二人の日常

第3話

「ねえ、そろそろ起きて。大学、今日何時間目から?」


唐突に体を揺らされ声を掛けられる。心地よい微睡の中で昨日の記憶を思い出す。昨日の夜は、そうだ、ナツキの家に泊まった。二人で遅くまでお酒を飲んで一緒のベッドで寝たことを思い出す。寝ぼけ眼で枕元に置いた目覚まし時計をみる、8時15分だ。時間割を思い出そうとする。えっと、今日は月曜日だから、


「三時間目からだ。」


起き抜けだからか、声はかすれている。そう答えると、ナツキから、そっか、私1時間目からだわ。という返事が返ってきた。


起きるの早いんだね。そう言うと、まだ寝ぼけてるの?1時間目は、8時45分からだよ、と軽やかに返された。まったくもってその通りだ。僕の頭はまだきちんと働いていない。


べッドからのっそりと起き上がり、ゆっくりと服を着かえる。キッチンから、ご飯作っといたから食べてね、という声が響いてくる。ん、と返事する。まずは洗面所に向かい顔を洗う。水の冷たさで目は多少覚める。鏡を見ると、頭頂部の毛が何本かはねている。面倒だ。掌に水をすくい無造作に髪の毛のはねている部分にかける。3回ほどかけるだけで、髪は平たんに、頭は丘になる。次に、キッチンに向かう。目の前には、銀灰色のシンク。ステンレスでできているのでもともと錆びにくいが、僕の家のものよりも遥かに美しい。ぴかぴかに磨かれ、窓から差し込む陽光を反射している。その上に、小さなフライパンほどの大きさの皿が一枚置いてある。青色で薄い、フリスビーのような皿だ。

こんがりときつね色に焼けた食パンの上には半熟の目玉焼き。その隣にはベーコンとキャベツの野菜炒めが添えられている。ベーコンは少し焦げているが、おしゃれなブレックファーストであることに違いはない。いつものように机の上に持っていく。さあ食べようか、と思いどっかと椅子に座る。と同時に姿が見えなかったナツキが玄関からひょっこりと顔を出し、


「今晩、どうする?」 と聞いてきた。


あぁ、悪い。今晩、サークルの飲み会だから…その、多分行けない…。お酒も飲むし、何よりソラと約束してるんだ。ナツキに対して申し訳ない、とちゃんと思っているよという気持ちが伝わるように言葉を選ぶ。こういう心遣いは誰に対しても大切だから。ちなみにソラは、ナツキも知っている僕の無二の親友だ。正直なことを言うと、飲み会にはナツキもつれていきたい。だが、前に無理やり連れて行ったとき、あまり楽しそうではなかった。後で聞いたのだが、飲み会は雰囲気自体苦手らしい。だから強制はしない。


そっか、楽しんでね。残念そうな声が返ってきた。僕だって生殖行為をするまで2人だけの思い出をできるだけ多く作りたい。でも、友達付き合いも大切だ。もし自分が生き残った場合、そのあとも社会生活を送らなければならないから。それに仲良くなっておくほうが、子供を育てるときにお互いに助け合いやすい。例えば、子供の送り迎えを頼むにしても、頼んだ相手のことを知っているほうがお互いの不安は軽減されるだろう。だから、友人との付き合いを無下にすることはできない。ほとんどの人がそうしている。


じゃあ、また昼休みに。ナツキの声に、うん、また後でな。と返事しながら半熟の目玉焼きの黄身を箸でつつく。ぷっくりと膨れた球体から、幸せの黄色があふれだし、パンにしみこんでいく。


玄関の扉が閉まる音がする。一人になってから、こっそりため息をつく。今日は6月30日。僕たちに残された時間は少ない。付き合い始めてもう5年、お互い今年で25歳だ。同い年の場合、法律で決められた生殖期限日は、二人の誕生日の中日なかびと決まっている。僕の誕生日は2月10日で、ナツキの誕生日は2月18日だ。つまり、間をとって2月14日が僕たちの最後の日になる。もうあと7か月半しか残されていない。それなのに今日も言い出せなかった。僕はナツキを生殖の相手にしたいと考えている。でも、ナツキの方がどう考えているかはわからない。それに、これからお互いの気持ちがそれぞれ変化していく可能性もある。とりあえず今の気持ちを確かめる必要はある。しかし、「それを今確かめて一体、何の意味があるのか」、という気持ちが心の奥のほうから湧き上がってきて、確かめようとする気持ちを押しとどめる。正直、今更、別れるなどと言われて、生殖相手をもう一度探すことを僕は望まない。ナツキからそんな返事が返ってきたら、ひきこもるかもしれない。大体、1年前の時点で相手が決まっていないという人自体、少ない。簡単には見つからないだろう。僕は、愛しているからこそお互いを生殖の相手にしないことを選んだ先輩のことを知っている。愛していることと、生殖することは同義ではない。だから、結局、お互い話し合うことが必要だという結論に戻ってくる。正直誰かに相談出来たらいいなと思う。ただ、こういうアイデンティティに関わる話を、同世代の人とするのは少し恥ずかしい。追い詰められればいつかは話すかもしれないが、それまではできるだけ知られたくない。かといって、おかあさんに話すのも嫌だ。誰にも知られたくないけど、誰かに助けてもらいたい。相反する気持ちで脳と心が錯綜する。今はただ、冷たい牛乳を飲んで喉元にあるもやもやを紛らわす。


最後かもしれない初夏、僕たちはまだ、日常を繰り返すだけだ。

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