第6話

時計を見る。今の時間は12時45分だ。アオイは、三時間目の授業に出なければいけない。

私たちには、もう時間はあまりない。それはわかっている。でも、私たちは将来の話をしない。今日も日常になんとかしがみついていく。私は、今日あったことを話すし、アオイはきちんと聞いてくれる。それでいいじゃないか。まだ終わりじゃない。時間はある。苦しい時間はできるだけ減らしたい。神様がいて、私たちだけには、もしかしたら奇跡を起こしてくれるんじゃないかなんて思ってみても、何にもならない。歴史上ただの一度も例外はなかったのだ。これからも、そんなことはありえないだろう。


私の話を聞くのに夢中のアオイに時間を教えてあげる。笑顔とともに時間が経つのは早いねという返事が返ってくる。大急ぎで残りのごはんを口にかきこんでいる様子は微笑ましい。アオイから私がごはんを頬張るところが好きだと言われたことがあるが、私だって恋人がご飯を食べているのを見るのは好きだ。それが私の作ったものであれば、もっと嬉しくなる。明日はお弁当を作ってあげようかな、そういうと、だし巻き卵とハンバーグをリクエストされた。この二つは私が初めてアオイのためにごちそうした日のおかずだった。あの日から、私が料理するときはこの二つが定番になっている。まあ、喜ぶ顔を見ているだけで幸せになれるので文句はないのだが。二分ほどするとアオイは食べ終わる。時間は12時50分を少し回ったところだ。食器下げとくよ、というと、昔の人がやるように右手だけで合掌を作って返してきた。この人たまに感性が古いんだよな、そう思いながら、また明日ねとお互い言い合って別れる。別れ際に「夜飲みすぎるなよ」、って言ってやった。アオイは冗談めかして、「明日は起こしてあげないぞ」、と返してきた。今日も私のほうが先に起きたのに。二人とも笑顔だからオッケーです。


アオイは、今日サークルの飲み会だ。今晩は会えないだろう。私たちは同棲まではしていない。思い出のために同棲するカップルは多いらしいけれど。私たちは、お互いの存在がお互いの中で大きくなりすぎないようにしているのだ。最後の日に、後悔しない選択ができるように。そして、どんな選択をしてもお互い辛くならずに生きていけるように。この約束は、私たちが付き合い始めるときに決めた。あの時は恋とか愛といったもののことがよく分かっていなかったからだ。それでも、2日に1回くらいの頻度で交互にお互いの家に泊まりにいく関係にはなっている。今のところ、私たちは私たちなりに幸せだ。さて、今日の私の授業は4時間目で終わりだ。今から授業まで少し時間がある。空いている時間でレポートを書こう。授業が終わったら、買い物に行こう。卵はあるけど、ハンバーグの材料は冷蔵庫にない。牛肉が安売りしているとうれしいな。そう考えて、私も食堂を後にする。

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