これが夢なのか現実なのかわからないが、誰かの記憶の一部を覗き見ていた気がして楽しかった。
悪夢から逃れるように瞼を開けた。
あたりを見渡すと、同じ形をした机といすが隅に乱雑に積まれ、床にはガラスの破片が宝石のように散らばっていた。窓ガラスが割れて、散らばったのだろう。後ろには大きな黒板があった。ここは学校だったものだとすぐに分かった。
服装と髪型は前の姿に戻っており、血の匂いが染みついている。
部屋は朝日で照らされていたが、どこか暗い印象を受けた。
その理由はすぐに分かった。
シヲリ、永井さん、三河がお互いを反発しあうように椅子に座っている。
時々、僕を見ながら。
光を当ててもどす黒く見えた。そのせいか顔をまじまじと見ることはできなかった。
相変わらず僕には拘束具をつけられ椅子に座らされていた。少し苛立ちを感じたが、驚くことはなかった。僕が生きていたことに驚いていたからだ。
前と状況はほとんど変わっていない。
変わったのは場所と人数と死んでいたはずが生きていたことくらいだ。
いや、変わり過ぎか。
前は向こうから話しかけられたから、僕から話しかけてみよう。
この世界の真実を知るために。
「どうして僕が拘束されないといけないんですか」
少し冷静にかつ強気に言葉を放った。
「俺が拘束した。なぜなら、お前は退化種であるからだ」
三河は相変わらず僕が嫌いなようだ。
「だから違うって言ってるじゃないですか。カエデは私を…… そして、私たちを守ってくれたじゃないですか。今すぐに開放するべきです」
シヲリが守るように入ってくる。
シヲリが生きてくれたことは嬉しかったが、話の根幹が見えてこない。
守った? 僕はただ人を殺したいだけ殺しただけだ。
抜け殻を捨てた僕が心の中で浮かべた言葉に罪悪感はなかった。
自分の細胞や思想を少しずつ理解できるようになり、人としての形を作ろうとしている最中だが、まだ体の一部分にしかなっていない。これも人間のどの部分かもわからない。
決して立ち入ることのできない土地の先に、僕はいる。その顔の表情はまだ知らない。
「何か覚えていることはあるか?」
永井さんは二人と違い冷静だった。
「いえ、何も覚えていません。ただ、たくさんの人間を殺しました。僕の体が使い物にならなくなるまで。僕はあそこで死ぬはずでした」
罪のない声色で機械のように語った。
「記憶は欠如しているくせに、口だけは達者だな。俺はなあ、もともとお前が怪しいと思っていた。ふつうおかしいだろ、記憶がないとか。永井さんはお人好しで物好きだから拾ってここまで運んできてくれた。俺だったら最初にあった道路で寝転がっていたお前を殺していた。」
饒舌に毒を吐いた。
相当溜まっていたのだろう。
「僕は嘘をついていない。あの時拾われていなかったら僕は死んでいただろう。昨日起きた出来事は知らない。本当だ。そんなに僕が嫌いか。怪しいからか?いや、恐れているんじゃないか?僕を」
「退化種が、 お前が置かれている立場、わかっているのか?」
怒声とともに懐から拳銃を取り出し、僕に標準を合わせる。
「立場? そんなのどうでもいい。撃てるなら撃ってみろよ」
三河の顔を見て挑発した。
「銃を下せ、三河。これは命令だ。」
永井さんは三河に拳銃を向けていた。
三河は悔いを残すように銃を下した。
「退化種なのはお前の方じゃないか?人の言葉も聞かず。三河、退化種を人間だとか言っているくせに、平気で銃向けるんだな。人を嘘つき呼ばわりして、嘘つきはおまえのほうだろ。考えることから逃げている。だから止まっている。止まってしまったらもう前には進めない。落ちていくだけだ。退化種と同じように」
出会った時から三河が嫌いだったのかもしれない。
今までの僕に対する扱いや他のうっぷんを晴らすように集中的に攻撃する。
三河は黙って動かない。
それを好機にさらに攻撃を行う。
「そんな奴が銃を向けたって怖くないね。虚勢を張って、現実から逃げている奴は何も守れない。図星だろ。だから失った。自分も大切な人も。お前のせいで」
銃声が聞こえた。
その音と同時に、銃弾が右のこめかみのすぐ近くを通った。
銃を打ったのは永井さんだった。
「奏斗君、これは警告だ。言葉を慎んでもらおうか」
永井さんから怒りが漏れ出ていた。
部下思いというよりかは過保護に近い。
さっきまで意気揚々と牙を向けていた三河は、死体のように座り込んでいた。
生きたければ殺すしかない。生物が生まれた時から決まっていたこと。
果たせないなら生きる自由はない。そこら辺に転がっている死体と同じだ。
「すいません」
謝るのは少し気に食わない。
「話がそれてしまった。すまない。奏斗君が拘束されたのは昨日の出来事のせいだ。まずは覚えていることを全部教えてほしい」
拳銃をしまった。
「わかりました」
そう言って僕が死ぬまでの出来事を道筋通りに話した。シヲリといろいろあったことは言ってないが。
「なるほど。そこで意識がなくなったというわけか」
「はい、そうです」
「私たちは、退化種が建物の中にいることは気づいていなかった。渚さんの報告を聞いて初めて知った。上から来たのを知ったから荷物を持って下に逃げた。どういった経緯で侵入されたかを調べるために、まずバリケードに向かった。バリケードは壊されていなかった。けれど、バリケードを見張っていたはずの吉平君の姿はなかった。その時に、建物を出ることを決断した。奏斗君には申し訳ないが助けることはなく、三人で抜け出すことにした。本当にすまない」
「大丈夫ですよ。話を続けてください」
謝罪を許すと少し朗らかな顔を浮かべた。
「バリケードの先は退化種が何人かいたのを確認できたが、襲ってくる気配はなく、二階まで下りることできた。そのまま階段を下りて抜け出そうとしたが、一階のやつらが気づいてしまい、二階から外階段を使って降りることにした。廊下にいた退化種を一人殺した。そのせいか二階にいる奴らが全員気づいてしまった。何十体の数を拳銃ですべて捌くことはできないから、外階段に向かって全力で逃げた。不気味な走り方は私たちよりも速く、外階段に行きつくよりも先に捕まると確信した。その時に現れたのが奏斗君だ」
記憶のない僕に向かって、丁寧に話してくれた。
絶命したところで物語は終わったはずなのに誰かがその続きを描き上げた。
気になる続きは僕を主人公にして描かれたヒーロー物語。
そんな展開になることを期待したい。
「退化種の群れから退化種をなぎ倒しながら現れた。先頭に立つと殴りや蹴りを入れて、動きを封じてくれた。私たちも銃を使って応戦したよ。ある程度、退化種の動きが鈍くなった頃だった。奏斗君が鼓膜を突き破るほどの叫び声を上げた。退化種は聞いた途端、意識を失い、倒れこんだ。奏斗君も同時に倒れこんだよ。その瞬間、周りの音が一気に静まりかえったのをよく覚えている。そこからは君を担いで、この廃校にたどり着いたといった感じだね」
話の一部始終を聞いたが、全く記憶にはないということが分かった。
「何があったのかはわかりました。退化種から永井さんたちを守ったのに、どうして僕がこんな仕打ちを受けているんですか」
僕が拘束されている、その理由が分からなかった。
「それはね、退化種の群れから出てきたからだよ」
「なんですかそれ、意味が分かりません」
「彼らの特徴の一つとして共食いをしない。奏斗君が群れの中にいても襲われていなかったのは、仲間として認識していたからだと思う。君が攻撃をしたときも、私たちにヘイトを向けていた。」
声のトーンを一つ下げ、真剣に語った。
「意識があった時は、奴らに襲われていました。信じてください」
僕は逆に声のトーンを一つ上げ、慌てた物言いをした。
「永井さん、意識がなくなってからは退化種になったのだと思います。今は言葉を覚えているうちに、何とかして俺たちを殺そうとしています。冷静な判断をお願いします」
三河が魂を取り戻すようにしゃべった。
俺を攻撃するときだけはのびのびと生きているような気がして癪に障る。
「奏斗君、君に問う。人間か、それ以外か」
目に熱いものを宿して語りかけた。
僕は人間に決まっている。それ以外ってなんだ、意味が分からない。動物園のパンダとでも答えればいいのか、笑わせてくれる。
「僕は……」
少し決断を戸惑った。
冷静に考えておかしい。それ以外という言葉が気になる。普通ならそれ以外ではなく退化種にしたほうが、正しいはずだ。人間から変形できる生命体は退化種しかいないはずだ。
表現を変えたのは、何か意味があるはず。
「それ以外です」
とてつもない勇気が必要だった。
失敗してしまったらこのまま殺されてしまうからだ。
「なんだと」
三河が拳銃を構えた。
永井さんが拳銃を下す命令をジェスチャーで送った。
「人間ではないといえる根拠を教えてほしい」
永井さんは何かを企んでいる。
試している、僕を。
目を閉じて、脳に全神経を持ってくる。退化種ではない根拠を、今まで得た情報をもとに紡ぎ合わせ作る。作り終えてから話していては悪い印象を与えると思ったので、出たとこ勝負で話を始めた。
「僕には退化種ではないかと思われる場面がいくつかありました。一つ目は記憶の欠如があることです。これは退化種の初期症状である物忘れと酷似しています。もう一つは僕が意識不明となっていたころ、退化種の群れにいても襲われていなかったことです。退化種から仲間として認識されていたということになります」
退化種と思われる要因は全て話した。まずはこれの否定から行おう。
「僕は皆さんと出会ったころから記憶が欠如していました。もし僕が退化種なら、感染したのは出会う前となります。記憶の回復は見えませんが、言葉も正常に話せ、空腹であっても皆さんのことを襲ってはいません」
「確かに記憶の欠如はあるが、それ以外の行動に至っておかしいところはないな。記憶の欠如を退化種の初期症状としてみなしたら、その後の行動と辻褄が合わないということか。逆に人間だって物忘れをする。物忘れをしている状態と考えた方が、筋が通っているな」
永井さんが僕の論述を補足してきた。
「本当は記憶があって、記憶がないと嘘をついているとしたらどうするのですか」
三河が横やりを入れてきた。
「三河、記憶がないと嘘をつくことにメリットはない。初め、奏斗君は私たちに拘束されていた。そこで記憶がないと嘘をついたら、退化種とみなして殺していたかもしれない。それに彼は記憶がない状態でも頑張って答えを作ろうとした。退化種の脳ではそんなことはできない」
永井さんが丁寧に答えてくれた。
三河があんな暴論を言ってくるとは思ってなかった。
憎んでいるのか知らないが、もう少し考えて物は言ってほしいものだ。
「じゃあ、退化種の群れにいても襲われなかったどう説明する?」
痛いとこをついてくる。そっちの方はまだ何も考えてなかった。
黙り込んだら認めてしまうことになる。どうやって切り出そう。
「これは一つの仮説にしかすぎないが、奏斗君は人間でありながら退化種にもなれるのかもしれない。」
横入りしてきた言葉に体を取られてしまった。
真夏に雪が降るような仮設が教室に転がり込んできた。
「私は、記憶の欠如は退化種の初期症状ではなく人間による疾患だと考えている。着目する点は、退化種の群れにいた時のことと目覚めた時の状態だ。退化種は仲間意識を持ち、お互いを攻撃しないはずだが、奏斗君は攻撃していた。体は退化種であっても、私たちを仲間として認識し、敵が誰かわかるほどの理性を持ち、体を支配していると考えることができる。そして、目覚めた時にはその記憶がなかった。記憶がなかったのは初めて出会った時と同じだ。私たちが出会うまで退化種の体で生き、力尽きたところを拾われたと考える。私たちを助けた時も散々暴れた末、倒れこんだ。そしてもう一つ共通点がある。拾った時もそして今も傷がない点だ」
体全体を見渡し、傷がないことを確認する。
「確かに意識がなくなる時には、全身傷だらけでした」
長年かけて作り上げたトンネルのようだった。
歩き始めると外の光が当たらなくなり、暗闇に染まっていく。
歩く姿は人間か、退化種か。
僕にはわからなかった。
仮説が正しいなら俺は何者だ。叫んでも誰も答えてくれなかった。
永井さんの自己中な行動のせいだ。
前にここに来た感覚がある。
自分の姿も見えないほどの暗闇。
前と後ろもわからなくなり、来た方に振り返ってしまった。
人が立っていた。僕と同じ背丈だった。
強い光が背中から照らされ、肝心の顔は黒く塗りつぶされて見えない。
こちらに来いと言うように手招きをしてくれた。
一人でいるのが怖かったから彼の方へ歩いた。
「そっちに行っちゃだめだよ」
後ろから声が聞こえる。
知っている人の声ではなかったが、なぜか落ち着く。
「どうして?」
すかさず質問する。
「僕は君を守る責務があるからね。一度、入り口に戻ってしまったけど、またトンネルに入ってくれた。次、出口を間違えたら、戻れなくなるかもしれない」
スーツを少し着崩している三十代くらいの男性だった。渋く後味はさわやかな声をしている。
「ここに僕を閉じ込めるのが仕事なの?」
「閉じ込めるって言い方はちょっと語弊があるよ。君を一人前の人間にするのが仕事かな。久々に話ができてよかったよ」
「名前、何ていうの?」
「覚えてないか、それはショックだなあ。自己紹介したはずなのに。残念ながら、俺からは伝えられない。君が君じゃなくなる……。 じゃあ、またいつか」
別れの言葉を伝えると、道かわからないところを歩き消えていった。
懐かしい気持ちになれた。
目の疲れなくすように瞬きをした。
「仮説が正しいとしても、また退化種の体になって次もそうなるかはわかりません。仮説が違う場合、退化種の体から人間の脳を得て、俺たちの信頼を勝ち取ってから殺そうとしているかもしれません」
元の場所に戻った。僕だけが謎の時間を歩んでいたようだ。
三河は相変わらず僕を否定することに必死だった。
「どうして悪いほうに悪いほうに考えるの。カエデが生きていた。私たちを助けてくれた。それでいいじゃないですか」
シヲリが感情を漏らした。
「渚さんの言うとおりだ。悪いほうに考えていてはきりがない。三河の考えもありうるかもしれない。私の仮説が正しいなら、私たちが何百体と治験を行っても出来なかった偉業を奏斗君はやってのけた。自らの力でウイルスを支配、そして克服したのだ。この力を使えば、ワクチンが作れるかもしれない。そうすればパンデミックは終わる。救世主だ。ここで殺す選択肢はない」
洗脳されたかのように両手を広げ、神々しく語った。
永井さんは頼れる人だが、自己中なところが時々ある。
救世主と呼称するのは、やりすぎだと思う。
「俺の仮説が正しくて、こいつが襲ってきたら永井さんはどうするつもりですか」
「その時は私が責任もって殺すよ。私がいないときは三河が殺せ」
「……わかりました」
嫌そうな返答だった。
勝手に殺していい承諾を与えられてしまったが、仕方なく思う。
僕は人の迷惑になるくらいなら死んだほうがましだと思う人間だからだ。
僕を拘束から解き放つと永井さんは誘惑するように教室を出ていった。
シヲリと目が合ったが、すぐに目をそらした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます